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サザンオールスターズ『ミス・ブランニュー・デイ』


教えられたままのしぐさ

1980年代のことを考えていたらサザンオールスターズの『ミス・ブランニュー・デイ』のイントロが頭の中で鳴り響いてきた。

私はテレビで初めてこの曲を演奏するサザンオールスターズを観てからイントロと桑田佳祐の立ち姿に惚れてしまっていた。

動画をご覧いただけるとお分かりのように、原坊のキーボードに微動だにしない桑田佳祐。ドラムが重なっても動かない。ギターが入ってからドラムに合わせて動き出す。

メンバーの演奏とは別次元の静寂の世界の桑田佳祐。「刮目してこの勇姿を見よ!」と言いたくなるくらい私の心は痺れてしまっていた。

当時、この曲のイントロがテレビから流れてくるたびに、私もテレビの前で仁王立ちになり桑田のしぐさをマネしていた。歌詞の通り「教えられたままのしぐさに酔って」いたのだ。今振り返ると実に恥ずかしい。

誰かと似た身なり

この曲が発表されたのは、調べてみると1984年だった。アメリカのプラザホテルで結ばれたプラザ合意を経て、日本は一旦は円高不況となるのだが、その後、バブル景気に突入していった。

この80年代はアイドルの「聖子ちゃんカット」や近藤真彦の「マッチカット」が流行り、ワンレンボディコンが席巻していく。ワンレンボディコンなんて若い世代はピンとこないだろうが、登美丘高校ダンス部のバブリーダンスを見ると一目瞭然である。とにかく今見るとケバい。登美丘高校ダンス部の場合、舞台映えのために化粧なども強調しているだろうけどケバい。スーツの色も原色のイメージだった。時代の勢いが色使いをも後押ししてたかのようだった。

しなやかと軽さとタモリ

タモリという芸人はいろいろな魅力を持っていて私も基本的には嫌いではない。しかし、唯一今でも許せないことは「ネアカ」「ネクラ」という言葉を流行らせたことだ。

私の記憶では、これらの言葉をタモリが多用していた。何か真面目なことを言ったり冗談が通じないと「クライ」と一刀両断していた。これが世間でも広まり、何か真面目なことを言うと「クライ」と一刀両断される風潮となっていった。若者たちは「クライ」という言葉をかけられないように表面的には軽薄に振る舞うようになっていった。こうして80年代は軽薄短小の時代となっていった。今問題となっているフジテレビも軽薄短小の風潮の先陣を切っていった感がある。

私個人の被害としては、タモリがニューミュージック系の音楽を「クライ」と言ったことで「隠れニューミュージックファン」となってしまったことだ。

特にタモリは何故かオフコースを目の敵にしていた。「笑っていいとも」にオフコースの小田さんがゲストで出た回は私も固唾をのんでタモリと小田さんの凍った会話を観ていた。当時はオフコースは5人になっており音楽もロック的なものになっていたのに何故タモリは目の敵にしていたのか謎である。

その点、女性はおおらかで、タモリを受け入れオフコースや小田さんも絶大な人気だった。やはり私のような男性より女性は「しなやか」なのだろう。

タモリの芸人としての出自はアングラ地下芸人だったはずで相当「根暗」だった。そういう芸人としての出自はビートたけしや明石家さんまとは異なっていた。タモリの性格は基本的に「根暗」だったのだ。タモリはそんな過去にコンプレックスがあったのだろうか?

そもそも青春時代は決して明るいものではない。大人への過渡期であり、様々なことで悩んだりするものだ。そういう鬱屈した想いを晴らすためにスポーツなどが必要となったりするはずである。そういう若い世代に対して「クライ」と一刀両断する刃を与えてしまった罪は深いだろう。それが「いじめ」問題につながり校内暴力問題へとつながっていったと思う。

そういう軽薄短小な風潮を桑田佳祐は「しなやかと軽さをはき違えている」としなやかに歌ったことに私は爽快感を覚えた。

立ち位置

この動画の桑田佳祐の立ち位置は歌い出しから終わりまで変わっていないように感じる。もちろん途中でリズムをとるため足を小刻みに動かしたりしているが立ち位置は同じである。桑田佳祐がこの『ミス・ブランニュー・デイ』をどういう想いで歌っていたかは私には分からない。でも、不動の立ち位置に桑田佳祐の何らかの覚悟が表れていると思えてならない。

浜田省吾の『MONEY』はバブル経済のマネーゲームを斬ったが『ミス・ブランニュー・デイ』はバブル経済の世相を軽快なリズムでしなやかに斬ったのだ。

『ミス・ブランニュー・デイ』…この時代を代表する名曲である。


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