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オフコース 「さよなら」の余波その2

オフコースのドラマーだった大間ジローさんは加入当時のオフコースについて「オフコースは媚びない。ファンにも媚びないし、業界にも媚びない。売れなくてもいいから、自分たちが納得する良いものを作りたいという信念が2人にはあったと思います。だから、評価は高かったけど、なかなか売れませんでした。」と語っています。

だから大間さんにとっては、そんな小田さんが初めてヒットすることを狙って作ったのが「さよなら」だったという印象だったのでしょう。

しかし、オフコース結成当時からのメンバーである鈴木さんからすれば、過去に色々なことがあったはずです。例えば、二人時代の代表曲「眠れぬ夜」について鈴木さんは後に次のように語っています。

「『眠れぬ夜』のときはかなり売れるということを意識して作ったような気がする。あれは、俺の中では、なんか違うんじゃないかな、という意識があった。・・・(中略)・・・もっと歌謡曲っぽくていいんじゃない、とプロデューサーの武藤さんの意見があって、それを参考にしながら、小田とふたりで話して、もっと歌謡曲っぽくしようぜっていうことになった。ということは売れ線を意識して追っていたってことです。『秋の気配』もそうだった。だから、外から見えてるほど純粋ではなかったってことだね。」

またオフコースがイルカと一緒に活動する話しが持ち上がった時に鈴木さんは解散をも意識したとのこと。自分のやりたい事とは違う方向性の内容が、自分の知らないうちに話しが進んでいた事に違和感を感じたようです。こういう感じで二人時代にも鈴木さんにとっては「ちょっと違うな」という場面がいろいろあったようですね。

この辺りに鈴木さんと小田さんの性格の違いがうかがえるように思えます。鈴木さんは職人気質で自分のやりたいことを追求していくタイプですが、小田さんは様々な事を企画してそれを実現する事を追求していく感じです。鈴木さんは一点集中、小田さんは多面的活動と言えるかもしれません。それはオフコースを離れた後の二人の活動の軌跡からもうかがえます。鈴木さんはあくまでも音楽活動にこだわった感じですが、小田さんはプロゴルファーのキャディをしたり映画を制作したりグラミー賞のような賞を創設しようとしたり災害復興のチャリティコンサートを企画したりと多方面的活動です。

したがって、オフコースがバンドになった時も小田さんはバンドの運営という新たな企画をどうしていくかという視点でしたでしょう。しかし、鈴木さんの中ではデュオであろうがバンドであろうが自分のやりたい事に変わりはなかった。

鈴木さんは自分のやりたい事に集中して、ある日ふっと顔をあげたら自分だけが違う方向を向いていたって感じだったのでしょう。その結果、今のオフコースらしい曲が作れないとか居場所がないと感じたのかもしれません。

それが端的に現れたのが「さよなら」の次のシングルだと思います。

オフコースは17枚目のシングル「さよなら」をリリースして僅か3か月後にシングル「生まれ来る子供たちのために」を世に送り出しました。

この「生まれ来る子供たちのために」はアルバム「Three and Two」からシングルカットされた曲です。

この時期(「さよなら」から3か月後)に敢えてこの曲をシングルカットすることに対して小田さんは「注目されるようになった今だからこそ、普通なら注目されないような内容の曲をシングルとして出したい」という趣旨で新たな「企画」をしたわけです。今では「生まれ来る子供たちのために」は様々なアーティストがカバーして歌い継がれています。小田さんの企画が実ったわけですよね。

注目すべきことはB面です。このシングルのB面は今までなら鈴木さんの曲だったはずですが、このシングルには鈴木さんは曲を提供していません。

これはオフコースにとっては異常事態です。しかし、メンバーの中では異常事態として受け取れなかったかもしれません。今回のシングルは企画ものでシングルカットされた曲だから鈴木さんは見送ったのだろうという感じだったかもしれません。

うーん、二人の性格の違いから鈴木さんの脱退は必然だったのでしょう。オフコースというバンドの中で鈴木さんの時計の針は止まったしまった感じです。

この後のオフコースは、立ち止まった鈴木さんを悲しく見ている小田さんという感じがしてなりません。


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