自己紹介〜②入庁してから転職を決意するまで〜
さちゃです。
前回は拙い文章をたくさんの人に読んでいただきありがとうございました!
今回は実際に県庁に入庁してから転職を決意するに至るまでを書きたいと思います。
私が配属されたのは全然地元ではない、より田舎の保健所でした。
全く土地勘のない場所での配属初日は、異動により勢力を総引っ換えになり残された既存メンバーがコロナでパニックになっている状態でのスタートでした。
辞令式もなく、同期もいない。
入職にあたる事務手続きのやり方も誰にも聞けずひたすら慣れないパソコンのシステムでマニュアルを読み漁り、少しずつ手続きをして初日を終えました。
辞令式は後から聞いた話だと本庁ではやってたみたいです。出先機関の人権なさすぎィ。
私の担当業務は性感染症を含む感染症でした。私の県庁は業務分担制です。
このときは純粋に現在ホットな業務に携われる!とポジティブに考えておりました。
しかし、実際には主担当以外の全員の保健師がコロナの感染症に尽力している状態。その中で「あなたは感染症担当なんだから」と上司から圧をかけられ、みんなで頑張ろうという雰囲気はまるでなかった。
4月の後半からバリバリコロナ対応をし、4月で残業20時間、5月以降は50時間を切ることはなく、80〜120時間を超える月が連続しました。
5月からずっと下痢、腹痛、胃痛、不眠過眠、食欲不振の症状が続き、半年で10キロ落ちてしまいました。
コロナ対応はクラスター対応、オリンピックパラリンピック関係の関係施設の感染対策指導などたくさん保健師として経験を積めました。
そしてたくさんの患者さんからの感謝を感じる機会が多く、保健師としての経験ややりがいを得ることができました。
しかし楽しかったことや嬉しかったことよりも、辛かったことや悲しかったことの方が多かったなあ。
甚大な時間外労働や精神面で追い詰められたゆえの自身の体調不良、患者さんや感染者が発生した施設からの暴言やハラスメント、上司や同僚を頼れなかった環境、行きつけの居酒屋の閉店、そして家族の死。
不幸になるのが自分だけだったらよかったのに。
転機が訪れたのは2021年11月、第5波が終息した後でした。
体調不良や激務の中でも、感染拡大の波が落ち着いた時は友達とのご飯や大学時代から通っている料理教室に行くことができました。実に半年以上ぶり。
その時、しばらくぶりにご飯が美味しいと感じられました。
それだけでなく、ご飯を食べたり作ったりしながら他の人と話すというような食事を通したコミュニケーションの心地よさ。
元々私は誰かとご飯に行ったり、食事やお菓子を作るのが大好きでした。
入庁してからまともにご飯が食べられなかった自分にとって「食」はもう切り離せない大切なものだったと気づきました。
この時から「食を仕事にしたい」と強く思うようになり、転職することを決意しました。
私のように辛い思いをしてる人に食の面から寄り添いたい。私が誰かとご飯を食べたり料理教室に行ったりして得た食を交えた体験やコミュニケーションで救われたように、食を通じて思い出を提供したい。
これが私が転職を決意したきっかけです。
実際に転職活動を本格的に始めたのは今年の6月で、それまでの間は自己分析をしておりました。
保健師から離れる決心をするには時間を要しましたが、この時間があったから私は「絶対食に関する仕事をする」と気持ちを強く持てた気がします。
長文乱文をここまでご覧くださりありがとうございました。
私の実際の転職活動の流れについても今後お話しようと思います。
ご興味のある方はまた覗いてみてくださいね。
ありがとうございました。
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