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脳内小旅行

武器・武具の観賞とはどういうことなのか。
サムライ・アート展 ─刀剣、印籠、武具甲冑、武者絵、合戦絵─ | 展覧会詳細 | 展示をみる | 東京富士美術館(Tokyo Fuji Art Museum, FAM) に行ってまいりました。

実戦で用いられた物は現在残るような使われ方はしていないので、展示品になっているのはエライ家で式典に使われていたり、武威や家格を誇示する家宝であったそうです。
さらに、戦後に「武器」として判断されるとGHQに没収されてしまいますから、その在り方を鑑賞の対象としたという現実もあります。
しかしながら、「何故」その姿形をしているのか、と言えば、目的があるから。
その目的以上の工芸技術が載っているところに、日本独自の感性が確認できます。

今回は、どうしても学芸員さんのトークが聞きたくて、フガフガと鼻息荒く電車に飛び乗り、乗り換えに走り、到着してみればまだ開館前。
遠くにひとり佇むわたくしの鼻息が察知されたのか、ナゼか早めに開館の合図を出してくださいました、、、。
時間まで30分あるので、無知を野放しにして見学。最初のブースは、日本刀です。何にもわかっていないこの目がピタっと止まったのは、正恒の刀でした。あ、これを出したら出されたら、切る切らないの前に決着がつくのでは、というくらいのオーラ。
ひとのいないブースへと飛び飛びに彷徨い、ケースに入った日本刀を色々な角度に手動で動かし観賞できるコーナーで楽しんでおりましたら、学芸員トークの放送が。
角に座ってらっしゃった係員の方にお尋ねし、我一番、と待ち合わせ場所へと急いだのでした。

待ち合わせ場所の会場入り口。とても広くスペースのある美術館

なんと今回がこの展示で初めての学芸員トークということで、しかも本日までの展示品もあるとのこと。全部で5人ほどのこぢんまりとした集合でしたが、このトークが大当たりに素晴らしかったのです。
実際に展示品を案内してくださるスタイルでした。

日本刀の種類から銘の向きのこぼれ話、波紋の見方、照明の意味、刀身の身幅、切先、今回は作者ではなく時代ごとであるなど、丁寧ながら熱のあるお話しぶりで、深く作品に引き込まれてしまいました。
あの正恒はやはり特別な刀で、ふくやま美術館 - 福山市ホームページ からお借りしました、本日まで、とのことで、細かい解説を受けますます満足。みなさん喜び上手というか聞き上手でいらっしゃり、それも良い。
最初のブースが終わった時点で、
「え~、すでに、予定時間のすべてがここで過ぎております」
と言われ、ますます面白い。(ご本人はとても真面目です)

甲冑に施された家紋やこしらえ、兜や面の名前の意味、海外オーナーの話しもありました。武具は、オーナー好みに後から手を入れられることが多く、当時のまま保存されていることすら貴重だそうです。甲冑は一領を組み立てるのに3時間もかかるそうで、今会場は確か4領だったと思いますが、この会期でそれが精一杯とのこと。
刀の胴切の話しなど、ここでもたっぷり時間を使ってしまい、焦り気味になりながらも
「アッ、これは、是非みなさんこのあと試してほしいです」
と例の日本刀鑑賞マシーンを紹介してくださいました。
実際、マシーンを動かしている彼の後頭部の位置で眺めたところ、さっきわたくしが遊んでいた角度とぜんっぜん違う。すごい。波紋が照明を受けて、素晴らしくよくわかりました。
「隣にあるのが初代のケースで、これは立って観るだけ。どうしても、あらゆる角度で観ていただきたくて、やっとこれが出来たのです」
と。愛がありますね。

印籠のブースでは例のドラマの小話から始まり、スーツのポケットからレプリカを出して構造をご説明くださいました。意匠がいかに教養と財力を表したものかも、みなさん作品を凝視して納得。
「・・・え~、ここから巻きで行きたいと思います。あ、でもこの合戦絵は、ここからここまでが、、、」
ととまらない。
合戦絵は後世への継承や教育の意味もあったとのことで、軍記物の古典の豊富な知識をもとに読み解いていく。途中途中に、人生の先輩方が登場人物名など参加され、それも素敵なムードでした。
時代が下るにつれ、人物や背景、配置などの造形に変化が見られるのも、それをどうとらえているのか、の変化です。だんだん「知らせる・継承する」から「人物表現」へと変遷します。
赤穂浪士の時代を経て国芳の浮世絵になると、こちらに向かって矢を放たんとする斬新な構図にまでなる。

解説のお陰様で、近代絵画でその素晴らしさに打たれた作品もありました。

菊池契月 《落花》 1904年

実際は、この絵には雨のごとく矢が降りかかっています。この場面は、『平家物語』「木曽最期」からの着想と言われているそうです。主従5騎になるまで追い込まれながら向かい、疾走する。
六曲一隻の屏風仕立てのこの作品を前にすると、左端の1騎がこちらに走り込んできて、右端の1騎が走り抜けていく動的なシーンが等身大で現れます。桜の花と共に。

最終ブースでは、現代に日本刀を継ぐ方々の作品で締められています。
夢中で、あっという間に過ぎた別世界の旅行のようでした。
咳き込まれながら
「ずいぶん時間が経ってしまいました。。。すみませんでした。今回は初めてでしたが、次は3時からなので、こんなにかからないようにしたいと思います」
とお辞儀されたキュレーターの方。拍手で心からの感謝を送りました。
再度展示を観て、日本刀鑑賞コーナーで改めて堪能し、今日来て良かったと、観賞して良かったと感じました。

当初触れましたように、武器として生まれた物が現在はアートとして鑑賞することができます。
結果、アートと呼ばれておりますが、わたくしはその目的以上の工芸技術が載っているところに、こう思うのです。
使う前に、弔いの心を載せているのではないかと。
祈り、捧げ、込めているのではないかと。







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