ヴィルヘルム・ケンプによるバッハ/ゴルトベルク変奏曲
先日のコンサートの道中、ブックオフに寄って購入したアルバム。もし見つけたら購入しようと密かに思っていたケンプ盤のゴルトベルクに、まさかこうして出会えるとは夢にも思わず、コンサート開演前にも関わらず満足感を味わったのだった―。
グールド盤を筆頭に、数多くの名盤に恵まれているバッハ/ゴルトベルク変奏曲。ピアノ以外でもオリジナルのチェンバロによる演奏や、弦楽への編曲、室内アンサンブル版まで現れ、多種多様な「変奏」を楽しめる。かくいう僕も世に出回っている数種類のグールド盤を可能なかぎり全て聴いた。デビュー以前の放送録音のロマン性に驚いたり、ライヴ盤独自の音楽の流れに納得もしたりした。今手元にあるのは、デビュー盤以降のライヴ録音 (バンクーバー・ライヴ盤) と、81年の映像版である。
ファジル・サイの演奏はアリアから既に変奏が始まっているかのようだ。
ジャック・ルーシェ・トリオによる演奏から―。
小オーケストラのための編曲版。ピノックが指揮していることに驚く。
フレットワークによるヴィオール合奏で。どこか東洋的な雰囲気がある。
オリジナルの2段鍵盤のチェンバロによる演奏で―。
当盤音源によるケンプの演奏。きっと驚かれることだろう―。
日本盤企画の「ケンプ名盤1000」がアンコールプレスされた全20点中の1枚である当アルバムは1969年録音。1955年のグールドによる鮮烈な録音以降、幾人かのピアニストが挑戦してきたが(あまり表沙汰にならないが、グールドより10年も前にアラウが録音していた)、このケンプ盤にはそんな気負いや挑発的なスタンスは一切感じられない。ただただ音楽に深く感じ入り、端正かつシンプルに音楽を紡ぐだけだ。上記のアリアの演奏を聞いていただいてお分かりのように、ケンプは装飾音を極力省き、アリアの骨格を浮き彫りにする。それは静かな衝撃というべきもので、一瞬何を聴いているのかわからなくなるほどだ―僕たちはそれだけ装飾されたアリアの演奏に慣れてしまっているのだろう―。あまたある録音の中でもケンプのように弾いている例はなく、当盤が唯一だといっていい。グールドの81年再録音盤では、最後のアリア・ダ・カーポで装飾音なしのシンプルなトーンで曲を終了していたのがひどく印象的だったが、ケンプは最初から最後まで「その境地」なのである。なぜ彼がそのような選択をしたのか、正確なところはわからないが、続く30もの変奏のために、装飾なしのテーマをしっかり提示しておきたかったのかもしれない。しかもテンポも流れるようにさらっと弾き、情緒や瞑想性を強調しない。あくまでもサラバンドを基にした変奏テーマにすぎないのだ―作品のオリジナルタイトルは「2段鍵盤のチェンバロのためのアリアと種々の変奏」(クラヴィーア練習曲集第4巻)である―。シンプルな音の連なりを聴いていると、現代が如何に過剰な音たちに囲まれているのかを気づかされる―そしてそれらを楽しんでいる自分にも。
1942年録音のクラウディオ・アラウによる演奏。おそらくはピアノによる世界初録音であろう。
アラウは同時期に録音されたランドフスカ盤への敬意ゆえにリリースを躊躇したそうである。
コレクション中、ケンプのアルバムはこれで2枚目となる―1枚目はピアノ協奏曲集だった―。どちらといえば美しくも強度の強いピアノ演奏が好みな僕だが (だからロシア・ピアニズムが好きなのか)、ケンプの優しいピアノの音色には本当に癒される思いがする。それはこのゴルトベルク変奏曲でも同様で、アリアに続く第1変奏をこれほど優しく弾き始めるピアニストは皆無なのではないだろうか―誰もがこの「長旅」の始めを闊達に弾くのに。事実、多くの変奏でケンプはピアニッシモで弾き始めるのである。複雑な書法の変奏においてもテクニックの破綻が見られないのも素晴らしい。「2段鍵盤のチェンバロのため」に書かれたこの作品は、全30変奏の半数近くが「2段鍵盤用」と作曲者によって指定されており、それらの変奏ではドメニコ・スカルラッティのソナタのように華麗で高度なテクニックが要求される。それを (1段の) ピアノで弾くことの難儀さはいかばかりであろうーそういう意味でもグールドは本当に凄かったのである。ケンプはグールドのように高速演奏はしないが、中庸の速度で殆どテンポを変えず臨んでいて、通常テンポを落としがちなアリアや変奏ではかえって速く感じる。ピアノを強打する瞬間は2段パート指定の変奏くらいで 、他は穏やかさをたたえた静かなる奏楽となっている(第26変奏以降は2段パートが続く至難なナンバーである)。
静謐なアリアや名人芸が聞かれる変奏以外で聞き所となるのは、僅か3曲しかない短調変奏だろう。特に、グールドが「私の知る限り最も厳密で美しいカノン」と讃え、「非常に感動的で苦悩に満ち、同時に高揚感を与えるので、マタイ受難曲の中にあっても決して場違いではないだろう」と絶賛しているアンダンテの第15変奏や、ランドフスカが「漆黒の真珠」にたとえたアダージョの第25変奏は、正直誰の演奏で聴いても感動してしまう。奏者や楽器の違いを超えたところに位置している音楽であろう。ここは、ケンプの慎ましい演奏を噛みしめつつ味わうのみだ。最終変奏となる第30変奏では、2つの童謡が重なる「クオドリベット」をケンプが慈しみ深く弱音で奏でる。凱旋のように高らかに響かせる演奏が多いなかで、とても印象的だ。
なおケンプは、リピートを適宜実行している。
当盤音源より、全曲を―。演奏時間は約63分。
以下はゴルトベルク変奏曲の覚書である―。
(自分用)
この作品は「変奏曲」であるが、メロディではなくベース音が主に変奏されてゆく、古来のパッサカリアやシャコンヌの形式に近い。バッハ自身、楽章以外での「変奏曲」は極めて少なく、思いつくのは「コラール主題に基づく変奏曲BWV768」くらいだろう。
コラール「慈しみ深きイエスよ、汝を仰ぎまつらん」に基づく様々な変奏曲(パルティータ)BWV768。
コラールと11のパルティータ(変奏)による。
バッハが敬愛し、ブラームスが深い関心を寄せたブクステフーデによるパッサカリア ニ短調BuxWV161。オスティナート形式の変奏曲だ。
ヘンデル/シャコンヌ ト長調。ベース音がゴルトベルク主題と酷似している。作曲時期はバッハより先だ。
バッハ/14のカノンBWV1087。ゴルトベルクのアリアのベース8音に基づく。有名な肖像画が持っている楽譜がこの作品のものであるらしい。
アリアの原型は「アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳 第2巻」に現れる。これだけがオリジナル譜として残っており、変奏曲の本体はコピー譜のみ。19部残っていると言われている。
バッハ(シュテルツェル)/「お前が私のそばにいてくれたら」BWV508。「音楽帳」にアリアと一緒に載せられている。何か似ている―。
通称「ゴルトベルク」なる奏者が関わる逸話も、現在では否定的な意見が多い―確かに年齢は若くとも(14歳!)、卓越した鍵盤奏者であったことは確かなようである―。いずれにせよ、この名曲のおかげで彼の名前は永久に記憶されることとなった。
この長大な変奏曲の中に、バッハは当時のあらゆる音楽様式を詰め込んだ。まさに集大成的な作品である。
例えば「ポロネーズ」(Var.1)、「トリオ・ソナタ」(Var.2)、「カノン」(3の倍数)、「パストラーレ」(Var.3)、「パスピエ」(Var.4)、「ジーグ」(Var.7)、「フゲッタ」(Var.10)、「トッカータ」(Var.29)、「フランス風序曲」「フーガ」(Var.16)、「メヌエット」(Var.19)、「サラバンド」(Var.13,26)、「クオドリベット」(Var.30)など…。
カンタータ第156番~シンフォニア。「アリオーソ」で有名なメロディ。ゴルトベルク変奏曲の第3変奏との関連も―。
最後のクオドリベットで用いられた2つの民謡の出典をバッハは明らかにしなかった。伝えられているところによれば、バッハの弟子がこれらを特定し、現在まで知られているという。
① 「Ich bin solang nicht bei dir g'west, ruck her, ruck her」(長いこと御無沙汰だ、さあおいで、おいで)
②「Kraut und Rüben haben mich vertrieben, hätt mein' Mutter Fleisch gekocht, wär ich länger blieben」(キャベツとカブが俺を追い出した、母さんが肉を料理すれば出て行かずにすんだのに)
メロディの一部はベルガマスク舞曲に由来するともいわれ、バッハの先輩ブクステフーデもそのテーマで変奏曲を書いている。
ブクステフーデ/アリアと32の変奏曲ト長調「ラ・カプリチョーザ」BuxWV250。
バッハとブクステフーデとの関連は、既にフランチェスコ・トリスターノのアルバムで先見の明が示されていた。ここではシャコンヌBuxVW160を―。
ゴルトベルク変奏曲はどのように19世紀ロマン派の作曲家たちに知られるようになったのだろうか。Wikipediaドイツ語版にはその一端が示されていた―。
そこにはマルチ・アーティスト、E.T.A.ホフマンによる「カロ風幻想曲」(1814)~「クライスレリアーナ」の中で登場するヨハネス・クライスラーが「ヨハン・ゼバスティアン・バッハのクラヴィーアのための変奏曲」(Johann Sebastian Bachschen Variationen für das Klavier, erschienen bei Nägeli in Züric)を演奏し、当時のブルジョア・ビーダーマイヤー社会が偉大な芸術と音楽を把握できないことを明らかにした点が示されていた。当然シューマンは知っていたであろうことは容易に推測できる。無論ブラームスにも伝わったことだろう―彼の「ヘンデル変奏曲」はゴルトベルク変奏曲なしではあり得まい。
イヴ・ナットによるブラームス/ヘンデル変奏曲。
また、鈴木優人氏による100分を超える解説動画にも注目したい。その集中力には素晴らしいものがある。(クオドリベットで他にもコラールの旋律が隠されていることを指摘しているのが興味深い)
マタイ受難曲BWV244~ソプラノによるアリア「われは汝に心を捧げん」。第16変奏の序曲後半のフガート主題に似ているとの指摘が。
以前所有していたガヴリーロフ盤による第25変奏。
演奏時間11分は最も長い部類に属する。
(ケンプ盤は5分弱)