「あいつ」(伊勢正三が描く情景)その4 「あいつが生まれた朝」
フォークデュオであった風の4枚目のアルバムが「海風」です。45年近く前に、このLPレコードに針を落とし聴いたときの衝撃は今も覚えています。前作でフォーク路線から進路を変更しようとしていた風がこの「海風」で完全に舵をロック志向へときったからです。
何故、「海風」というアルバムの話しをしているかというと、このアルバムに収録されている曲に「あいつが生まれた朝」があるからです。45年近く前に聴いた時に、この曲には異質感というか唐突感というか、そういう感覚を抱きました。歌詞の意味もよく分かっていませんでした。でも、ここ数日ファーストアルバム収録の「あいつ」に関するあれこれを考察しているうちに明確に分かりました。
この「あいつが生まれた朝」の(あいつ)は「あいつ」の(あいつ)だったのですね。
何だか変な書き方ですが、正やんが「地平線の見える街」で描いた主人公と親友である(あいつ)、「あいつ」でその親友が遭難死した情景、その後の主人公一家の(あいつ)に対する心情を描いた「夏この頃」。これらの締めくくりとして「あいつが生まれた朝」が歌われたのでしょう。
こう解釈すると、全てがピタリと当てはまる感じがします。パズルの最後のピースみたいです。
「地平線の見える街」の季節は冬。
「あいつ」の季節は春。
「夏この頃」の季節は夏。
この三部作では秋がありませんでした。そこで「あいつが生まれた朝」なんですね。この曲の季節は秋。この曲によって(あいつ)をめぐる物語が完結するわけです。三部作ではなく四部作だったのです。
そして三部作においては、主人公は(あいつ)に対して泣けていないんですよね。
「地平線の見える街」では、照れくさいし、また帰ってくるだろうから涙を流すまでもないって感じでした。
「あいつ」では、彼女の存在に遠慮して泣けていない状況です。
「夏この頃」では、ラジオから流れてきた(あいつ)の好きだった歌を聴きながら泣いている妹に遠慮して泣けていない。
この「あいつが生まれた朝」は主人公の(あいつ)に対する慟哭の歌であり、鎮魂歌であり、訣別の歌です。主人公が堪えてきた(あいつ)に対する思いが解き放たれる曲です。それは、この曲の最後に流れるギターやベースやピアノにドラムの長い長い演奏で分かります。その演奏は、まさに主人公の慟哭です。こういう思いに至った時、私も思わず涙を流してしまいました。
「あいつが生まれた朝」
この曲の具体的な解釈は次回ということで。
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