捨てなくていいもの。
不整脈のお薬をもらいに行かなきゃ、行かなきゃと思いつつ、なかなか足が向かなくて、雨の日なら混んでないかな?と思い病院へ行き…
診察まで2時間かかった。待合室は20人くらい入れる広さに、その日は10人くらいの方が待っていた。最近はネット予約で待ち時間の短縮をできるようだ。時代の波に乗れてない、小さなため息が出た。
ぼっーと、する時間が流れる。何をするでも無くただ呼吸して、椅子にもたれて沈黙の中、行儀よく順番を待つ。オルゴールの優しい音が流れていてなんだか特別な時間のように感じた。思考回路が自然に止まった感覚。
いつもなら仕事してても、家事をしてても、休んでいても「選択」を繰り返してて。慌てふためいて、足が2本じゃ足らないじゃないか!?くらいは思っていた。
自分の意見を捨てて。
怒りを捨てて。
悔しいとか悲しいとか感じることも捨てて。
その繰り返しから、待合室のオルゴールの音は、救ってくれたのだ。病院だから、静かに、しゃべらず、騒がず順番を待つ。普通のことなんだけど。
当たり前のこの状況が、素敵すぎる!!キャンプで自然体験もいい、フェスで騒ぐのもいい、グイグイ満たされに行かなくても、こんなにも身近な所に!!
安全で安心できる非日常的空間、そして清潔が保たれてる場所が素晴らしすぎる!!
心の中で固く結んでいた紐が緩まった気がした。
日常生活の何もかもから解放されたらなぁと感じてしまった。
NOと言う気持ちを表に出すことを捨てて。
理不尽な事だと感じる気持ちも捨てて。
焦りや不安だらけなのに疑問を抱く事も捨てて。
なんだか、時計のネジのように正しく、歯車を止めないでリズム良く毎日を過ごす事に必死すぎて、それが当たり前で、歯車が噛み合わなかったり、リズムが崩れると、価値のないモノへと変わってしまう怖さを持っていたから。
固く結んだ紐が緩まないよう最善を尽くしてたから。
待合室の空気に「休憩」を許された気がしてたまらなくほっとした。早く順番来ないかな?など考えなかった。
自分の隣に、小柄で腕の細いご高齢のご婦人が座っておられてて、なにやら手元でカードを探している様子だった。隣だから直視するのは失礼で視界に入る限りの情報。
看護師の方がご婦人のぞばで目線を合わせしゃがむ。
「診察券ありましたかね?」何度も他のカードやらいろいろ確認してる様子だった。看護師さんは期限切れの紙なども一緒に見て周り、今、必要か必要でないかをご本人に声をかけながら患者さんの不安軽減に努めていらしたのだと思う。
トイレに行きたくて離席して戻ると自分の座ってたところはもう他の方が座ってらしたので他に座った。
カードを探していたご高齢のご婦人の隣へ「ありました?」と言って座る順番待ちのをしてる方が座った。背の高いスラッとした女性の方だ。
「看護師さんと話してるの聞こえてたから気になってね」と。
さりげない。とても自然だ。
自分を恥じた…隣でご婦人が困ってるのはわかってた。看護師さんが声をかけてるし大丈夫であると思い、私は「待合室」という安全で安心できる非日常的空間に浸り、現実から解放されて安堵感を味わうだけ味わっていたのだ。
なんせ、病院を出たらこの安堵感も忘れ去り捨てて忙殺するいつもに戻らなきゃいけないからだ。
背の高い女性がご高齢のご婦人に気軽に声をかけている。一見バスの中や電車の中で席を譲るのとは少し違う風景に見えた。
「カードやらまとめてるのにたまにどこに置いたか忘れちゃう事あるわよね」と。
するとご高齢のご婦人が「歳をとりたくない」。
一言、応えた。「もう92歳なの、戦争もあったの歳はもうとりたくない」
人間力なのか…普通に話しかけた背の高い女性がかっこよく見えた。
話しかけるのに勇気がいるとか、声をかけるのをためらうとかそんな理由を飛び越えた瞬間を目の当たりにした。
親切がおこがましくも、上からでもない、寄り添う感じ…。やりすぎない感じ…。
人として忘れていた部分を見た気がした。
忘れてたんじゃない、きっと捨ててたんだ。
日々のタスクをこなすために有効な手段として、気持ちや本音を捨てて、人間味を装い、人間らしさを捨ててたんだ。
今からでも間に合うだろうか?取り戻せるだろうか?どんな人でありたかったか?
捨ててきたものの中に、丁寧に扱わなきゃいけなかった「気持ち」を今一度考え、掘り起こし、整理して、大切にして生きていく事を「選択」できるだろうか?
そこへ看護師さんから声がかかる。
診察の番が巡ってきた。診察は5分で終わった。
会計を済ませて、待合室を見ると周りには2人しか人は居なかった。
捨てなくていい。
捨ててきてしまったものを探さなきゃ。
このまま歳を取るのは違うと感じられたのだから。まだ身体が動く、まだ喋れる、まだ働ける、まだ歳を取れる、まだ何か変われる。
この気持ちを捨ててしまわないように。
外はまだ雨だった。少しため息が出る。さて、お薬をもらいに行かなきゃ。