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小田和正 『小さな風景』

息切れしたので道端のベンチに腰を下ろした。両膝に肘をついて呼吸を整える。

ほんの数ヶ月前には彼女と一緒に軽々と走っていた公園。今では少し歩いただけで足元がふらつく。身体中に染み渡ったアルコールが抜けきるにはまだまだ時間がかかりそうだ。

だいぶん呼吸が落ち着いてきた。足元に目を向けるとタンポポが二つ三つ可愛らしい花を咲かせていた。中には綿毛になっているのもあった。

今まで数え切れないくらい彼女とジョギングしたり散歩したりした公園の小道だったが、こんな風景があったことに驚いた。それまでの自分はこの公園をジョギングしたり散歩したりすることさえ一種のステイタスを感じていた。ニューヨーカーはセントラルパークを走るものというスタイルに囚われていたのだ。今思うと相当に滑稽な思いだが、当時はそんな思いが自分を呪縛していた。だから道端に咲いているタンポポさえ気付かなかったのだ。

「少しは力を抜けばいいのに」

彼女がたまに私にかける言葉だったが私は深く考えることもなく受け流すだけだった。毎日が戦いだった。抜け目のない相手をいかに出し抜くかを常に考えていた。上手くいくときもあればそうでないときもあった。そんな一喜一憂する私に彼女はいつも優しい笑顔で声をかけてくれた。

「After all tomorrow is another day よ」

一番最初に彼女の口からこの言葉を聞いたとき私は不思議な顔をして言った。

「それは当たり前だよね」

彼女は笑いながら言った。

「明日は明日の風が吹くってことよ」
「ふーん」
「『風と共に去りぬ』ていう映画のラストシーンのセリフなのよ」
「へえー…よくそんな古い映画のこと知ってるよね」
「まあね…」

それ以後、私が落ち込むたびに

「After all tomorrow is another day」

と彼女は優しい笑顔とともに言ってくれた。私は彼女の言葉に救われていたのだろう。

だが、数ヶ月前、私は手酷い負けを喰らってしまった。完全に私のミスだった。事務所のボスや同僚は「気にするな」と言ってくれたが、私は自分が許せなかった。それ以降、私は酒浸りの日々を送るしかなかった。彼女は何度も私を立ち直らせようとしてくれたが、ある日そんな彼女に手をあげてしまった。彼女は頬を手で押さえながら私に言った。

「少し離れたほうがいいみたいね、私たち…」

彼女が出ていった部屋は生気が抜けたみたいだった。窓辺の鉢植えのタンポポが枯れていることに気がついた。私が酔い潰れている時、彼女は一人で散歩に行ってタンポポの綿毛を拾ってきたのだろうか…その枯れたタンポポが彼女の心のような気がした。私は流れ出る涙を止める術がなかった。

それから私は水を大量に飲んでは吐くという行為を繰り返した。全く意味がない行為なのだろうが、そうすることで身体からアルコールがはやく抜けていくような気がしたのだ。そして今日、私は数ヶ月ぶりに公園に来たのだった。

「おじちゃん、大丈夫?」

その声に私は顔をあげた。木漏れ日の中に少女が立っていた。光を纏った少女は天使のように見えた。

「ありがとう、大丈夫だよ」

少女は私の言葉に安心したのか立ち去ろうとした。私は少女を呼び止めた。

「これ」

私は足元の綿毛のタンポポを手折って少女に差し出した。

「折ったらお花がかわいそうだよ」

「これはいいんだよ。このふわふわしたのはタンポポの種なんだ。ほら、こうしたら飛んでいくよ」

私はタンポポに軽く息を吹きかけた。綿毛が風に乗って飛び散っていく。

「地面に落ちたら、そこから新しいタンポポが生まれてくるよ」

少女は別の綿毛のタンポポを手折って息を吹きかけた。向こうから少女を呼ぶ声がした。少女は走りかけたが立ち止まり振り返って私に手を振った。私も手を振って応えた。

私はベンチから立ち上がり再び歩き出した。心なしか先ほどより足取りがしっかりしてきた気がした。

もし彼女がここにいたら先ほどの少女と私の遣り取りを見て彼女は何を思うだろうか。今までの私では有り得ないと驚くだろうか。それとも、あの優しい笑顔でただ見守ってくれるだろうか。

「After all tomorrow is another day…明日は明日の風が吹く…」

彼女は今どんな風を感じているだろうか…

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2021年7月に購入した小田さんのCDですが、この『小さな風景』が私の心の琴線に触れました。

この曲もドラマの主題歌ということらしいです。具体的にはドラマ『遺留捜査』のシーズン4(2017年7月)からシーズン7にかけての主題歌とのこと。この時期はあまりドラマを観ていなくて知りませんでした。また機会があれば観てみたいものです。

この曲を聴いていると、今までにご縁があり今では縁遠くなってしまった人々のことが思い出されます。曲の感想と言ってもなかなか表現が難しく書けませんでした。ただ聴いているうちに浮かんできたイメージを短いストーリーにしてみました。

『この道を』は聴くと背骨が刺激され背筋がシャンとする作品です。それに対して、『小さな風景』 は涙腺が刺激される作品です。

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