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食べることは生きること

食べることは生きること。

親子丼を食べ時の話し。

いやぁたまらん、あーたまらん美味い!トロトロが口の中に幸せを運んでくるー!鷄肉のかみごたえが弾けるー!食べて身体があったかくなる!幸せー。

出汁の香りがその場の空間を演出してなんと優秀なのだろう、鷄肉と卵が仲良く一つの丼に完璧な芸術だな作品をしている。

落ち込んでるとなかなか食事を大切にできない時があったりする。1人だと余計にね。

幼馴染と食事をしてるとお互いの話したいことがすらすら言葉で語られる。

親子丼食べながら心の声を言葉にしてみる。

「なぁ?このどんぶりの中には親鶏と卵?子ども?仲良く入ってるね〜。なんかいいね、優しい感じ、争ってないよね、調和してんのかな?」

「そうだね、うらやましい家族像かもよ〜。人間より理性的で愛情たっぷりっで美味しい!」

この時点でこの世にこの2人の会話はお互いの親子の話で、一般論や論理に基づいたりしない、幼馴染とのありふれた会話である…偏りがあるかも…。

うちらは自転車の乗り方を練習する幼い頃から一緒に育った。食べるもの、遊ぶもの、周りの環境も似てた。

社会人になってそれぞれ仕事につき、会うと気が楽で言いたいことを話したいだけ話した。

「どんぶりって、家族とか知り合いとか混ざり過ぎると溢れてぐちゃぐちゃになる気がする」

ちょうどいい大きさ、ちょうど心地よい材料、量とか適度な良さ…あるのよ…きっと…
んー、悩ましいどんぶりの中身。

どんぶりの中に相性のいい食材は歓迎され、刺激物だらけのちょっと引いてしまう食材が集まると気まずい…。

お互い親が厳しかった、大人になって困らないようにをバシバシ生活の場面で注意を受け、記憶には褒められたー!より怒られたー…が多い。
おうおう!家でしてやるよ!自転車で遠くを目指しました。
すぐに見つかりました。無力!!
はい、家に戻されまーす。


2人が共通して思う事が、愛されて育った子は醸し出す空気が穏やかな感じであること、満たされてきた人。なんか物腰柔らかいみたいな。攻撃性がない言葉を発する感じ。あくまでもうちらの思う事。

お金持ちとか、社会的地位のあるところに生まれたとかじゃないのよ、相手の言葉に刃を向けない、すぐに言い返さない、否定も肯定も、白か黒かでなくて、理不尽や悲しみに明け暮れたり、愕然とした時に正解より、となりにそっと、その場に居て同じ時間を共有する。ただただそばに居てくれた人が、悩んでる自分の呼吸を楽にしてくれる。

ありがとう。の言葉に精一杯の感謝、泣くほど辛い気持ち、前を向きたい気持ちを込めて伝える。

やれ、人間関係を親子丼に例えたいのだ。どんぶりの中で、母、父、子、兄弟、祖父母産まれて初めての社会で、言葉のコミュニケーション、触れ合うアタッチメント、否定されすぎない、完璧を求められない、よく聞く「ありのまま」を愛された感じ?感覚?居場所が安定してある様子、安心、安全がある状態、平穏な日々。

うわぁ、それな、これな、うちら欠けてるー。

中学の時、どんぶりにの中で爆発の鬼母上と、大人を嫌う反抗期ど真ん中の子が入れられてうまくいかん!バチバチどんぶり破壊ぶっ飛ぶー!憤慨、イライラ爆発して、こんな日々を繰り返して良く生き抜いた!!母も負けない、引かない、手強い、くっそー、気力の勝負じゃ!!ここから長いこと反抗期が止まらなかったわけである。

小学生の低学年の時、テストでいい点取ったら褒めてほしいからプリント見せるでしょ?

あぁ〜100点じゃないと相手にされない事を知ってしまった。無視されれば子どもだったから自責して親に謝る、ろくに聞いてくれないのはわかってても許してもらって安全な安心な心身の居場所を確保しようと行動するものだ。

本気で思った事は自分は、この家の子ではなく川で拾われたとは、本当かもなど思い始めた、その矢先、自分の身の回りの所持品整理を、母の思う、完璧にこなせなくて、ランドセルをダストボックスに捨てられたことがあった。注意されるより衝撃的な視覚情報として脳裏に刻まれた。

ただ、仲良く、狭くていいから親子で仲良くどんぶりに収まりたい。ただそれが願いだったと思う。

書ききれないけど70を過ぎた母の強さ、負けん気、変わらないこだわり、それでも身体は痛い処増えたりしてて、心配だけど、言動においてとげが減らない、何故だ?まぁるく、まぁるく穏やかにならん!!

幼馴染とまた親子丼食べれたらいいな。

食べはることは生きること。

生まれて、生きていくために食べることが大切かは教わったんだ。

100点じゃなくても褒められてみたかったという
苦い記憶があっても、食べることをやめないように。

現在、毎朝、永谷園のお茶漬け様にお世話になってる。感謝感謝です。



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