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ドラマ「未成年」アフターストーリー〜物語と現実、繋がる2つの世界〜

年始早々に最終回を迎えたドラマ「未成年」にのめり込みすぎたせいで、2025年、幕開けからなんだか軽く燃え尽きている。

最終回の余韻に浸る間もなくさらにアフターストーリーという衝撃弾をまともに喰らって消化(消火?)に時間を要し、一回頭を冷やすか…と久々のFODで気になっていたドラマや映画をいくつか見て、新たに始まった今期のドラマもぼちぼちチェックするうちに、早くも1月が終わってしまった。

ようやく記事に取りかかっても、私ごときに言えることがあるのか…と自問自答しながら書いては消して、なかなか進まない。
言及したいポイントは山のようにあるんだけれど、残念ながら語彙力と文章力と粘り強く推敲する根性不足のため、あらかた断念した。
時間が経つうちに色々な方が素敵な熱い文章をご披露くださり、ありがたくそれらを拝読して既にだいぶ満足してしまったというのもある笑。

だからもう開き直って、まとまらない考えの一端だけでも拙い言葉で晒すことにするけども。これ終わったらほんと抜け殻になりそう。

※界隈の呟きで何となく原作の方向性や盛り込まれるテーマは把握してからの視聴ではあったものの、見終わった今も結局原作は読まないまま以下語るので、もし何か変なこと言ってたらご容赦ください。

さて、アフターストーリー(以下AS)。
ハッピーエンドの先に見たいものの全てを、期待を遥かに上回るレベルで惜しみなく見せてもらえたことにまずは驚きと感謝しかない、のだが。
最後に心に残るものが想定していた以上に重かった。

「未成年」10話まで、そもそも私は良くできた"物語(虚構)”を見ていたつもりだった。
でも物語のその後(after story)に待っていたのは、虚構などではなく"現実”だった。
…そう思うくらい、ASで「同性婚」という、現在の日本では(原作の韓国でも)未成立の課題が横たわる現状の中に蛭川と水無瀬が生きている様を描いたことへの衝撃は大きかった。

世の中には、嘘っぽくないリアルな作り話がある一方で、作り話みたいにできすぎている本当の話というのも存在する。

ドラマ「未成年」の全10話は前者だと思っていたがもしかして後者の方だったのか?とまでふと考えてしまうのは、ASの2人の周りの世界が本編よりも更に、見ている私達(学生さんもいるだろうけどやはり多いのは社会人だろうといったん仮定して)自身の実際の現実にぐっと近くなったように感じられるからだと思う。

未成年時代の2人の家庭環境はそれぞれ、かなり酷いものだった。
暴力による虐待を繰り返す父親、ほったらかしで不在のくせに過干渉な母親。
ありそうでなさそうな、どこか現実離れした「設定」だなとは、進行する物語の裏でうっすらと感じてもいた。
(その「設定」感が変に浮き上がらずに主役2人の交流に見る側の視線をフォーカスできたのは、2人の繊細な心情の演技と共に、周りの酷い大人達を演じるキャストの説得力ある演技、細部までこだわった演出など製作陣が総力を上げてドラマ世界を丁寧に作り込んだことが大きいのは言うまでもない)

それがASになると、すでに立派に自立した大人になっている2人が暮らすのは、自分の力で選びとった職場の、周囲との人間関係においてもパッと見て目につくような派手な問題のなさそうな、安定した環境だ。
それはつまり世の中の大多数の人間が暮らしているのと同じ、(劇的要素のない)穏やかな現実の日常に極めて近い場所だとも言える。
(この穏やかさというのがラストの蛭川の穏やかなんだけどなんだか怖い夜、の台詞に繋がっていることについては後ほど言えたら…)

それに、水無瀬の職場での彼女はいるのか?の問いに対するいない発言(嘘は言っていない)の場面や、蛭川との関係を友達にも打ち明けなかった辺りに最もリアリティは顕著に見えた。

原作の予習がなかったため、初見の時は予想外で一瞬あれ?と違和感を覚えたくらいだ。
最終回であれだけ見事な大団円だったBLの物語のその後の展開なのだから、そこはいわゆる理解ある"優しい世界”を描いても不思議はない、と無意識のうちに思ってしまっていたからかもしれない(でもASで周囲の理解のない厳しい世界が描かれた訳ではない)。

実際は、前の晩の蛭川に、明日あいつらに言ってみる?と言われて答えなかった水無瀬を見ていたはずなのに。
会席の場での蛭川の「片想いしてた」の言葉が会話の流れを止めたのを水無瀬がどう捌くのか、私は本当に予測できずに見ていた。

水無瀬の「何その冗談。面白くない」が固まりかけた場の空気を和らげた瞬間、
あぁそうか、水無瀬。と。
代わりにこちらの体の中に重い塊が落ちたように、そこでやっと理解した。
言わないんだ。
…ねもしばにも?

本編でいい味出してたねもしばと水無瀬のシーンはけっこう好きだった。
いつも2人に対して見えない薄い壁1枚挟んだような水無瀬の態度は若干気になりつつ、でも高校からずっと一緒にいたじゃん。
大学生になって一緒に酒飲んで少しは距離も縮まったんじゃなかった?
どこかで、でも2人になら今の水無瀬は言うんじゃないのかと思いこんでいたのだ。

あの場面の水無瀬の、躱(かわ)し方。
誰にも気づかれない瞬きの僅かな間に心中の波立つ気配はスッと消し去って、その場の「正解」だと彼が思う方向に完璧に軌道修正してしまう。
(話合わせるの)得意、と蛭川に言っていたあの頃の水無瀬が、変わらずにそこにいた。

ここの水無瀬を見るのは毎回辛い。
どんな思いで一番大切な人の、大事な思い出と自分への想いを"冗談”と流したのか。
察した蛭川の機転により会話が無事に?元の流れに戻ったあとに映る水無瀬の表情と目線の揺れが内心の動揺を覗かせる。
こういうところやはり、見せ方が上手い。

私はASでこの場面が一番、いや現実ってこうだから、ということを眼前に突きつけられた感じがして、はっと目を覚まされたような驚きがあった。

救いなのは、この場面でのお互いの発言が蛭川との関係性においては特に波風にはなっていないことだ。すぐ後の2人のやり取りからも前の晩のお風呂での会話でもわかる通り、お互いに相手の考えはわかった上で、それとは違う自分の考えも恐れず表に出せる関係性になっていることが感じられる。年月の間に既に言葉のコミュニケーションによってもしっかりと2人が信頼関係を築けているのがよくわかる。

だからこそ、根本や柴達に対して水無瀬が感じていた「(俺たちが付き合ってるなんて)夢にも思わないだろうし」という言葉のサラッとしたトーンが、見ている側には逆にズシッと来る。

夢にも、か。
そうかなぁ…と、頼まれもしないねもしば擁護をしたくなるくらいには視聴者目線では"いいキャラの友達”な面を目にしてきただけに、余計に水無瀬から見える2人との隔たりの遠さを目の当たりにして胸がギュッとなった。
でも確かに、振り返ってみればそうか…。
ここへ来て、本編の脇でねもしばの恋愛観や彼らと水無瀬の間の微妙な距離感についてもちゃんと描かれていたのが効いてくる。

水無瀬にしてみたら、あの2人にすら言わないものを、職場などで打ち明けるなんてそりゃ厄介で頭の痛いことだらけだろう。

周りから祝福されて結婚できる異性カップルについて羨ましいよと率直な本音を洩らすのも、(周囲に打ち明けるのは)ごめん、俺はむり、ときっぱりパートナーに伝えるのもBLドラマとしてはかなり踏み込んだ描写だったと思うけれど、水無瀬という人物の描写や蛭川との関係性の延長線上に起こるはずのこととして、ここをきっちり描けたことは本当に意義深かったと思う。

この辺りの描写があることで、ラストの2人のシーンの見え方も、光の加減で色合いが違って見える絵のような奥行きが出てくるのだが、これはおそらく原作の秀逸なところだと思われる。
それこそ"BLを超えた”とか言われる類いの(その言い回しの是非はともかくとして)、他からは頭一つ抜きんでた良作の評価に相応しいエンディングへここから繋がっていくのがまた素晴らしい。

あぁ、もうラストの2人の対話についてサクッと言及して終わろうと思ってたはずなのにまたやってしまった。前置きが長すぎて本論に辿り着かないパターン。
でも2人の関係性の行き着く先だけを見て、いいラストだったな、でこの作品語りを終わることはやっぱりできなかったから仕方ない。
花火と夜明けの海のシーンについては(あと最終回とASの熱の表現についても)またいつかの機会に持ち越すとして、とりあえずいったん締めますか。
※これからまた手一杯な日々でこれ以上書けるかどうかはわからず…。ごめんなさい。

とにかく。
ディテールこそ違うとしても、各々の人生の文脈の中でドラマ「未成年」の2人と同じように、"まるで物語のように劇的な顛末の後に結ばれて今一緒にいる”同性2人は私達の生きる現実の世界にも少なからず存在するはずで。
ASの2人は実在するそういったひと組の有り様を映し出したようなものなのかもと、視聴しながら現実とのリンクを強く感じられたのは私にとっては貴重な体験だった。

向こう側の世界(虚構)の話だと思っていたものが、実はこちら側の世界(現実)の話だったという、さりげないが大きな舞台転換をASはやってのけたのだと思った。

これって2次元から3次元への映像化の意義そのものでもあると思う。
やはり、生身の人間同士が演じるのだから虚構とはいえ現実をより身近に、生々しく感じることになるのは当然だ。
ドラマ「未成年」はつくづく原作漫画を映像化することによる効果を最大限に引き出すことに成功した作品なんだろうと(未読のくせに)感じている。

原作者の先生のコメントなどを見ても本当に、本編に加えてこのASまで見て初めて、作品としても完結なのだと思うし、物語から現実の世界へと託されたメッセージを理解することができるのだと思う。

「傍観者」のままでいるのか。問われているのは私達視聴者だ。

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