オフコース&小田和正「秋の気配」その5 神の一曲

囲碁や将棋の世界では、悪手と思われた一手でも局面が進んだ時に絶妙な好手となることがあるようです。そのような一手を神の一手と呼べるなら、オフコースの曲の中にも神の一曲と呼べるものがあると私は思っています。

老人のつぶやき

「老人のつぶやき」は、オフコースが1975年に発表したアルバム「ワインの匂い」に収録された小田和正作品です。

この曲はNHK「みんなのうた」に依頼されて小田さんが書いたという曲ですが、結局採用されなかったとのこと。20代後半の小田さんがどういう意図で書いたのか私には分かりませんが、NHKの担当者も相当悩んだ末にボツにしたのかなって想像したりします。

曲自体は、しみじみとした哀愁の中に透明感をも感じさせる感動的な曲ですが、歌詞の内容が人生の終末を歌っているだけに「みんなのうた」に合わないと思われたのでしょうか。しかし、人生の終りは、それこそ「みんな」がいつか迎えるものであり「みんなのうた」に相応しいとも解釈できるわけで、そこら辺に小田さんの洒落っ気を感じたりもする不思議な曲です。

さて、この曲が神の一曲と呼ぶに相応しい理由ですが、合うんですよね、物語の結末に。

私はここ4回にわたって、「秋の気配」をめぐる世界観について、私なりの妄想を繰り広げてきたわけです。「青空と人生と」「秋の気配」「夏の終り」「緑の街」という感じで一人のミュージシャンの男の半生を追ってきたのですが、その最後に相応しいのが「老人のつぶやき」だと思うのです。

「老人のつぶやき」は、これら4つの曲のよりも先に作られているのに、これら4つの曲の最後の曲として作られたかのような存在です。私個人としては発表当時の小田さんの意図は不明ですが、時が流れ「あゝそういうことか」と納得させられた感じです。つまり、発表当時の意図や位置付けが不明でボツ作品になったという意味での悪手と思われた曲だったのが、時が流れるにつれ、この曲の存在が光を放ちだしたという意味で好手としての存在の曲となったわけです。

「老人のつぶやき」の歌詞はその立場の性別が不明なんですよね。「私」を男の立場からみれば「あのひと」は女性ですし、女性の立場からすれば「あのひと」は男性になります。つまり男性女性を問わずに共感できる歌詞になっているのです。

また、ある程度の年齢の人々は実感として胸に迫ってくるものがあるでしょう。そして、若い世代には、後悔のないように生きようとか、年を重ねる意味などを考えるきっかけになり得る曲だと思います。

そういう意味で対象は老若男女、つまり、「みんなのうた」なのではないでしょうか。改めて小田和正の凄さを感じさせられました。

最初の歌詞である
「大空へ 海へ 故郷へ」
は、まさに「港の見える丘公園」が相応しいと思ってしまいます。「秋の気配」で歌われた「あれがあなたの好きな場所 港が見下ろせる小高い公園」ですが「港=海」ですし、「夏の終り」では「誰よりも懐かしいひとは この丘の空が好きだった」わけですから。そして、港の見える丘公園のある横浜は小田さんの故郷ですしね。

主人公の男は、おぼつかない足どりで「港の見える丘公園」まで上ってきたのでしょう。そして、公園から見える空や海を見て彼女のことを回想した、そんな情景が浮かびます。
この時、この男は口ずさんだでしょう。「青空と人生と」を。何故なら、「青空と人生と」の最後が
「短いこの命終る時まで」
ですから。

それにしても、ここまで他の曲と合致するとは驚きです。パズルの最後のピースのような曲です。

「青空と人生と」で、将来に不安を抱えたミュージシャンの男が彼女と出会うことで「歌い続けてゆけるだろう」と決心できた時。

「秋の気配」で、自分は「歌い続けてゆける」けど彼女の幸せは背負いきれないと考えて別れを決めてしまった時。

「夏の終り」で、彼女の願いである「諦めないでね 歌うことだけは」の通り歌い続けて、故郷の街でコンサートを開くために約1年後に戻ってきたが、彼女と会うことを断念した時。

「緑の街」で、20年近くの歳月が流れたけど、今でも彼女のことを大切に想っていると実感した時。

これら紆余曲折の人生の締めくくりとして「老人のつぶやき」で、もう一度彼女に自分の想いだけは伝えたかったと空を見上げた時。

こうして、ある男の半生が「老人のつぶやき」によって完結できたわけです。

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