オフコース 小田和正&鈴木康博 「HERO」
オフコースの5枚目のオリジナルアルバム「JUNKTION」。これはJUNK(ガラクタ)とJUNCTION(合流点)の合成語だとか。その名の通り様々な趣向を凝らした作品が合流したって感じですね。
このアルバムの中でもひときわ存在感を持っているのがアルバムの最後を締めくくる「HERO」でしょう。これは小田鈴木両氏の共作で、時間も7分を超える大作です。それだけに2人の想いが込められた作品でしょう。
ただ、その解釈は難解です。HEROとは誰なのだろうか。モデルがいるのだろうか。当然、小田鈴木両氏自身ではないでしょう。そんなカッコ悪いことは、お二人はしないでしょうし。
うーん、歌詞を見ると
♪
彼の歌が流れるたび
その名前は彼より大きくなってゆく♪
と注目すべき箇所があります。このアルバムが発表された77年当時でHEROと呼ばれるに相応しいカリスマって私はひとりしか思い浮かびません。
小田さんは彼の事を次のように述べています。
「ラジカルなイメージだけかと思えば、実はそうではなく、すごくロマンチックでナイーブな、でも強い言葉を持ってるシンガー」
更に、後にテレビ番組で彼の事をこう紹介しています。
「1970年代、多くの若者が背伸びして何かを求めていたあの時代、歌には強いメッセージが求められていました。そこに、カリスマと呼ばれるシンガーがいました」
その人は、吉田拓郎です。
オフコースと同じ70年にデビューした拓郎ですが、この77年には拓郎は既に大スターであり、若者のヒーローであり、日本の音楽シーンに変革をもたらしたカリスマでした。拓郎以前の音楽シーンは学生運動などの影響から連帯性を訴えるメッセージが込められたものでした。しかし、拓郎は極めて個人的な事を歌ったわけです。毀誉褒貶もあったでしょう。過大に語られる事もあったと思います。2年前の75年には、拓郎は夏フェスの最初とも言うべき「つま恋」を成功させています。夜明けの「人間なんて」の熱唱は伝説となっています。
そういった状況で、小田さんも鈴木さんも同世代で先頭を走る拓郎に敬意払うだけではなく嫉妬も抱いたことでしょう。
オフコースがビッグネームとなるのは79年、70年代の終りなんですね。70年代、吉田拓郎が先頭を走り、アンカーが拓郎と同期のオフコースというのも面白いと思います。
とにかく、オフコースの音楽性が受け入れられたのは、吉田拓郎というカリスマが日本の音楽シーンの地盤をならしたからと言うことができると思います。それは小田さんも鈴木さんもよく分かっているはずです。そんなカリスマの等身大の姿を敬意をもって歌ったのが「HERO」なのかもしれません。
吉田拓郎のラストアルバムに小田和正が参加したというニュースを聞いて、そんなことを思ったりしました。
最後に、面白いと思ったことが1つ。歌詞の冒頭ですが。
♪
その頃彼は歌を
恋人にささげていた
友たちはその歌を口ずさんでた
恋人は気の弱い彼のすべてを愛した
♪
とあります。拓郎が当時絶大な人気を誇ったアイドル浅田美代子と再婚したのが77年7月。
2人の馴れ初めは75年のドラマの共演だとか。75年って拓郎が「となりの町のお嬢さん」歌ってた頃なんですよね。「♪好きになっちまたんだよ♪」ってw。
まさに「♪その頃彼は歌を 恋人にささげていた♪」
で、この「となりの町のお嬢さん」は口ずさみやすい歌です。
「♪友たちはその歌を口ずさんでた♪」
で、我らがアイドル浅田美代子は
「♪恋人は気の弱い彼のすべてを愛した♪」
だから結婚したんですよね、77年に。
この歌の冒頭は小田さんと鈴木さんの洒落なのかなって…まぁこれも私の妄想ですが。
アルバム「JUNKTION」は77年9月にリリースされました。