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諸人こぞりて
クリスチャンではないのだが、幼稚園はキリスト教会が運営するところへ通っていた。
その年、新しく開設したばかりの、小さな切妻屋根のささやかな園だった。
一期生の年長組にはわたしともう一人、みゆきちゃんという女の子がいるばかりで、年少の2クラスをあわせても全部で30人ほどだったのではあるまいか。
今になって考えれば、何をするにも手探りの状態だったはずなのだが、それでも節目々々にはいろいろな行事があって、それなりに記憶に残っている。
その中でもやはりクリスマスは一大行事であった。
たしかその日は夜にかけて、父兄も参加するクリスマス会が開かれたはずだ。
先ほどまでクリスマス物語の説教をしていた牧師が、突然サンタクロースに化けて何かプレゼントをくれたような気がするが、どんな物だったかは思い出せない。
それから、子供たちによる生誕劇の上演があった。
わたしの役はヨセフであった。
「妻が身重で困っています、どうか一晩泊めてください」というのが今日に至るまで忘れない、唯一のセリフである。
「身重」の意味は教えてもらってわかっていたような記憶があるが、もちろん「無原罪の御宿り」について知るのはまだ10年くらい先である。
またわたしのセリフを受けて、「馬小屋だったら空いているよ」と答えるべき年少の女の子が、夜7時という時間に耐えきれず、ほとんど寝てしまっていたのはご愛嬌であった。
子供たち一人ひとりの衣装を作るほど、日本はまだ豊かではなくて、みんな風呂敷をローマのトーガ風に巻きつけていた。
一番年少の3歳児たちは羊の役で、お面をつけて歌を歌った。
みゆきちゃんはナレーターという役回りで、お芝居の最初と最後にちょっと難しい暗唱をした。
みんなわたしが死ぬ頃には誰も語り継ぐ人のいなくなる、昭和の出来事である。