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偉そうな事は言えないが理解しようと想像は出来るかも。

未来のために出来ること、ありすぎる、学のない人間にも文明の力でSNSにより日本社会に何が起きてるか、紙の媒体より情報は流れて、目にした出来事と向き合うより、次の刺激を求め、手に入った情報を処理して、自分の価値が高まり知った気になる。

保育の現場を知る低賃金の働きの中に何があるか想像したことありますか?子どもは経験を通して成長する、なんですかね?綺麗にまとまった言葉をほぐして一つ一つ大切に子どもの成長を手のひらで感じ、救い、温めようとすると簡単じゃない。
子どもの健気な泣いてる姿の向こうに受け止めてほしい未来が見えますか?
みんな「誰かの大切な人」そう心に留め、思いやりと決めた安易な正論を言葉にして、それで揉め事を解決したようになった気になってませんか?正論は必要だけど、時と場合に合った使い方に慎重になれているのでしょうか?
この国で自死が多いこと、その現実を置き去りにされてる現状。それを救いあげず…経済成長、雇用拡大、賃上げ、誰のための発言ですか?
誰しも比べられないそれぞれの悲しみとか何か表面では見えないものがある。
置いていかないでください。
未来のために出来ること、人と人の関わりに喜怒哀楽、失敗、成功、それらを成長過程に感じ、法に触れない事を前提に見守り、関わり、生きやすい成功体験、積み重ね、社会に送り出す仕事が大切だと思う、。
大人になって社会に出てパフォーマンスを継続して生きていくには、適正年齢にあった大人の決めたルールから少し違う視点で、子どもの心をくすぐる楽しみを体感する機会はあっていいと感じる。

社会人一年目、偉い拘束時間に圧倒されたが保育はそういう世界と認識してた。

1人の先輩が、外履きのスニーカーで保育室を足速に時短のために横切った。先輩が言った。
「たまには時短もいいかな、加減は必要よ、やりすぎはいけない、今日のことは笑っていいことかもよ」

ダメとわかってる事を、今の時代なら許されなかったかも、その主任の先輩の思い切りの優しさに、助けられた。

まだまだ自分は勉強中、たんこぶ作りながら日々勉強中。親になれなかったこと、子供を望むことが厳しい身体だったこと。

自分の身に起きた事は事実、不条理かもしれないけど、子どもと泥団子作ってると幸せよ。

現場は子どもの心、年齢に合った経験、日々の生活を続けられる安定を求めてます。

助け合うが出来る場所。

人を非難、蹴落とす側に居なくてよかった。


#未来のためにできること

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