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日本人を強くし、自由にするトレーニングが「対話」である理由

日本人を強くし、自由にするトレーニング、それは対話のトレーニングであり、「議論、討論、話し合い」の技術だと私は思っています。日本人には、対話のトレーニングが必要です。
日本人は、仲間内の日常的な話題などの「会話」は楽しく成立するものですが、意見や主張が違う「対話」については仲間内でも成立しにくい現状があります。「違う」ことがすぐに「対立」につながり、すぐに感情につながる感じです。
話の内容に焦点を当てることができず、話している人に対してすぐに攻撃的になる。何を言っているかより、誰が言っているかに注目する。老人だけと思ったらそうではなく、男だけと思ったらそうでもなく、そういう傾向を持つ人と持たない人に分かれます。そして、ここで厄介なことは、対話できる人であっても、対話できない人と対話はできません。両方が対話できないことには、「対話するということ」が成り立たないからです。
街中では、対話の中で議論が起こった瞬間に、即座に第三者が必要になる状況、しかも、一気に命の危険まで高まることさえある始末。頭に血が上った人の家が近ければ、家に帰って包丁を持ち出して刺すという事件さえあリマした。これは、その人の個別的性格によるところもあると思いますが、やばい状況はあちこちで起こっています。もし、冷静に議論する技術があればそんなことにはならないでしょう。
対話の力はこのように日常でも大事ですが、国際社会ではもっと大事です。
これを直さないことには、国際社会でやられっぱなしの状況を改善することができません。
交渉が始まると、さまざまな段階で、すべて負けてしまうので、最終段階でとんでもなく押し込まれている、あるいはギリギリまで引いている、押せるところがない、ということになり、すなわち敗北となります。暴力を伴わなくても、これは敗北であり、「対話力」を持たなければ勝ち目がありません。
そして、対話ができるようになれば、対話するたびにいちいち争いになることもなくなります。

同時に、自分のことをきちんと説明する力をつけることも重要。隣人との間でさえ、説明が必要なことはあるのです。

さらに言えば、対話だけでなく、その根っこの「言いたいこと」をちゃんとした思想に基づくものにしなければなりません。
つまり、保守系自由主義に基づき、十分に伝え、利益を構成できる対話力をつける必要があるということです。

ところで、日本人の対話下手には理由があります。
そもそも日本語は議論向きの言語ではありません。説明用の言語ではないのです。
日本語は、ガタガタ、シュワシュワなどのオノマトペが豊富な世界的に珍しい言語です。日本語は方言の多い生活言語であり、比喩が効いていて、文学的で豊かな表現ができる言語ですが、逆に説明的な表現が苦手で、特に和語はまったく議論に向きません。漢語を使えば意味を溜めた表現ができますが、日本語自体は和語に発した言語です。
そこで、外国語をインセンティブなどそのまま用いることがありますが、そもそも意味が伝わりにくく、意味が伝わりにくいからカタカナ語にしているのですが、意味が伝わりにくいのは、その価値観が日本にないからでもあります。インクルーシブと言っても、包摂と言っても、意味は漠然としかわかりません。どうなることを指しているのかも、その状態がどんな状態なのかもどんな状態かわかりません。もし、わかるものなら、日本語の名詞を使って、わかるように話せるはずです。しかし、そうではないところにカタカナ語の存在があるので、日本語にならない言葉については、その価値観とともに得考えなければならないのです。単純化して受け入れてはなりません。

欧米の言語は、逆に説明向きです。「形而上学がある」という言い方もされますが、精神世界を表す言語が豊富で、説明に向いているのです。そういう西洋言語と日本は対峙してやってきたのです。
最近、という昔から言い古されたことなのに、日本人は英語が話せない、ということに対応して、英語教育が大幅に改悪されました。今の英語の教科書を読んだことがありますか?be動詞も一般動詞も一緒に出てきます。人称を確実に学ぶ時間もなく、使うことばかり強調されます。すなわち、間違いがあってもいい、大体において話せれば伝わる、という英語教育です。
これは、学校で教える英語としては間違っています。使える英会話なら、英会話学校外学べばいいのですが、そもそも、英会話を必要としている小中学生は、田舎にはほとんどいません。意味のないことをするのは人間は苦手なので、身につきません。
今までの英語教育の方が100倍いいです。分析された英語を理解して思考して身につける。それが、旧来の英語の教科書であり、英語の教育課程です。「学問を学ぶ」というのはそういうことです。
今の英語では、帰国子女や英語を話す外国人(アジアでも英語を公用語とする国はある)、そういうところの子供向けの教科書であって、日本人に教えるようではありません。高校入試も帰国なら勉強しなくても点が取れるレベル。学問としての価値は低く、賢さを反映しません。これは、非常に大きな問題です。

万機公論に決すべしと言いながら、国際社会で必要な能力(それは英語力ではなく、対話力と「自分」でを持つことです)を身につけていないこと、この欠陥を、対話力を身につけることによって、保守系自由主義を広く共有することによって、一刻も早く英語教育の価値観と中身をもとに戻すことによって成しとける必要があります。

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奥冬海優二
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