二世帯住宅が完成しない #18 仏壇
突然だが、皆さんはお仏壇について真剣に考えたことはあるだろうか。
まだまだ先の話でしょ。と頭の隅にもなかった我々は二世帯住宅を建てるにあたって、仏壇問題に直面していた。
「嫌よ!リビングにお義父さんの仏壇なんて辛気臭い!」
ヒステリックな声が実家に響く。
2021年春。我々は二世帯住宅(完全分離型)の詳細設計を進めていた。
新居の親のリビング一角には、家の構造の関係で半畳ほどの凹み空間が1つあり、そこをどう使うかについて議論がされていた。
「将来、オヤジの仏壇を置くのにちょうどええやろ!」
あの世行きを首を長くして待つ祖父(97)は、立派な仏壇を所有している。大人の高さほどあり、観音開きスタイル。昔ながらの THE 仏壇である。
父は、祖父の願いが叶った(永眠)ときは、長男としてあの仏壇を引き継がなければと考えている…
というより、すっぽりはめるテトリス感覚で「ちょうどええ」と言っていることを、横で見守る私はわかっていた。
「それに、なんでそっちの仏壇メインで考えてるん?私のとこの仏壇は?」
母は一人娘のため、母の部屋にも仏壇があるのだった。
「こっちの仏壇にまとめたらええやろ。」
「嫌やわ!」
母よ、これは結婚前からわかっていた運命だろう。しかし、歳月はどんな覚悟もなし崩しにしてしまう容赦ない力を持っているようだ。将来の私も、夫と同じ墓に埋まりたくないのだろうか。
「まあまあ」と私は割って入る。
仲裁の達人である私の「まあまあ」のタイミングは、我ながらいつも絶妙だ。言いたいことを言い合った後の第三者の意見は、一番聞き入れられやすい。
「うぅ~!」
孫である0歳の娘もいいタイミングで参戦する。さきほどまで目尻を吊り上げていたのがウソのように、ジジババはニコニコになる。まるで二重人格。あんな優しい顔は私にも見せたことがない。
正直、親のリビングに仏壇を置くかなんて、私にとってはムカデVSゲジゲジの戦いくらいどうでもいい話だった。ただ…
「そのスペースは造作棚を作って、収納スペースにした方がよくない?」
実家はモノが多い。リビングはいつもモノがごちゃごちゃ。何度か断捨離させようとするも、「まだ使えるから…」と捨てられずに終わる性格の2人だ。
「それに、あの大きな仏壇は地震で倒れたら危ないし…」
さりげなく両親のことを案じる。仲裁の達人は時に女優になる。本心だが。
「仏壇は圧迫感も強くてインテリアになじまないかも…」とさらに畳みかける。
「ふむ…」と納得するような顔を見せる両親。…よし。私はテーブルの下でガッツポーズをする。
「こうなったら…」
母は思いついたように切り出す。
「仏壇はあんたらのスペースに置かせてくれへん?」
「その手もあったか。子スペースは広いしなあ。」
珍しく両親の意見が一致し、私を見た。
仲裁の達人は、ガッツポーズを怒りの拳に変換する。
いやいや、子スペースの方が広いといっても、こちらには子どもがいるので分相応の広さだ。それに両親が健在にも関わらず、嫁の旧姓の仏壇を置くなんて、仏壇もアウェイだ。
「3階の物置でもいいから…」などと食い下がる両親。ご先祖様をなんだと思っているのか…。
関西人にお知り合いがいれば、「お仏壇の…?」と振ってみてほしい。
「浜屋~♪」と返ってくるだろう。このCMソングが我々には根付いている。
浜屋のCMは、爺さん婆さんが好みそうな立派な仏壇がずらっと並び、なんとも渋い。やはり仏壇といえば、サザエさんの客間にあるような、黒っぽくて大きなものを想像する。
しかし、ご存じだろうか。最近の仏壇は大変コンパクトになっている。
我々は、浜屋でなく、最近進出した西日本最大級という仏壇専門店に足を運ぶ機会があった。
「なんだ…ここは。」
店内を見るや、私は衝撃を受けた。
何も知らずに入ると、インテリアショップかと思ってしまう。ゆったりとしたインターバルで並べられた仏壇は、コンパクトかつオシャレであった。
アンティークな鏡台のようなデザインや、電子レンジよりも小さな木箱など。圧迫感はなく、一見仏壇にも見えない。これがトレンドの「モダン仏壇」らしい。
思えば、時代は都心部を中心に狭小住宅やコンパクトマンションがバンバン建ち、ミニマリストが急増している。一般家庭に大きな仏壇なんて置いてられない。
そんな時代に合わせるように、知らぬうちに仏壇も進化を遂げていた。
私の隣で目を輝かせた母は言う。
「お母さんの仏壇…これにしてくれる?」
壁掛けTVが流行っているが、なんと仏壇までとは…。
扉はスライド式で、閉めると存在感が消え、開くと月を思わせる神々しさ。場所は全くとらず、究極のコンパクトだ。
つい自分の死後の下見をする母は言う。
「仏壇も時代に合わせたものに変えておかないと、子ども達の負担になっちゃうわね…。」
モダン仏壇のおかげで、両親の固定観念は変わりつつあった。
両親や義両親がいなくなった時、私たちは仏壇を所有するのだろうか。
仏壇はご先祖様や亡くなった親族と気軽に対話するためのものである。
ただ、それなら故人を写真タテに飾るだけでも十分なのではと思ってしまう。これは身近な人の死を経験していない人間の浅はかな考えなのだろうか。
祖父は毎年、盆にはお寺さんを呼び仏壇前で供養してもらうが、少なくともうちの両親はそこまでの信仰心はない。墓参りの習慣もない。
なぜ現代人はご先祖様への意識が薄れているのだろう。
今は医療技術が発展しているので、比較的長く生き、亡くなる頃には家族も心の準備ができているケースが多いことが関係しているのではないだろうか。
昔の人は急に死ぬのが多かったこともあって、心の穴を埋めるように、大事に弔っていたのかもしれない。
仏壇など法要にどう重きを置くかどうかは、ケースバイケースだが、次世代の多くの場合は、弔いへの意識が薄くなるのではと思う。
私も大往生できたなら、死後は葬式なんて開かずに直葬してもらい、遺骨は瀬戸内海にでも散骨してほしい。「大阪湾はなんとなく嫌かな」と遺書に書こうと思っている。
…といっても、50年後はやっぱりちゃんと自分を弔ってほしいと思うのだろうか。たぶんその時の自分は今とは別人だろうから。
新居に仏壇を置くときは、壁掛けなどコンパクトなものに買い替える方向で意見がまとまった。仏壇を押し付けられることがなさそうで私はホッとする。
「『親リビング一角の凹みスペースは、造作棚でお願いします。』っと」
私は設計士Sさんにその他の保留事項も含めてメールした。
すると、珍しくSさんから電話が来た。
「大変申し上げにくいのですが…。」