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もっと子供のこと信用してもいいのではないか?



前書き

 昨今の子育てについて、子どもの安全を守るためというのはわかるけど、いつも親の目が必要だったり、保護者が必要な年齢が知らないうちにだいぶあがっているとか、ここまでガチガチでなかった子供時代を過ごした身としては、ちょっと行き過ぎているのではないかとも思っています。

精神や自尊心への影響が不安


 行き過ぎた過保護は、子どもを守るという大義名文で子どもの精神面の成長を妨げかねないのではないかと感じます。
(ある程度精神が成熟していくほど、ストレスになると思う。)

昔は、認識していなかった危険や、増えた危険はたしかにありますが、GPSなどで位置情報や、携帯で学校や塾からの帰宅情報を家族に連絡するなどもできるようになっているのに、過保護すぎなのではないかなとも感じます。
(隙間をぬうように事件や事故に巻き込まれている子供もいるのかもしれないですが、(保護者たちが思うある年齢まで)危機管理を身につける機会をことごとく奪うのは、余計に保護者必要年齢を上げるだけの気がします。)



 それから、過保護すぎる社会の視線のせいで、保護者の負担が増えて子育てへの息切れの原因になっているから、金銭的に問題なくても時間的制約により少子化が余計に進んでいる面もあるのだと感じます。
それに、子どもの安全や健康をないがしろにする理由ではないなら、保護者の負担を減らす面からも子供だけの行動時間を平成前半以前ほどでないにしても緩くしてもいいと思います。(きつくなったのはここ十年少し前からのきがしている)
 連絡手段だって、携帯電話を高校あたりまで持ってない子が多かった時代でも大多数の子供たちは大した危険に遭わなかったのか、問題にここまでなっていなかったように感じます。
 なのに、今のGPSなどの位置情報が常に分かるものをもたせているようになったほうが、監視レベルで常に保護者を設置していて、子どもの自由が減っている理由がよく分かりません。

今の手の離し方が分からないけど、

 繰り返しになりますが、昔は子どもの様子を見てできたら、ゆっくり手を離していたのが、一定年齢で一気に離す方式になりかねないので、逆に子どもの精神的負担が増えそうな気もします。 
(跳び箱の高さを一段ずつ上げていたのが、いきなり五段あげることになるような感じです。当然、プレッシャーはその分あがる。
適切に目標をあげて上げなければ、飛び越えようとすることが苦痛なことにしかならなくなりそうです。
例えば、できないかもしれない不安、とか、できた喜びより心身ぎりぎり状態でこなせた安堵感への疲労感とかの方が強くなるかもしれない。)
 



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