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優しい記憶と将来の夢

スラスラ言葉になると思いきや書けない、言葉に置き換えるのが難しい、ぽわんと頭に浮かぶ淡い柔らかい記憶。
蝉の声、夏の日差し、海、小さいアマガエル、井戸水、冷たいきゅうり、初めて蚊帳で寝たこと、星空、お祭り、花火、お泊まり保育、単語だらけ。文になってない。

海に近い祖母の家は茅葺き屋根の家で大きな庭とたくさんの木々があって、下から上を見上げると揺れるサワサワする葉っぱの向こう側に太陽の光がキラキラ顔を覗かせてた。気持ちよくて深呼吸する。土の匂いと海風の匂いが身体を巡ってた。

紫陽花の花はむらさき色だった。大きな葉に小さいアマガエルが隠れてて小さい目ん玉が可愛くて捕まえたくて、触りたくて、手を伸ばした。もちろんアマガエルとの鬼ごっこはアマガエルの勝ち。

海の砂浜は走ってもなかなか思うように進めない、必死に右足と左足を前に出してとてつもなく青く広い海へと向かう、走ってるつもりなんだけどね、砂浜に勝てない。ようやく波際に到着、押しては返す波に面白さを感じる身体が喜ぶ、海の中へとじゃばん!っと飛び込む。気持ちー!たのしー!身体に巻きつく波と砂がアトラクションのように面白い。

ばあちゃんちへ帰るとベタベタな身体を井戸水で洗い冷たいきゅうりをかじった。満足という感覚、きっとこの瞬間だな。花火はかわいいと思った。

蚊帳で寝たのはこれが最初で最後だった。

安心と満足と温かい気持ちと嬉しさと終わって欲しくない今日を思って心がぽかぽか優しい気持ちだった。そこには、その日の全てには私の隣には父と母と弟が居た。ばあちゃんも居てくれた。

消えない記憶。淡くて形のない手を伸ばしても触れない抱きしめられない記憶、それでも思い出すと微笑める記憶。夏が終わる頃たまに思い出すありがたい記憶。

お泊まり保育、多分これが保育を目指した原点。
書きながら鼻の穴が膨らむ。ちょっと心がトゲトゲする。ばあちゃんが布団やら毛布やら用意してくれた。持っていくものを深緑色の大きな風呂敷見たいな布、柄は蚊取り線香みたいな渦巻き模様。家にあるものでばあちゃんが忙しい母に代わり用意してくれた自慢の荷物!

楽しい気持ちのまま帰るはずだった私。

私の後ろからの笑い声、クスクス笑う声、不穏なクスクスした笑い声。何?
振り返ると先生たちが私の荷物をまとめてる自慢の深緑色の布を見て笑ってた。

泥棒が逃げる時に使うやつみたいね、ふふっ。

悲しみかな、怒りかな、腹がたったの覚えてる。5才でもわかる。褒めてもらってないこと、笑われてること、あー、そういう大人が先生だったんだってこと。5歳だけど決めたよ。

そういう大人にならない事。絶対悪口を言わない先生になってやると。将来の夢を決めた朝だった。

ばあちゃんがくれた夏の優しい思い出、家族と過ごした優しい思い出、心に残った記憶が力になった。

いろいろな人にいろいろな記憶がある。背景がある。語らないだけで心に伏せてる記憶、大切な記憶があったりするのだろう。

お祭りの事を書くの忘れた。


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