見出し画像

「HAYDN2032」第5集 ―「才気の人」~ハイドン&クラウス/交響曲集

卓越したリコーダー奏者で、イタリアのピリオド・アンサンブル「イル・ジャルディーノ・アルモニコ」の創設者でもあるジョヴァンニ・アントニーニがバーゼル室内管弦楽団を指揮してのハイドン/交響曲集。カップリングとしてクラウス/交響曲ハ短調が収録されているのが興味深い。実際それがこのアルバムの購入理由であったりする―アルバムタイトルからしても、こちらがメインなのかもしれない。



ジャケット写真の秀逸さやライナーノーツの充実ぶり、個性的で実力あるアーティストが揃っているレーベル「アルファ・クラシックス」が、アントニーニと共に立ち上げた壮大な企画がこの「HAYDN 2032」プロジェクトである。ハイドン生誕300周年となる2032年へ向け、交響曲全曲演奏&録音を敢行する。自らの手兵である「イル・ジャルディーノ・アルモニコ」と、ピリオドに精通したフレキシブルな室内オーケストラ「バーゼル室内管弦楽団」を適宜振り分ける。
アルバム紹介文によれば、作曲年代で分けて演奏&録音するではなく、ハイドンの交響曲を「人間の感情の万華鏡」と捉えたアントニーニの意向によるものだという。プログラム構成もアイディアに富み、1枚1枚テーマが決められ、ハイドン以外の作品も演奏される。しかもそれは古典派に限らない。現に第8集「ラ・ロクソラーナ ~ハイドンと東方~」では何とバルトーク/ルーマニア民俗舞曲が演奏されるのだ。

「イル・ジャルディーノ」を指揮してのハイドンとバルトークの妙。

2014年にリリースされた記念すべき第1弾から、ハイドン/交響曲第39番ト短調~第4楽章。煽るような情感に圧倒される。他にグルックの作品を収録。


シリーズではアートワークも充実しており、この第5集では写真家Stuart Franklinが登場。彼の作品「Magnum Photos」(2006-09) からの美しい写真がふんだんに使用されている。本格的にプロを採用してまでのアートディレクションは実に素晴らしく、手をかけてる印象だ―あまりにも素晴らしいので、頓挫しないことを祈りたい。先はまだ長いのだから。ライナーノーツも評論家のみならず、作家も参加しているとのこと (アルフレート・ブレンデルの名も見いだせる) 。もう、何から何までこだわっているのだ。

過去にアントニーニとベートーヴェン/交響曲全集のレコーディングを果たしているバーゼル室内管弦楽団がこのプロジェクトに参戦するのは、実は第5集のこのアルバムからである。基本モダン楽器で、一部ピリオドを使用し、古楽奏法で身を装った印象の室内オケだが、サイズの大きな服がいずれピッタリになるように、徐々に体得していった感じがまるでしない―ライナーノーツにあるオケのメンバー表と楽器を見るとほぼピリオド楽器であった―。同系統のヨーロッパ室内管弦楽団も随分フレキシブルだと思ったが (彼らの透明なサウンドは僕の好むところである)、このバーゼル室内管弦楽団のサウンドは実にこなれていて、スムースだ。「イル・ジャルディーノ」とは好対照の音楽性なのが興味深いが、指揮者アントニーニが全てを止揚してゆく。2024年現在では第21集までレコーディングを完了している (第1~10集までがBOX化)。

バーゼルcoとの第6弾から、交響曲第26番ニ短調~第1楽章。「哀歌」を意味する「ラメンタチオーネ」というタイトルが付き、そのままアルバムのタイトルになっている。第2主題にグレゴリオ聖歌が引用される。

現時点での最新ライヴ。交響曲第76~78番を中心に。


当アルバムではハイドン/交響曲第80番ニ短調、第81番ト長調が演奏された後に、クラウス/交響曲ハ短調VB.142、そして再びハイドン/交響曲第19番ニ長調というラインナップとなっているが、やはり目玉となるのはスウェーデンの作曲家ヨーゼフ・マルティン・クラウス (1756-92) であろう。モーツァルト (1756-91) と時期が重なることからか 「スウェーデンのモーツァルト」という異名を持つが、作風はロココ風ではなくロマン的に聞こえる。実際にモーツァルトと面識があったかどうかについては、それを示す手掛かりは一切存在しないようだ。共通しているのはフリーメーソン会員だったことだろう。もしかするとロッジで出会ったのかもしれないが、憶測の域を出るものではない。

レクィエム ニ短調VB.1。クラウス19歳の作品だが、モーツァルト晩年の傑作と印象がダブってしまう。

2000年制作ドキュメンタリーから。クラウスのレパートリーをおおよそ網羅した内容。演奏がきちんとピリオドなのも嬉しい。


クラウスの自画像シルエット


調査を進めていたら、クラウスとC.P.E.バッハとの接点が浮かび上がってきたことに強い関心を覚えた。エマヌエルの弟子であるワイマールから音楽指導をさらに受けた時、クラウスは「作曲の芸術が何であるかを学んだのはそこからだけだった 」と語っている。
後日エマヌエルはこう述べたという―。

クラウスは、私たちの音楽の世界で最も偉大な人物の1人になることを約束します。私は多くの点でモーツァルトよりも彼を好む。

クラウスがどれほどエマヌエルの多感様式に影響されたのかは定かではないが、彼の、とりわけ短調作品に「疾風怒涛期」の独特の空気感が感じられるのは偶然ではあるまい。クラウスは著作の中で「シュトルム‐ウント‐ドラング」についてこう述べている。

音楽は今そこに存在している感情だけでなく、一方から他方への変化も記述することができます。対照的な音楽的側面は、マイナーモードの優位性、トーンとテーマの頻繁な変化、遠くのトーンでの異常な変調、ダイナミクスの突然かつ暴力的な変化、そして何よりも音楽的言説の絶え間ないドラマ化などに、かなりよく表されています。

 Kraus - Sentences taken from etwas von und über Musik fürs Jahr 1777.

今回収録されている「交響曲ハ短調」はまさに上記のような性質を備えたものだろう。そしておそらく、クラウス作品の中で一番最初にこの世に知られた作品かもしれない。レコ芸でも古典派に強い評論家がこの曲をイチ押ししていた頃を懐かしく思い出す―。クラシックの「百科事典的存在」のNAXOSレーベルがリリースしたアルバムがきっかけだったかもしれない。前述の「キャッチコピー」も功を奏したのか、クラウスは20世紀に再デビューを果たすに至ったのだ―。

実に印象的なハイドンの言葉が残されている―クラウスの死から9年後の1801年、ハイドンはスウェーデンの外交官フレドリック・サミュエル・シルヴァールペ (クラウスの伝記著者でもある) にこう打ち明けた。

クラウスは私が出会った天才の最初の人です。なぜ彼は死ななければならなかったのですか。これは芸術にとってかけがえのない損失です。彼がウィーンで私のために書いたシンフォニーハ短調は、何世紀にもわたって傑作とみなされるでしょう (私は彼のこの作品しか持っていませんが、私は彼が他にの優れたものを書いてきたことを知っています)。このようなものを作曲できる人はほとんどいません。

この言葉はライナーノーツにも記載されている―まさなアルバムタイトルの由来であろう。


さらに興味をそそるのはこの曲が「改訂版」であるということだ―以前の作品は交響曲嬰ハ短調VB.140であった。ハイドンへの献呈のためにマイナーチェンジが図られ、楽章数も4楽章→3楽章にシンプル化しているが、劇性が圧縮されてさらに高まった印象だ。フレーズ同士の連携もさらに練りに練られ、より構成感を意識して作り込まれたものとなっている。まるでシューマンのニ短調交響曲を思わせるケースである。ちなみに作曲された1782年当時、嬰ハ短調を使った交響曲は皆無に等しかったという。

交響曲嬰ハ短調VB.140~第1楽章。こちらの方が実は好きだったりする。何といっても演奏は素晴らしい。地元スウェーデンの実力ある室内オケがピリオド奏法を発揮して果敢に攻める。通奏低音のチェンバロが終わり近くで何気にかますフレーズも実にカッコいい。

VB.142ではカットされた第3楽章メヌエット。わずか2分の音楽。

直情的な第4楽章。やはりこちらの方が好みだ。この後スウェーデン室内管弦楽団はダウスゴー指揮でシューベルトやシューマン、ブラームスなどを演奏&録音することになる。

こちらは本命?の交響曲ハ短調VB.142 (1783)。録音メンバーによるライヴ。今や録音が多数存在する人気曲だが、このアントニーニ盤は良い意味で円熟し定着した感がある。聞いてしまうと数日脳内リピートしてしまう。中毒性の高い音楽である。

序曲「オリンピア」VB.33。ハ短調交響曲との類似を感じる―。

グルック/歌劇「Iphigenie en Aulide」序曲。こちらの影響も色濃い。R.シュトラウス/BPhの歴史的録音。



ついクラウスで盛り上がってしまったが、アルバム1曲目に収録されているハイドン/交響曲第80番ニ短調(1784) は「シュトルム‐ウント‐ドラング」を思わせる高エネルギーが放出される冒頭から始まる。それでも比較的早いうちに長調の世界が支配的になるのはハイドン故か―。第2楽章もそうだが、時折現れる短調の痛切な響きをアントニーニは強調してみせる。ソット・ヴォ―チェの扱いは素晴らしい。暴走するイメージの指揮者だが、抑えるところはしっかり押さえるのだ。印象的なのは第3楽章のメヌエット。第26番「ラメンタチオーネ」でのグレゴリオ聖歌の引用が再現されるのだ (第26番も同じニ短調だった)。フィナーレは長調で明るく爽やかに駆け抜ける。途中浮遊するようなフレーズが出てくるのが面白い。

むしろ、2曲目の交響曲第81番ト長調 (1784) の方に、僕は「シュトルム‐ウント‐ドラング」の影響を強く感じた。第79番からの三部作の最終曲だが、凝った作りだと感じるほど、曲想が面白く変化するのだ。冒頭からその個性は明らかで、和音の一撃のあと、弦の刻みを背景に音楽が歩き出す様はまことに心地よく、お出かけのBGMにオススメしたいくらいだ。転調の塩梅が絶妙で、神妙な表情が一瞬垣間見えてドキッとする。女性の表情にもそんなところがあったな、とつい余計なことを思い出してしまう。第2楽章はデリケートさが際立つシチリアーノの変奏曲。二短調の第2変奏がいいアクセントになっている。ある評論家が言うように「牧歌的な静けさに満ちた平和な楽章だが、特定のシーンを想起させるのではなく、広い空間が無限に続く風景」を想起させる。より個性的なのは第3楽章だろう。叩きつけるようなフレージング。だからだろうか―「メヌエット」表記だが、優雅な感じではなく若干の土臭さが感じられる。フィナーレはまさに「THEハイドン」という言い方が最もふさわしいような音楽。もちろん、不思議なパウゼが突如現れたり、相次ぐ転調といったアトラクション的楽しみもきちんと残されている。

第80番と81番。このプロジェクトのライヴ演奏はほとんど動画で視聴できる。


最後の4曲目にハイドン初期の交響曲を持ってくる辺りがまた選曲の妙だが、11分少々の交響曲第19番ニ長調が演奏されている。自筆楽譜が残っていないので正確な作曲時期は不明だが、1760年辺りと推測されている。前曲がクラウスの個性的な作品だったため、息抜き (あるいは食後のデザート?) の印象もなくはないが、この選曲の意図は第2楽章で明らかになる。ニ短調のアンダンテなのだ。これでアルバム冒頭曲と調性上リンクする。見事な起承転結である。

第2楽章。ホグウッド/AAM盤で。この曲は今回初めて聴いたものの1曲。

2020年にいきなり登場したオラトリオ「天地創造」のアルバム。交響曲録音ばかりかと思っていたが、これは番外編であろうか―。

ブログの結びに再びクラウスを。交響曲ハ短調VB.148 (1792) 。「葬送交響曲」と命名されたこの作品はクラウスが仕えていたグスタフ3世の突然の死(暗殺ともいわれる)を弔う葬儀のために書かれたものだったが、クラウス自身にとっても最後の作品となり、彼も同年に亡くなってしまう。まるで (時代は異なるが) アルバン・ベルクのようでもある。

ベルク辞世の作品ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」~終結部。1935年作品。18歳で急死したマノン・グロピウスへの追悼のはずが、自らのレクイエムとなってしまった。ムター&レヴァイン/CSO盤。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?