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名物教師

この間、高校の同窓会に出たのだが、ふと自分が学生の頃はなんであんなに変な先生が多かったのか?と疑問に思った。

「昭和だったから」というのは、それなりの説得力があるけれど、考えてみれば変わった先生がいたのは主に高校で、小中の先生方は概ね普通だった。
いやそれだけではない。
その後、自分も高校教員になったが、自分のことは棚に置いてだが、そこで知り合った先生方はそこまでおかしくはなかったのだ。

どうも時代や小中高の別では説明できない何かが、母校にはあったように思う。

ひとつだけ思い当たるのは、母校が市立であったことだ。

どうもここには、他の県立高校とは異なる力学がはたらいていて、教員の異動が極端に少なかった。
さらに市内の中学校からの異動だとか、他ではみられない変則的な動きもあって、どうもこれがこの学校の特殊な雰囲気を形成するのに一役買っていたのではないか。

そうすると私学はどうなのかという話になるのだが、そっち方面の情報はまったく持っていないので、正直わからない。
案外、似たようなことはあるのかもしれない。

さて、変わった先生の話だ。
そんなわけで、やたらと長く在籍していた先生の多い学校であった。
当時母校は創立35年目くらいだったのだが、もともと別々の男子校と女子校だったものが、戦中だか、終戦だかののタイミングで合併して出来た学校で、創立以来どころか、その前身からいるという猛者がゴロゴロしていたのである。
例えば、家庭科の教師は戦時中、芋のツルを利用するレシピを考案し大変有り難がられたという逸話を語り、世界史の教師は戦後の物の無い時代に、学校の窓が盗まれるので、一枚々々蝋石でガラスに名前書いたとか、生徒たちにとっては有史以前とも思われるエピソードを披露する。

もちろんずっと在籍いるということだけで、即変わっているとはいえないが、やはり度をこして昔からいる人は、長い年月でどこかしら少々ずれていた。

ある日、美術部だったわたしが野外で写生などしていると、向こうから件の家庭科教師が杖をつきながら歩いてくる。
口をひらいて曰く、「あなた、昨日もここで描いていらしたでしょ?」
さて、なにか失敗でもしたかなと身構えていると、
「わたくしあなたのことを歌に詠みましたの」
びっくりして気の利いた返事もできなかったが、ああ、詠まれてしまったと、変な感慨があったのは覚えている。
この先生は、野外で私をみるたびに近づいてきて、在学中、都合三回は歌に詠まれた。

一方の世界史教師は、教員生活で生徒にウケた冗談、というのをいちいち教科書に書き留めていて、毎年それを延々と繰り返す人だった。
なので先輩が、今どのあたりをやっているのだと聞いてきて、「えーとナポレオンのあたりです」などと返事すると、「ならばそろそろ私の彼は左利きのギャグが出るぞ」てな具合に事前に教えてくれるのである。
果たして翌日の授業では、律儀にその通りの話がされるので、生徒には大受けなのだが、こうなるとギャグが面白いのか、この通過儀礼が楽しいのか、よくわからない。(ところで「わたしの彼は左利き」のギャグってなんだと気になる向きもあるとは思うが、いま改めて文章に移すと別に面白くもなんともないので書かない。各自想像してほしい)

他にも、同じ範囲の授業を3回続けてやった挙句、最後は隣の中学校から聞こえてくるチャイムに反応して、10分早く授業を切り上げてしまう地理教師や、生徒に向けてチョークを投げさせたら百発百中の数学教師などがいたが、みんな今の時代なら問題教師にされてしまうのだろう。

書いていたらまだまだ思い出したので、この話は続く。


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