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おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!

 おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!
 あらすじ
 昭和的価値観を持ち続けていた父親、沖田誠はひきこもりの息子翔(かける)の友人五十嵐大地にゲイと伝えられる。沖田誠は五十嵐大地と友だちになり友人関係を通じて価値観をアップデートしていく。また父親沖田誠を中心に母親、沖田美香、姉、沖田萌、息子、沖田翔がそれぞれ変化していく。さらに沖田誠の勤め先である会社でも変化が起きる。
 本作品について、以下の3点について記述したい。それは、第1に暴力について。第2に叩かれる父親について。第3に多様性についてである。
 第1の暴力について
 『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』(以下おっパン)は暴力的シーンが多く見られた。ここでは暴力的シーンとは人が他人のプライバシーの領域に踏み入ることとする。例えば五十嵐大地が冒頭で沖田誠に友だちになることを提案することなどが挙げられる。この点は昨今暴力的シーンが少なくなった日本において貴重な考える場面を示している。もちろん多くの暴力的シーンがうまくいくとは限らない。アウティングをした場面は失敗例だといえる。
 『おっパン』において暴力的シーンはドラマの特徴であるといえる。『おっパン』は全体的にみんなが身体を張っているドラマであると思う。また人が変わる、人と人が出会うというのは本質的に暴力的であることを示しているのかもしれない。
 第2の叩かれる父親について
 『おっパン』において印象的だったのは叩かれる父親である。特に叩かれたのは沖田誠と沖田誠の上司である古池さんである。この二人はドラマのなかでアップデートできていないダメな人として叩かれる標的となった。さらに象徴的なのは沖田誠と屋上の喫煙所で話し合う場面である。この喫煙所は『おっパン』において終始その二人しか訪れていない。以上のことをまとめると『おっパン』では父親は叩かれる存在であり、孤独を強いられるといえる。
 次に特徴的なのが叩かれる父親が可哀そうに見えないことである。仮に沖田誠にしたバッシングをひきこもりの息子翔に同じようにしたとすると相当可哀そうになる。しかし父親が叩かれていてもとくに可哀そうにならない。これは『おっパン』の魅力である。付け加えると日本の社会がまだ男性中心な社会である証拠かもしれない。
第3の多様性について
 『おっパン』のテーマは多様性、父性、家族愛、偏見、時代錯誤などがあげられる。そのなかから多様性について感想を述べる。多様性とはなにか、『おっパン』のなかで描かれている多様性とは、「ありのままを認めること」だと思う。ダメな父親もパートの母もオタクの姉もひきこもりの弟もゲイの友人も堅物の父親も、十人十色で構わないというのが前提としてあるようにみえた。これは長所である。逆に短所となるのが、十人の意見を一つにまとめることである。ここに正面からぶつかったのが最終回である。五十嵐大地の父親五十嵐真一郎と沖田家の価値観が正面衝突をした。多様性の立場から考えるならば五十嵐真一郎の考え方も尊重するのが基本になる。一方で五十嵐真一郎は社会の規範を掲げた。この対決の結論を出しにくいのが多様性の特徴だと思う。
 付け加えておくと『おっパン』は多様性だけが主なテーマではない。あくまでも全体のなかの一つの要素である。
 『おっパン』の結論について多様性という視点から考えてみる。多様性とは先ほど述べたように十人十色で構わないという性質がある。つまり多様性と結論は馴染みにくいと考えられる。なぜなら結論とは一つに収束する性質をもつからである。この性質から考えると『おっパン』の結論がまとまっていないのは必然的なことである。

 『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』はFODプレミアム(有料)で見れます。
 FODのURL
 https://fod.fujitv.co.jp/register?waad=hbk4LjGS&ugad=hbk4LjGS&utm_source=google&utm_medium=cpc&utm_campaign=3_brand_AB&utm_content=brand&gad_source=1&gclid=EAIaIQobChMItMyv1q-bhQMVmi97Bx1REgygEAAYASAAEgLR5_D_BwE

 



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