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ゴリゴリの適応障害がMCバトルになぜか参戦したお話

彼女の死後、3ヶ月ちょっと過ぎた頃
10月のある日。
俺は奈良県にいた。

喪失の痛みを、
傷心モードの自分を癒しに…
とでも言いたい所だけど
国宝の数々を観に行った訳でも
鹿達を愛でに行った訳でない。

奈良行きの理由は
KOKことKING OF KINGSという
MCバトルの大会に出る為だった。

俺は元バンドマンであって
ラッパーではない。
ヒップホップは好きで聴いてはいたけど
ラップは遊び程度のサイファーのみ。
初心者もいい所だった。
当然大会なんか出た事ないし
池袋以外でラップするの自体初めて。

そんな奴が地元じゃなく
東京でもなく、なぜか奈良の予選に出る。
仮に優勝しても賞金3万だから赤字だ笑。
なぜ奈良だったのか。

亡き彼女は大阪出身。
地元・大阪の友人達はもちろんだけど、
奈良とその音楽仲間たちを本当に信頼し、
愛していた。その話はしょっちゅう聞いてた。
そして会場となるハコは
彼女にとって大切な人達の関わる
縁のある場所だった。 
俺にとっても思い出深い土地だ。

なんやかんや言いつつ
少しでも彼女との繋がりを求める心理…
だったのかもしれない。
彼女はMCバトルやら
格闘技の試合を見るのが
俺の影響でけっこう好きになっていたから。

観ててくれたらいいな。
届いてくれたらいいな。

そして俺自身が少しでも新しいことに、
目の前の事に集中していないと
「生きていたくない」という
気持ちにやられてしまう。
今にして思うとそういう感覚だった。

その頃もまだ歌いたい、マイクを持ちたいって
衝動は相変わらず続いていたので
俺はこうしてKOK奈良予選に
エントリーした。


MCネームはHONSUE(ホンスー)
俺の本名を中国語読みでもじった造語だ。


エントリー受付が始まる。
総勢30人くらいだろうか。
若手・ベテラン、Youtubeで見ていた
有名なラッパー、本当に様々な顔ぶれ。
いかにもB-BOYって人から
輩感強めの怖そうな人、個性的な若者。
戦いを前にみんな一様に緊張した面持ち。
俺はというと
正直1ミリも緊張はなかった。

ラップバトルは初めてだったけど
前述の通り、俺は元バンドマン。
ライブの経験はこの空間の中で
誰よりも場数を踏んでる自信があった。

昔とった杵柄とはいえ
年間100本ライブを行い
伊達に全国を何周も回ってたわけではない。

俺は肩で風を切りながら
真っ先に、誰よりも先に受付した。

B-BOYだらけの空間で
俺は黒スキニーに黒マーチン3ホール。
完全にバンドマンスタイル。

バトルの大会とはいえ、
俺以外はほぼ地元の、あるいは近隣の人だ。
そんな中でオラオラな空気を
醸し出すよくわからない
他所から来たバンドマン風のおっさん。

まだこの頃は先輩から
「目が死んでる」と
言われてた時期なので、その雰囲気含め
周りのMCからしたら
情報ゼロで不気味な存在だったとは思う。
「誰このおっさん」
「どんなスタイルなのか想像もつかない」
俺的にはここから心理戦の始まり。

MC HONSUE。
元バンドマン、40歳のオールドルーキー。
バトルラッパーとして
アウェイのど真ん中、正真正銘の初陣だ。
もちろん全員○しに行くつもりでいった。


そして一回戦。


速攻で負けたwwwwwww



8小節×3ターンルール。
1、2は何とか。バチバチ行けた。
しかし3ターン目で尻すぼみ…。
初心者らしいスタミナ切れ。
それに比べて対戦相手の方の安定感たるや。
ベテランっぽい方だったけど流石だ👏
悔しいけど敵ながらあっぱれ。
ボーカルとラッパーの違い。
ライブとバトルの違いというか
サイファーとか遊びのフリースタイルとは
全然違う「戦い」なんだなと痛感した。

そしてバトル後のスポーツマンシップ?的な
握手を交わし
ステージを降りた後はあれやこれや語らう。
思っていたよりもずっと爽やかな世界だった。

呆気なく負けてしまったけど
とても良い経験をさせてもらったし
奈良のクラブ文化に
ちょっとだけ触れられた気がする。
パーティーもしっかり地元に根づいてるし
やはり奈良はとても良いバイブスだ。
彼女が普段から親友として愛してやまなかったR君やY一を筆頭に、スタッフの皆様、奈良の皆様、本当にありがとうございました。


こうして俺のバトルラッパーデビューは
あっさりと幕を閉じた。

でも、俺は適応障害の身ながら
奈良まで行って
どアウェイの中でラップ出来た。
その上で断言するけど
歌う事そのものに「適応障害は関係ない」


ちょっと前に適応障害で
某人気バンドのボーカル脱退って
発表してたけど
抜けた当人はそのすぐ後に
新しいバンドを始めてる。
それ聞いて本当に適応障害…?
と笑ってしまった。

亡くなった俺の彼女は双極性障害。
俺は彼女の死後、適応障害になった。
メンヘラについては多少の理解、経験がある。
変な意味、本物のメンヘラ観がある笑。
まあ、とは言っても人間色々だし、言い訳で
都合よくメンタルヘルス問題を使う人も
そりゃーいるか。知らんけど。

話がそれた。
俺はこの経験を経てより一層
歌いたい、もう一度ステージに立ちたいとの
思いが募っていった。
ラップをやってみて改めて理解する自分。
生き様ごと試されるかのような
バチバチのMCバトルを経て
俺は自分らしさ、リアルとは何かを
彼女が何を想い、生き、
作品を書き残していったのか
もっともっと考えるようになった。


今回も心のまま徒然と。
ご一読ありがとうございました。

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