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芸術大学に入って

以前に緊急手術となり、入院した時がありました。
その後一か月かかってしまう病理検査までは長く感じましたが、この間に決めたのが芸術大学に入ることでした。
夢中でバリバリと働くことも楽しかったけれど、いま待てよ、と。
数日間刺していた麻酔針の不具合が判明するまで、神経の痛みに悶絶。
「すごく痛いです」と言われていた患部の痛みは全くもって感じなかったくらい、脂汗の苦しみでしたが、そんな中でも「本当にやっておきたいことは」の考えを止めなかったのは不思議でした。
いや、きっと考えることであの痛みをやり過ごしていたに違いありません。

そんな事があってやっと、自分個人との対話ができたのだと思います。
わたくしの脳みその中は、インプットで一杯。
自分は何を感じて、物事をどのように考えているのだっけ、という部分が悲鳴を上げていたに違いありません。
芸術大学に入学した理由が、購入した本にそのまま書いてあった。当初提出したレポートのまま。自分の思考を、無くしたくない。 古賀史健 著 『さみしい夜にはペンを持て』株式会社ポプラ社、2023年、p.130|美恩

学びはプレイヤーとしてではなく、世の中のあらゆるデザインされたモノ・コトに気付き、問を立てる、といった芸術思考を専攻しております。
これは、自身のモノゴトの見方・感じ方に一旦ハテナをつけるようでありまして、痛快です。
と同時に課題の中に批判的なまなざしも求められつつ、レポートでは自身で導いた結論を提出しております。
ここに、生みの苦しみを感じる時と、アラ、もう終わっちゃった、という授業とがありまして、それを体験していることも、自身との対話になっていると思います。

基礎として当然世界地域の芸術史も学ぶのですが、進むにつれて、全く違う芸術でも流れや変化のきっかけが似ていることにも気づいてきました。
おなじにんげんがやることですからね。
芸術は政治や権力、宗教にもずいぶん影響されています。

建築物含め現代まで残っている芸術品は、うまく保存されたから、或いは保存に耐える素材であったからであって、もう消えてしまった物凄く素晴らしい作品もあったにちがいありません。
歴史に残ることは偉大さとイコールになるとは限らない。
沢木耕太郎氏の『無名』『無名』|感想・レビュー - 読書メーター という作品を読んだことがあります。
まさに、世の中には無名の偉人や芸術作品が存在しており、自分はこれからも自分の思考や感性でそれに対峙することを続けていこうと思っています。

これからの授業はいよいよ専攻の本格的なものに入ります。
当初、3年次入学で2年間で卒業、というのも魅力に感じておりましたが、この芸術大学の魅力にゆっくりたゆたう内に、3年目に突入してしまいました。
しかし、それで良いのだと今はわかっています。
学位取得が目的ではなく、自身の時間が目的でしたので。

芸術史ではないですが、わたくしの人生の流れにも変遷があり、時間がくだってみれば「あの時のきっかけ」がポイントだったと、後から知ることがあります。
ゆく河の流れは絶えずして、これからも元の水には二度と戻らない、戻れないのでしょう。
本当に知ってしまったら、それは変化を伴いますね。
ただのインプットでパンパンだったあの頃の自分を、ねぎらいたい今日このごろであります。




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