「シン・ベートーヴェン・フリーズ」~Erstes Kapitel「ベートーヴェンとは誰か」
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アバド/WPh盤による第九~第2楽章スケルツォ。ティンパニの機動力がハンパない。この躍動感はベートーヴェンを聴く醍醐味の1つ。
交響曲第6番「田園」~第4楽章「雷雨、嵐」。若き日のロマン・ロランの心を鷲掴みにしたベートーヴェンの名曲。第4楽章では前楽章から一転、雷鳴の如くティンパニが轟く。全5楽章のこのシンフォニーはベートーヴェンの独創ではなく、クネヒト/「自然の音楽的描写あるいは大交響曲」をモデルにしたとされる。
おそらく世界中で「ベートーヴェン」の名前を知らない者はいない。まして「ベートーヴェンとは誰のことか」と尋ねる人もいないだろう。(具体的なことはわからないが兎に角凄い) クラシック音楽の作曲家で、「英雄」「運命」「第九」などを作曲した「楽聖」。学校の音楽室に飾られていた肖像画が (心霊ネタになるほど) 強烈で、その不屈な雰囲気から「熱情」といった激しいイメージがあるが、相反するように「春」「田園」「月光」「エリーゼ」のような穏やかで静かな印象もある。(作曲家の紹介に有りがちな) 奇妙なクセや奇行のエピソードを知っている方々も多いはず。でも、もし訊ねられたなら僕はこう答えるだろう―。
「ベートーヴェンは初めからベートーヴェンであり、常にベートーヴェンであり、真にベートーヴェンであった。そして今もベートーヴェンたり続けている」
上のように書いたところで、ベートーヴェン最初の作品のことを知りたくなった。調べてみるとそれは1782年、11歳の彼が作曲したピアノの変奏曲だった。
エルンスト・クリストフ・ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲WoO63。
聴いてみて驚いた―僕は初聴きだったのだが、ハ短調!で哀愁あるテーマが奏でられ、習作らしいシンプルで、しかし腕前を発揮させるような変奏が続く。ベートーヴェンの全作品に一貫して感じられるあの力強い眼差し-それが11歳の処女作にも聴かれるのだ。テーマの終わりに執拗に聞かれる「ターン ダ ダダーン」は後の交響曲第5番の有名なリズムを思わせないだろうか―ハ短調が「運命の調性」と呼ばれるのもベートーヴェンが及ぼした大きな影響の1つだろう。最後の第9変奏でハ長調に転調するのも然り-。最初の作品が「変奏曲」というのも興味深い。作曲技法を学ぶうえで最も適した「教材」なのかもしれないが、この簡素な変奏曲が約40年後の1823年、32曲のピアノ・ソナタを書き上げた後に生まれた「ディアベッリ変奏曲」へ繋がるのかと思うと、感嘆を禁じ得ない。変奏曲形式は「フーガ」とともにベートーヴェンの作風の重要な要素となっている―作品としての変奏曲はピアノ曲だけで23曲にも及ぶ。これに室内楽曲などの変奏曲が加わるのだ。
多くの作曲家がそうであったように、ベートーヴェンもまた優れた奏者であり、即興演奏が得意だったという。そのことが変奏曲に反映されているのは間違いなかろう。即興演奏を「形式」に落とし込んだのが変奏曲なのかもしれない。
同じ曲をプレトニョフ盤で聴くと、習作っぽさが見事に消え去る。演奏の力であろうか。
晩年の傑作「ディアベッリ変奏曲」Op.120。「ハ長調」というのも興味深い。ソコロフの演奏で。
僕が初めて聴いたピリオドによる第九はこのホグウッド盤だった。変奏曲形式の第3楽章での11分を切る演奏時間は改めて驚くが、それほど速く思えないのはピリオド演奏に聴き慣れているからだろうか。優雅さすら感じる。
ピアノ三重奏のための「カカドゥ変奏曲」ト長調Op.121a。作品番号から晩年の作品と思われがちだが、もっと早い時期に作曲されたとも。ただ、時代考証の結果と感じられる音楽の質とは相反することもあるのではないだろうか―。
さて、こうなるとベートーヴェンにおける「フーガ」についても知りたくなる。早速調べてみると、ハイドンに師事していた最中であった1793年に作曲家ヨハン・シェックから、翌年の1794年には当時高名な音楽理論家としても知られていた作曲家アルブレヒツベルガーに対位法を学んでいることが分かった-ハイドンが多忙でレッスンの時間がほとんど取れなかったためだといわれている。居ても立っても居られなかったベートーヴェンの様子が想像できる―。習作として幾つかフーガ作品が残されているが、本格的に登場するのは1802年の通称「エロイカ変奏曲」Op.35のようだ。Wikipediaの「作品一覧」を眺めていても、変奏曲と違ってフーガの扱いには慎重だったのかもしれない。楽章に登場するのも1805年作曲の「英雄」交響曲Op.55以後のことである。
ベートーヴェンのフーガはバッハやモーツァルト、さらにはロマン派が書くフーガとも異なる印象がある-その違いを言語化するのは難しいが、展開されるテーマはベートーヴェンが更なる「成長」の可能性を見出だした素材なのだろう。それは旋律の魅力に乏しいかもしれず、あくまでもフーガのために存在するかのようである。バッハ/「フーガの技法」と同様に様々なテクニックが駆使されてゆくが、ベートーヴェンの場合は破天荒さが感じられるところが個性的だ。奏者を心理的技巧的に追い込み、最大限の「専心」を要求する音楽-それは一部の現代作曲家の演奏至難な作品に通じるところがある。前バロック時代から盛んだったフーガは変奏曲とも相性が良さそうで、ベートーヴェンはおもに後期作品でその真価を発揮させている。
1783年作曲の「2声のフーガ」ニ長調WoO31。最初の教師クリスティアン・ゴットローブ・ネーフェは、当時まだ珍しかったバッハ/平均律クラヴィーア曲集を教材として取り入れていたという。
バッハ/平均律クラヴィーア曲集第1巻~前奏曲とフーガ第2番ハ短調BWV847。この文脈で聴くと、とてもベートーヴェン的に聞こえる。
モーツァルトもそうだったが、ベートーヴェンもバッハ/平均律を(おそらく学習用のために)何度か編曲している。ここでは1802年に弦楽五重奏版に編曲したフーガ変ロ短調BWV867を。
1794年の習作「前奏曲とフーガ」からホ短調Hess29。弦楽三重奏の編成による。
ヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガー/口琴とマンドーラのための協奏曲 ホ長調~第1楽章。古典的な美しさを持つ音楽に口琴がソロとして登場する衝撃(笑撃)はなかなかのもの。しかも3曲もあるというのだから、素敵な理論家である。
「エロイカ変奏曲」として知られるが、正式には『「プロメテウスの創造物」の主題による15の変奏曲とフーガ変ホ長調Op.35』。テーマはバレエ音楽から採られ、後の「英雄」交響曲にも用いられる。さらなる元ネタもあるようで、同じ主題による作品が4曲存在するようだ。2種類のフーガのあと、再び変奏が始まるのもユニーク。エマールのピアノに聴き入る―。
交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄」~フィナーレ。上記のテーマが変奏されてゆく―。
1817年作の弦楽五重奏による前奏曲とフーガ ニ短調Hess38。既に後期弦楽四重奏曲の雰囲気が漂っている。未完なのが惜しい。
今もって難解とされる「大フーガ」がこんなに親しみ深く響いたのは初めて。これもまた演奏の力であろう。ピリオドによるモザイク四重奏団の演奏で―。
おそらくは一部の評論家の影響で「楽聖」と呼ばれることがあるベートーヴェン。同時代のE.T.A.ホフマンや後のロマン・ロランの評論や著作により、ベートーヴェンへのリスペクトが「神格化」のレベルまで高まった―この見方は現代のベートーヴェン像にも大きな影響を及ぼしている (ロランは後にベートーヴェンの「人間味」に注目していったようである。それは現在のピリオド演奏の生々しさや親近感に通じるかもしれない) 。もし彼らの評価がなければ、事態は変わっていただろうか―いや、きっと変わっていなかっただろう。ロマン派の視点で崇高さが見出だされていたとしても、時代の風潮や評論以前に、ベートーヴェンの音楽自体にそう思わせずにはいられない要素が内在していたからに他ならない-もしホフマンがいなければ、作曲家シューマンはどうなっていたことだろう。もし「クライスレリアーナ」「幻想小曲集」が生まれていなかったとしたら、それは僕にとっても大きな損失である。
では、他ならぬベートーヴェンは自身のことをどう思っていたのだろう―。
先日偶然にこのような言葉を見つけた。
そして「音楽」について。
E.T.A.ホフマン/交響曲変ホ長調 (1806) 。彼が好んでいたモーツァルトの変ホ長調のシンフォニー (K.543) を思わせるが、変イ長調→ハ短調の調性変化はベートーヴェンが好んだ書法である。ホフマンはベートーヴェンの音楽を形而上的にとらえ、ロマン主義の大家とみなしていた。彼は「交響曲第5番」の賛辞を贈り、ベートーヴェンは絶賛して喜んだという。
ベートーヴェン/カノン「ホフマンよ、決してホーフマンになるなかれ」WoO180 (1820) 。この「ホフマン」とはE.T.A.ホフマンのこと。語感の駄洒落で作ったらしい。以下の2つの歌詞がカノンとして歌われる。「Hofmann, Hofmann, sei ja kein Hofmann (ホフマン、ホフマン、廷臣になるな)」「Nein nein nein, ich heisse Hofmann und bin kein Hofmann (いやいや、私の名前はホフマンで、廷臣ではありません)」
ベートーヴェン没後100年の記念祭の時、ロマン・ロランは講演の中で「皇帝」のアダージョ楽章について語ったそうだ。「それはあたかも重いどんよりと曇った空の間から見える青空のようだった」と「ベートーヴェンへの感謝」を述べる。
「天才たちの邂逅」というと、大仰な表現と思いつつもその先が気になるものである。ここで取り上げるのはベートーヴェンとモーツァルトだ (シューベルトとのことは次回に) 。ベートーヴェンはモーツァルトを深くリスペクトしていたようで、自らの作品にその影響を積極的に投影している-シューベルトはベートーヴェンを深くリスペクトしていたが、シューベルトが親しみを感じていたのはモーツァルトの方だったと聞く。この3人の作曲家たちの関係性はとても興味深い。ベートーヴェンとモーツァルトの「出会い」については (シューベルトの場合と同様に) 本当に出会っていたのか疑問視する声があるが、モーツァルトがベートーヴェンのことを知っていたのは確かなようである。真偽のほどはともかく、ベートーヴェンに対するモーツァルトのこんな言葉も伝えられている―。
モーツァルト/ピアノ・ソナタ ハ短調 K.457 (1784) とベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」(1798)~第2楽章との比較。インマゼールのフォルテピアノによる演奏で。
ベートーヴェンが大層好んで弾き、カデンツァまで残しているモーツァルト/ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466 (1785) 。19世紀においてモーツァルト/ピアノ協奏曲の代名詞として最も愛され演奏されていたという。この飛び切りの名曲をプレトニョフによる弾き振りの演奏で―。ピアノから指揮しやすいオーケストラ配置にしているのもプレトニョフらしい。ベートーヴェンによるカデンツァでは彼の強靭なピアニズムの本領が発揮される。
結びに、最も有名なベートーヴェンの肖像画 (シュティーラー作) を―。
ベートーヴェン50歳頃の姿と思われるが、(信憑性が甚だ疑問視されている) 弟子のシンドラーによれば、肖像画を描かれることを嫌がったベートーヴェンをなだめるべく、家政婦が好物のマカロニにチーズを和えた料理を作ったが、その出来の悪さに不機嫌になってしまったのだという。ただ、実際のベートーヴェンとは似ていないという情報もあり、シュティーラーによる想像の産物の可能性もあるとのこと。ベートーヴェンに関する話題は尽きない―無限の可能性と永遠を秘めた彼の音楽も同様である。
第九とともに部分初演された「ミサ・ソレムニス」ニ長調Op.123~独奏ヴァイオリンが絶美なベネディクトゥスを。上記の肖像画の中でベートーヴェンが抱えていた楽譜がこれ。まだ出版前であったのでシュティーラーが調性を尋ね、「ニ長調 (D)」と書き込まれた。アーノンクール最期の録音となったこの演奏は僕にとっても最高の名演―。
シューマンやブラームスが好み、クララがピアノ演奏のレパートリーとし、ロマン・ロランが愛したベートーヴェン/「ハンマークラヴィーア・ソナタ」~第3楽章。当のベートーヴェンは「パンのために書いた」のだという。「ベートーヴェンの肖像画」の中では、このジャケットにある (ベートーヴェンの没後に) シュティーラーが描いた肖像画の方がグッとくる。たとえ実際の姿とはかけ離れていたとしても―。
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