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Sへの手紙(19)

~子供達の夢のために~

《九回裏》

雄一はいつも以上に元気な声で
 " 行ってきま〜す "
と玄関のドアを閉めた。
昨夜から泊まりに来ていた祖父の茂雄と
手を繋いで歩いていくのを

「行ってらっしゃい!」

洗濯物を干しながら、
ベランダから奈緒は見送った。
最近の雄一が目に見えて明るくなって
いくのが嬉しかった。

S-グラウンドに近づくと
子供達の声が聞こえてくる。

「おじちゃ〜ん」

雄一が翔平の元に駆け寄って行った。
草むしりをしていた手を止めて翔平は
腰を上げ、ゆっくりと茂雄に寄ってきた。

「初めまして、雄一の祖父の中畑です。
 雄一がいつもお世話になってる様ですが、
 ご迷惑は掛けてないでしょうか?」

茂雄は心配でつい聞いてしまう。
翔平は苦笑しながら、

「そんな事ないですよ。
 それよりお元気そうで何よりです」

茂雄は少し戸惑った様子で

「さて、どちらかでお会いしましたかね?」

「こんな事ってあるんですねぇ。
 お忘れですか?」

翔平は現役だった時と変わらない
おどけた笑顔で茂雄に尋ねた。

「いったい、どうゆう事ですかいの?」

そんなやり取りをしていると雄一が、
ベンチに立てかけてあった
バットを持ってきた。

「ほら、おじいちゃん家にあるのと
 一緒でしょ?」

雄一が手にしていたのは、
一本の黒い、あのa社のバットだった。

茂雄は何十年前の記憶が鮮明に蘇ってきた。

「あ、あ、貴方は……」

「えぇ、大谷翔平です」

茂雄は、息をするのも忘れるくらいに、
年甲斐もなく驚いた!
雄一もまた、そのやりとりに驚いていた!

" このおじちゃんが…… "

この僕が野球に興味を持つキッカケと
なった選手が隣に居る。

" なんて凄くて、すてきな事って
 起きるんだね "

" まだあれを持っていて
 くれた人がいるなんて… "

そんな嬉しさから、
つい笑顔になる雄一と翔平だった。

雄一は、二人に気付かれない様に
後ろポケットに手を当てた。
そこにはグラウンドに来る時の
お守りである
(大谷翔平のトレーディングカード)
が入っている。
これも雄一の宝物だ。

「大谷さん、私はこの辺で失礼します。
 孫の事を宜しくお願いします。
 何分引っ込み思案なもので…
 雄一、おじいちゃん用事を
 思い出したから先に帰るね」

茂雄は、翔平に深々とお辞儀をして
グラウンドから出て行った。

「雄一君、皆んなとやらないのかい?」

「僕、下手だし…」

引っ込み思案の雄一が顔を出してくる。

「でも、やってみたいんだろう?
 好きなんだろう、野球?」

「うん、でも…」

「雄一君、何事も好きになる事って
 とっても大事なんだ。
 次は勇気を出してやる事なんだよ。
 野球だって打席で振らないと
 何も起きないだろ?
 ここでのルール、覚えてるよね?」

雄一は数秒間逡巡していたが、
意を決し駆け足で一塁ベースの所へ行き、
帽子を取って大きな声で

「おねがいしま〜す」

と言って頭を下げた。

一瞬だけグラウンドが静まり返り、
ほんの数秒ほど少年達の動きが止まった。
数秒後には雄一を取り囲む少年達。
そのやり取りを、いつもの
優しく包むような笑顔で見ている
翔平の手には例の黒いバットがあった。

雄一が翔平に駆け寄ってきて言った。

「この、ボール持っててもらえますか!」

手渡されたボールを見て
翔平は一人呟いていた。

" 現役時代、幾つものサインボールを
書いて来ました。
子供達に本当に喜ばれていたのかは
わからなかったけれど、子供達の
その小さな背中を、胸の中にある
その大きな未来を、
少しだけかも知れませんが
押してあげる事は出来てたみたいです。
これでちょっとは
約束が果たせたですかね。

栗山監督 "

翔平は今は遥か遠くにいる
恩師に語り掛けていた。

今日もまたS-グラウンドでは
少年達の元気な声が
未来に向かって響いていた。


※この物語はフィクションですが、登場する
人物、団体など一部オマージュのため
使用させて頂いています。

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