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ブーレーズによるC.P.E.バッハ/フルート協奏曲&チェロ協奏曲

思わず目を疑うようなアルバム。あの現代作曲家ピエール・ブーレーズが指揮した、おそらくは唯一のC.P.E.バッハ/協奏曲録音。ジャン=ピエール・ランパルとロベール・ベックスをソリストにフルート協奏曲&チェロ協奏曲を演奏している。オーケストラは明記されていないが、パリ国立歌劇場管弦楽団(現在のパリ・バスティーユ管弦楽団)のメンバーによるものと思われる。通奏低音パートとしてユゲット・ドレフィスがクラヴサンを担当している。


ブーレーズが演奏したバロック音楽で思いつくのはラモーのオペラくらいで、まさかC.P.E.バッハを録音しているとは思わなかった。見つけたのは偶然、ブーレーズのDVDで何か良いものはないかとAmazonで検索している最中だった。曲もさることながら、演奏が素晴らしく、1960年代の録音ながら音質も良好(ソロがオンマイク気味だが、そのおかげでソリストの技巧をたっぷり楽しめる)、思わぬ収穫となった。よくレントゲンに例えられるほど見通しの良い冴えた演奏をするブーレーズだが、彼の手によるバロック音楽も同様の印象だ―リズムを正確に鳴らす、整然とした指揮ぶり。彼のことだから、ピリオド志向に傾くはずもないが、だからといって録音と同時期のパイヤールやリヒター、ミュンヒンガーのような演奏をするわけでもない。実にドライで集中力の高い演奏なのだ―不思議とアーノンクールに似ている感じがするのは僕だけだろうか―。ほかにヘンデルの録音(水上の音楽)が残っているようだが、聞き応えは当盤に及ばない。モーツァルトやベートーヴェン、ブルックナーやシュトラウス、シマノフスキなど、意外と思えるレパートリーにしばしば取り組んだブーレーズであったが、このC.P.E.バッハ録音は(伴奏指揮ではあるが)その中でも白眉の演奏と感じられる。弦楽を中心としたオケの響きがタイトで、しかも中身の詰まった充実した音色を聞かせるのだ。ブーレーズは時代を問わず協奏曲録音を数多く残しているが、バックに回っても決して曖昧な音を一音も発することはしないのである。

クリーヴランド管弦楽団とのヘンデル/合奏協奏曲。70年代の放送録音のようだ。

「ブーレーズのバッハ」というとこれ (実はヴェーベルンだが) 。BPhが意外と叙情的に響く。

ウゴルスキとのスクリャービン/ピアノ協奏曲~第1楽章。ブーレーズにしては珍しいレパートリー。

ピレシュとのモーツァルト/ピアノ協奏曲第20番より。Amazonで探し当てたDVDがこれである。


当盤のソリスト、ジャン=ピエール・ランパルは言うまでもなくフルートの神様的存在。ニコレやゴールウェイのような名手もいるのに、どういう訳かフルート関係のアルバムはランパルが多かった気がする―テレマン、ドビュッシーやプロコフィエフ&プーランクのソナタ、ハチャトゥリアンの協奏曲などのアルバムを所有していた―。おそらく入手しやすかったか、アルバムの選曲が良かったからだろう。ここで聞けるフルート協奏曲も素晴らしいの一言に尽きる。特に超絶技巧が発揮されるフィナーレには唖然とさせられる。ブーレーズが採るテンポが異様に速く、まさに疾風怒濤。例えは変だが、ムラヴィンスキーのような凄さがある。

ランパルに捧げられたプーランク/フルート・ソナタ。その第2楽章をランパルとプーランク自身のピアノ演奏で―。

原曲はハチャトゥリアン/ヴァイオリン協奏曲。編曲にランパルが関わっている。カデンツァのみ新作。


一方で、チェロ協奏曲でのソリスト、ロベール・ベックスは今回初聴きのフランスのチェリスト。室内楽を中心とした録音が多く残されているようである。ブーレーズの指揮は前曲より落ち着いた印象だが(曲想も関係しているのだろう)、ここではチェロの音色が素晴らしく、ガット弦を思わせる柔らかで味わい深い音なのだ。こうなると緩徐楽章はさらに魅力的―「Largo mesto. triste」という感情表現に長けたエマヌエル・バッハならではの演奏指示通り、古典派を超えたロマン派的な歌謡性が聴けるが、ベックスのチェロは格別である。

ヴィヴァルディ/チェロ協奏曲ハ短調~第3楽章。

ブラームス/ピアノ三重奏曲第2番~第2楽章。

ランパルとベックスとの共演盤より、あのプレイエルが作曲したフルート四重奏曲第1番~第1楽章。



大バッハの次男であるカール・フィリップ・エマニュエル・バッハ (1714-88) は、バッハの最初の妻マリア・バルバラともうけた息子の一人。名前の「フィリップ」はテレマンにちなんだというだけあって、父バッハよりテレマンの影響をふんだんに受けたといわれる。兄のフリーデマンと同様、感情表現の多彩な作風で「多感様式」「シュトゥルム・ウント・ドラング」(疾風怒濤)とも評される―後者は厳密に言って文学運動のことであるが、しばしば音楽にも用いられる―。C.P.E.バッハが出版した、ピアニストなら必ず学ぶべき内容といえる「正しいクラヴィーア奏法」(1753)~第1巻にはこのような言葉がある。

音楽家が聴衆の感情を動かすには、自分自身も感情を動かされなければならない

よく見聞きする内容の言葉だが(ベートーヴェンが地で行きそうだ)、エマヌエル・バッハの音楽に対する見方―強いてはその影響が及んだ古典派音楽の演奏の1つの指標ともいえるし、彼の音楽観を如実に表している言葉だと思う。実際その名声は生前の父バッハを凌駕するほどであり、ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンの作品は彼の影響なしでは考えられない。ロマン派においてシューマンは父バッハの方を高く評価したが(現代に通じる感想だが、その礎を築いたのはドイツ・ロマン派かもしれない)、ブラームスはC.P.E.バッハを高く評価し、作品の校訂を行っているほどである。以前書いたブログで、バッハ/シャコンヌが前妻マリア・バルバラへの追悼曲という仮説に基づいたアルバムを取り上げたが、大バッハの後妻アンナ・マクダレーナとの間に生まれたヨハン・クリストフとヨハン・クリスティアンの作品には古典的な調和が見られ、フリーデマンやエマヌエルほど特徴的でも個性的でもない。音楽的才能の遺伝的要因が9割を占めるという衝撃的なデータがこの世に存在するが、興味深い事象だと感じている―とはいえ真に受ける必要もないと僕的には思っている。

W.F.バッハ/シンフォニア ニ短調&ポロネーズ第8番 ホ短調。バロック時代とは明らかに異なる音楽だ。

モーツァルトとC.P.E.バッハの幻想曲―その近似性は聴いて明らかだ。

モーツァルト/ピアノ協奏曲第12番イ長調K.414。室内楽編曲版で。第2楽章は急逝したヨハン・クリスティアン・バッハへの追悼とされる。

C.P.E.バッハ/弦楽のためのシンフォニア ロ短調Wq.182-5。好んで聞いていた曲。ベイエ盤で。


1曲目のフルート協奏曲ニ短調 Wq.22は現存する6曲のフルート協奏曲の中の1曲。1747年作曲となっていて、エマヌエルの多くの協奏曲と同様にチェンバロ協奏曲が原曲と考えられている。「Allegro / Un poco Andante / Allegro di molto」からなるが、第1楽章では父バッハのヴァイオリン協奏曲第1番を思わせるフレーズがソロに現れる。バックの弦楽オーケストラは充実した書法を利かせ、シンフォニックですらある。長調に転じ、情緒纏綿と奏でられる第2楽章はさながらオアシスのよう―フルートの歌にユゲット・ドレフィスのチェンバロが合いの手を入れ、弦楽オーケストラがゆっくり包み込んでゆく。他のバッハ・ファミリーの作品にみられないエマヌエル・バッハの緩徐楽章のこの特徴は、後の古典派~ロマン派の作曲家たちにインスピレーションを与えたことだろう。短いソロのカデンツァを経て、疾風怒濤のフィナーレに突入―このジェットコースターのような音楽もエマヌエルの大きな特徴の1つ。古楽器では楽器の特性もあって高速演奏が多く聞かれるが、モダンオーケストラでこのハイスピードは前代未聞かもしれない。当然ソリストには超絶技巧が要求されるが、当盤では全く問題はないようだ。

LP盤で出ていた当音源。このフィナーレを聞いてアルバム購入を決意した。

1750年作のフルート協奏曲イ短調Wq.166。ソロ共々ピリオドによる演奏。冒頭に無伴奏でファンタジアを演奏する凝った趣向―。


2曲目のチェロ協奏曲イ長調 Wq.172は1753年作。やはりチェンバロ協奏曲の編曲版であるが、フルート版も存在する。全3曲あるチェロ協奏曲は全て編曲もので、前曲のフルート協奏曲と同様、これらの楽器のために作曲した協奏曲はほとんどないようだ―メインはチェンバロ協奏曲。エマヌエルが左利きだったため、弦楽器をソロとする協奏曲は書かなかったといわれている―。バロック時代のチェロ協奏曲といえば、ヴィヴァルディのものが有名だが、古典派となるとハイドンやボッケリーニの作品となる―彼らを繋ぐのがエマヌエル・バッハの作品かもしれない。

「Allegro / Largo mesto. triste / Allegro assai」の3楽章形式。第1楽章から穏やかな音楽が続く―この穏やかさが当曲の特色だと思う。チェロの扱いも殊更ヴィルトゥルジィを強調せず、音楽を紡ぐことが最優先された印象。白眉は第2楽章―前述したように悲しみを表出した音楽で、チェロの哀切なソロとともに、ここでは脇役のチェンバロによるレジスターを用いた音色変化が聞きもの。金属的な音ではなく、リュートのような典雅な音でチェロに寄り添う。実に素晴らしい。ちなみに(ほとんど何も書いていないに等しい)ライナーノーツには通奏低音のリアリゼーションにロベール・ベックスが関わっている旨が記載されている―レジスター使用のアイディアは彼からなのかもしれない。リズムが特徴的で華やかな(でも前曲のように突っ走らない)フィナーレの終わりに、ベックス自身によると思われる歌謡的なカデンツァが挿入されているのも聞きものである。


2曲合わせて僅か45分のアルバムであるが(正直あと1曲ほど欲しい気がしないでもない)、C.P.E.バッハの音楽の魅力とブーレーズほかのアーティストのプロフェッショナルな演奏に満足できるひとときであった。

当盤音源がなかったので、こちらを。やはり第2楽章が素晴らしい。

こちらの音源にも驚く―カルロス・クライバー指揮によるC.P.E.バッハ。超一流の指揮者を気にさせる魅力がエマヌエルにはあるのだろうか?


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