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オフコース アルバム「We are」その12 総括
ここのところオフコースのアルバム「We are」を聴いてきました。やはり、その完成度の高さに圧倒されました。それは、このアルバムがリリースされた当時から抱いていた感想のままです。
A面は当時のバンドとしてのオフコースのサウンドを見せつけた「時に愛は」で始まり、鈴木さんの極上のバラード「いくつもの星の下で」で終わりました。
B面は、鈴木さんの「一億の夜を越えて」でロックし、最後は小田さんの「きかせて」で都会的で聴く者の心を魅了するコーラスで幕を閉じていきました。
まさにアルバムタイトル「We are」の通りです。
これが今の俺達なんだと、
We are OFF COURSEだと、
自信を持って私たちに突きつけられたアルバムでした。
しかし、後に山際淳司氏の著作「give up」に目を通し、当時のオフコースの内情を知ると、このアルバムから別の表情が浮かんでくるような気がしました。
簡単に時系列を確認してみます。
1979/12/1
シングル「さよなら」
B面は鈴木さんの「汐風のなかで」
1980/3/5
シングル「生まれくる子どもたちのために」
鈴木さん、曲を提供せず。
1980/6/21
シングル「Yes-No」
B面は鈴木さんの「愛の終わる時」
1980/11/10
全国ツアー「1980-1981 OFF COURSE Concert“We are”」始まる
1980/11/21
アルバム「We are」発売。
1980/12/1
シングル「時に愛は」
鈴木さん、曲を提供せず。
1980/12末頃
鈴木さん、小田さんや主要スタッフに脱退を表明。
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こうして見ると、異変は明らかですよね。
シングル「さよなら」のB面は「汐風のなかで」という鈴木さんらしいバラード曲であり、テーマは出会いでした。
しかし、その次は鈴木さんは曲を提供せず、その次のシングル「Yes-No」では「愛の終わる時」という、オフコースとの別れを連想させる内容の曲を鈴木さんは歌ったのです。
この間、オフコースはアルバム「We are」の制作をしていたわけで、鈴木さんとしてはアルバム「We are」とそのコンサートツアーをオフコースにおける最後の仕事と位置づけていたのでしょう。
こういう側面がアルバム「We are」の完成度の高さにつながったかもしれません。これが最後という思いから鈴木さんも全精力を注いだことでしょう。だからコンサートでの一体感や名演が生まれたのだと思います。
長年の相棒だった小田さんも鈴木さんの異変を感じていたのでしょう。鈴木さんと小田さんの心の葛藤という観点に立つと、このアルバム「We are」は悲しそうな表情を浮かべます。
「時に愛は」で、小田さんは訴えます。「今まで何度も崩れそうになったけど、その度に俺たちは蘇ってきた」と。
「僕等の時代」では、「僕等の時代が来たんだ。これからも一緒に歩いていこう」と小田さんは訴えます。
でも、鈴木さんは「おまえもひとり」で、耳を傾けず内省していきます。
「あなたより大切なこと」で小田さんは叫びます。「だれかこたえて」と。
「いくつもの星の下で」で鈴木さんが応えた相手はバンド仲間ではなく、プライベートのパートナーでした。
「一億の夜を越えて」で鈴木さんは「もう迷わない。耳をかさない」と言い切ります。
「Yes-No」で小田さんは「なにも聞かないで なにもなにも見ないで」と訴えます。
「私の願い」では、「いつもそばにいて」それがささやかな願いなんだと吐露します。
ささやかな願いを明らかにした上で、今の気持ちを「きかせて」と…。
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後に鈴木さんは語りました。
「55年から57年にかけて出したアルバムタイトルが『We are』『over』『I LOVE YOU』だったのは、もう僕ら(We are)はおしまい(over)。みなさんを愛しています(I LOVE YOU)という気持ちだったから」
アルバム「We are」
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あたかも夏の夜に鮮烈に輝いた花火のようです。一瞬の輝きですが、いつまでも記憶に残ります。そして、祭りの後はどこか寂しいものです。