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オフコース 「さよなら」の余波

オフコースが世に送り出した名曲「さよなら」は、オフコースをメジャーな存在へと押し上げたと同時にオフコースというバンド内で歪をも生じさせてしまったわけですね。

それまで小田さんにしても鈴木さんにしても、誰がリーダーという意識は全くなかったはずですが、この頃からオフコースのリーダーは小田さんということになってしまっていくのです。

オフコースというバンドを売り出していくためにはバンドの顔という旗印を明確にする必要があったのでしょう。周りのスタッフたちもその方が戦略を立てやすかったはずで、鈴木さんに「今は小田さんをリーダーとして売り出していくけど、次はヤスさんだから」というような言葉をかけたりしたようです。

鈴木さんからすれば、いつの間にかサブの立場になってしまっていたわけで、どこか釈然としない思いが鈴木さんの中にあり、それが鈴木さんを追い詰めていくことになってしまいます。

シングル「さよなら」のA面は小田さんの「さよなら」で、B面が鈴木さんの「汐風のなかで」です。

「汐風のなかで」も十分に名曲と言える作品ですし、どちらかと言うと、「汐風のなかで」の方がオフコースらしい作品だと私は思います。同じ鈴木さんの作品「美しい思い出に」の系統でしょう。それだけにインパクトが足りなかったのかもしれません。小田さんの「さよなら」の衝撃が凄すぎたという感じでしょうか。「さよなら」という作品の完成度には鈴木さんのコーラスやギターの演奏力もかなり貢献していると思うのですが、鈴木さんとしては別の思いがあったのでしょう。鈴木さんの作品で唯一シングルA面になったのは「ロンド」ですが、その評価はオフコースらしくないといったものでした。しかし、オフコースらしくない「さよなら」は大ヒットしてしまいました。そのため鈴木さんは当時の思いを「曲が作れなくなっていった」と回想しています。

鈴木さんのこの微妙な心境は小田さんも感じていたはずです。オフコースは当時頑なに音楽番組に出演しませんでした。もし出演すればオフコースのリーダーとして受け答えしなければならない事の意味を小田さんは分かっていたのでしょう。小田さんにすればコンサートで俺たちの音楽を聴いて欲しいと思っていたはずです。「さよなら」以外のヤスの曲や松尾の曲もたくさん聴いて欲しいと。ザ・ベストテンの司会の久米さんが「オフコースはコンサート活動のため出演できません」とよくお詫びしていた記憶が私にもあります。

当時、ただの一ファンだった私はこういう事情を全く知りませんでした。今のネット社会と違って、オフコースに関する情報は極端に少なかった印象です。そのうち「オフコースは解散するかも」という噂が週刊誌などで漏れ聞こえたりという状況でした。

しかし、その後もオフコースは名曲や名盤を出し続けていくのです。内部に歪みを抱えながらも綺羅星のような作品群を世に放ち続けたオフコースというバンド。今となっては不思議なバンドでした。


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