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躾は子供に対して無意味

子供に対して「躾」を重んじる親は未熟者です。

なぜなら躾で身は美しくなっても心は美しくならないからです。

身綺麗で人を平気で傷つける人は周りにいませんか?日本ではかなりエンカウント率が高いと考察します。これには親の感情が躾の質を変えたと提言します。本来「身なり」や「所作」と言った礼儀作法を教えることが躾のはずがマインドセットに用いられるようになって歪んだと推奨します。心が美しい(純白)人は相手の汚れを拭き取ってくれます。心が汚ければ汚れを拭き取ること(受容)は出来ませんし、余計に相手を汚して(罵詈雑言)しまいます。心を美しさは「寛容」で決まります。決して相手を思い通りに動かして得られるものでは無いのに親は決まって子供に言うことを聞かせようとします。

例)子供に遊んでと言われたが夕飯の準備で忙しい時
悪い親:(忙しいから)今は無理だから後にして!  (自分優先)
良い親:今は遊んでご飯は簡単(レトルト)でいいや!(子供優先)

親は手間をかけて健康的なご飯を子供に与える「べき」と思うでしょう。しかし、やりたいことを強制的止めさせられた子供の心には悔恨が残ります。幼少期の悔恨が多い人は寛容から遠ざかると考察します。

これば親からそう躾けられたからと想定します。その親も間違えなく、そう躾けられたのでしょう。前時代的な慣例を学びで撤廃し、自己受容を昇華し他者受容が出来れば「躾」は身を美しくするという本来の役目に戻ると推量します。

身を美しく保つことが日本の文化です。


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