「お金」を目的ではなく手段に
はじめに
こんにちは!うりさすぎの友達です。
今日は、私が最近「お金」に対する考えについてお話します。
やはり世の中は「お金」なのか
よく「お金」か「愛」かどちらかだけ手に入れられるならどちらを選ぶか、という議論がされます。
「お金」を選ぶ人は、「お金がなければ何も買えず生きていけない」という意見なのだと思います。
確かにそうだなと思います。
そう思わされてしまうくらい、今の世の中は「お金」が重要になっていると感じます。
「お金」で生活に差をつけられます。
私の家は決してお金持ちといえるような家庭ではありません。
他の人の話を聞いていて、「お金があるとそういうことができるんだ、いいなあ」と思わされることが多々あります。(悲しい泣)
「お金」が一番差をつけている
私たち人間は、生きていく中で「不平等だ」と思わされることが多少なりともあると思います。
容姿、能力などなど、様々ありますが、「お金」によってつけられる差が一番大きいのではないでしょうか。
具体例を挙げようと思ったのですが、書くと悲しくなってきそうなのでやめます。
わざわざ挙げなくても頭に浮かぶと思います。
手段のはずの「お金」が目的になってしまった
(*ここから先、「お金」の歴史的背景に触れますが、ざっくりした内容ですし、私の想像も入っていますので、細かいツッコミはしないでください🙇♀️)
多くの人が知っている通り、もともと私たちの遠い昔の祖先は物々交換をしていたと言われています。
自分1人の力では、生活に必要なものが揃えられなくなった、ほしいものが手に入れられなくなった、ことから物々交換は始まったのだと思います。
自分と相手が互いに互いの持っているものを欲しいと思ったとき、交換は成立します。
ところが、この交換では、互いのものの価値が同じくらいでなかったり、すぐには交換できなかったり(例えば、鮮魚)したことで、「お金」が登場したのだと思います。
このときの「お金」はあくまで、「引換券」という認識だったのだと思います。
つまり、物を手に入れるための手段です。
ところが、
「この『引換券』、多く持っていればいるほど、たくさんのものを手に入れられる😏」
と考えた人がでてきたのではないでしょうか。
それで、自分の持っているものをできるだけ多くの「引換券」と交換できるように、交換の際にうまくやっていったのでしょう。
人間というのは欲深い生きものですね。
生活に必要なものを交換できるだけの「引換券」があればいいのに、「引換券」を多く持っていたいと思うようになっちゃったわけです。
未来を考えられるようになってしまったからこそ、「いつか」使うであろう、今は使わない「引換券」を手に入れたいと思ってしまうのですね。
これはまさしく、現代の「お金」に置き換えても全く同じです。
同じことを思っている人が多く存在しています。
「未来」と「お金」の良くない相互作用
少し話が逸れますが、人間は他の動物よりも脳が発達しています。
その発達した脳のおかげで、言語を操ったり、複雑なことを考えたりできるわけです。
どういう経緯で脳が発達してしまったかは、知りません(ここでは触れません)が、脳の発達がもたらしたことの1つとして、「遠い未来を考える」ことが挙げられます。
他の動物では、おそらく、「今この瞬間」生きることを続けているのだと思います。
人間ももちろんそう思うことはありますが、1年後、10年後、50年後、100年後、1000年後、、、と遠い未来のことまで考えています。
遠い未来のことを考えると、「今この瞬間」のことだけ考えるわけにはいきません。
明日の分の食べ物、いつか子供が生まれたときのための養育費などを感が無ければならないです。
なぜそうなってしまったか、その始まりは、脳が発達したことだとは思いますが、「未来のことを考えなければいけない度合い」を強めたのは「お金」だと思います。
明日の分の食べ物を考えるのは、「お金」がないときからでもあったと思います。
でも、子供が生まれたときのための養育費は、「お金」によってできることが増え、社会が発達したことによって、考えなければならなくなったと思います(そういう社会になってしまった)。
(「お金」だけでないのは分かっています。学問的な考えが生まれたことなども背景にありますが、そこは今回の話のメインではないので置いておきます。)
そして、「未来のことを考えなければいけない度合い」が強まってくると、「お金」が必要だという思いも強まります。
養育費、介護費、などなど将来この社会で生きていく上で必要になる「お金」のことを考えなければならなくなりました。
そして、どんどん「未来」と「お金」の相互作用が強まります。
「未来」で生きるためには「お金」が必要。
「お金」が動くことで社会が発展して、「未来」で必要な「お金」がどんどん増えていく。
もう「お金」なしでは生きられない世の中を作りあげてしまったのですね。
「お金」が先行していることに気づく
「お金」について当たり前だと思っていることを考えました。
私たちは生まれて育って、物心ついたときには、「この世の中では、働いてお金を稼いで、そのお金で物を買う」ということを当たり前に思っています。
こう思っていると、「できるだけ多く『お金』があったほうがより多く物が手に入る」と思ってしまいます。
でも、もとはといえば、「お金」は「引換券」です。
物々交換の仲介役です。
この世の中で、それを意識できている人はどのくらいいるのでしょうか。
どれだけ多く稼げるか、利益を出せるか、という考えの人が多い気がします……。
こんなことをいうと、世界の大半の人を敵に回すことになりますが、ビジネスというのはまさしくそういう考えですよね。
私はその考えが社会の当たり前となっていることに嫌気がさします。
道具が揃えらえて、物が準備出来て、人件費を払える、という最低限を超えた「お金」が利益です。
この利益は一体何に使われているのか。
将来的に会社としてやれることを増やすための資金に回ることは分かります。
でもそれだけじゃないですよね。
物々交換の考えからすれば、利益というのは余分ですよね。
まあある意味では、相手の将来に対する期待、と「お金」を交換しているとも考えられなくはないですが……。
世の中では「利益」をより多くだすことを重視している気がしますが、私は大事なのはそこではないと思います。
ビジネスに対して思っていることは色々あるので、これはまた別の機会にお話しようと思います。
物々交換の精神を忘れない
ここまで色々べらべら話してきましたが、私が言いたいことを簡潔にいうと、「『お金』が先行した考えではなく、物々交換の精神を忘れないで」ということです。
これを全人類に伝えることはできないし、伝えても「お金」にとらわれたままの人もいると思います。
でもせめて、私はこの精神を大事にしていきたいです。
もちろん、「お金」のおかげで、今世の中の状態に発展できたという良い側面もあります(良くない側面もありますが….…)。
ただ、あまりにも先行しすぎているなあと感じてしまうのです。
この世の全ての人が「いい『お金』の使い方」をする日がいつか来たらいいなあと思っています。