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オフコース 「NEXTのテーマ -僕等がいた-」

「流れゆく時の中で」で五人のオフコースの活動を終えた鈴木さんに対して、小田さんが五人のオフコースでの最後の作品としたのが「NEXTのテーマ -僕等がいた-」でした。

この曲はこのサウンドトラックのタイトル曲でもあり、「NEXT」とつけたのは、オフコースを解散させるにしろ続けるにしろ次の段階へ進むためには今までのオフコースについての総括的なことが小田さんには必要だったからでしょう。

つまり、この曲は小田さんと鈴木さんが音楽を始めてから鈴木さんがオフコースを脱退するまでの歴史を歌ったものと言えます。

終始刻まれる大間さんのバス・ドラムのリズムが印象的な曲です。

それはあたかも小田さんと鈴木さんの音楽的生命の誕生と同時に刻まれ始めた音楽的な心臓の鼓動のようにも感じられます。

タンタタンタンタタン…


誰の為にでもなく 
僕等がうたい始めて

1964年12月。高校の文化祭のステージを目指し小田さんと鈴木さんは4人でバンドを結成。それ以来、小田さんと鈴木さんは自分たちのやりたい音楽をやり続けてきましたが二人のフォークデュオから五人のバンドとなった事である変化が起きました。


歌が僕等を
離れていったのは
ほんの少し前の冬の日

1979年冬「さよなら」が大ヒット。これによりオフコースはメジャーなバンドになると同時に多数の利害関係も生み出されることとなったわけです。それによって小田さんと鈴木さんの個人的な思いとは離れたところでの動きが生じていったことでしょう。自分たちの思いと世間的なイメージの乖離。特に鈴木さんがその乖離に苦しむこととなりました。


いつだってほんとうは
ひとりよりふたりの方がいい
あの時大きな舞台の上で
僕は思っていた 夏の日

1982年6月30日。日本武道館10日間公演の最終日。小田さんと鈴木さんが同じステージに立った最後の日。


その時そこには君たちがいたね
こころひとつで君たちがいたね
僕等はいつも憶えているよ
そのこころの叫びを

アンコールも終わり、ステージでは撤収作業が始まる中、会場に残った観客から自然に起こった「YES YES YES」の大合唱。


僕等の終わりは僕等が終わる
誰もそれを語れはしないだろう
切ない日々も あのひとときも
通り過ぎてきたのは僕等だから

結局、オフコースが解散するのか継続するのかの公式の発表はなかったですね。時間の経過に伴い、色々な契約が切れていき、鈴木さんがソロ活動を開始していくという淡々としたものでした。

「僕等の終わりは 僕等が終わる」正に歌詞の通りでした。


あの頃確かに 僕等がいたね
誰も知らない 僕等がいたね
何も見えない明日に向かって
走る僕等がいたね

例えば、1974年1月10日に札幌道新ホールで開催されたコンサートの観客は僅か13人だったとか。小田さんと鈴木さんにとってはトラウマと言っていい体験だったのでしょう。この体験を吹っ切るために、6年後の1980年11月27日に同じホールでコンサートをしています。

無名で明日をもしれない中、走り続けてきた二人だったのですね。


切ない日々も あのひとときも
通り過ぎてきたのは僕等だから

この「NEXTのテーマ」のサブタイトルは「僕等がいた」です。

つまり「We are」ではなく「We were」なんですよね。

アルバム「We are」で頂点を極めた五人のオフコース。鈴木さんの脱退宣言による解散問題を抱えながら「over」「I LOVE YOU」とアルバムを世に送り出したオフコース。その五人のオフコースにどう決着をつけるかの小田さんの答えがこの「NEXTのテーマ」だったと言えるかもしれませんね。

その「NEXT」を表現しているのが次の箇所です。


新しい時の流れの中で
いつかまた会える時がくるね
その時またここから 
歩き出せばいいから

「We are」や「We were」に対して「We will」とか「We will be」と表現できるのでしょうか?英語が得意ではないのでよく分かりませんが、果たして「その時」がくるのでしょうか?

この箇所の対象が「君」なのか「君たち」なのか明確ではありません。もし「君たち(ファン)」であれば、四人のオフコースとして活動を再開したので実現したと言えます。

でも、もし「君」ならば…

この曲を五人のオフコースの締めくくりとした小田さんはやはり偉大ですね。今までの歴史を歌い、未来への可能性にも含みを持たしたのですから。至高の名曲です。

この曲の最後はバス・ドラムのリズムに収束していきます。

タンタタンタンタタン…

彼らの音楽的心臓が今後もその鼓動を刻み続けるかのように。

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