手の届かないこと
1983年。自分の成人式には出なかった。
当時わたしの通っていた美大では、1、2年生は春休みに天下の東京芸大を受験し直すという行為が半ばイベント化していて、並みの美術予備校よりよほど合格率がよかった。
その流れで半分本気、半分お遊びで再受験したのだが、何しろ国立なので共通一次試験(この名称もなつかしいな)を受けねばならなかった。
この試験、当時は1月15日と決まっていて、さらに当時は(当時ばかりだな)この日は固定の成人の日だった。
なので、同期が成人式に出ている間、わたしはマークシートを塗りつぶしていたのである。
ここまで書いて、前提条件が全て変更になっていることに恐れおののいたのだが、極めつけは、昨今は成人年齢が18になりつつあるので、もう「成人式」とすら呼ばなくなっているらしいことだ。
あらためて40年以上の月日がたってしまっている。
話を戻そう。
とにかく私は自分の成人式当日、共通一次試験を受けていた。
しかし、たとえこの日、わたしが試験を受けなくても、成人式に出たかどうかは怪しいものなのだ。
そもそも自分も自分の親も、我が家はこういう通過儀礼に全く無関心な家庭で、この日に写真を撮ろうとか、スーツを新調しようとかいう発想自体なかった。
成人の日というのは、わたしにとっては、勤労感謝の日と同程度の重みしかなくて、体育の日より特別だが、母の日には劣るくらいの位置付けであって、何かをしなくてはならない日ではなかったのだ。
その上、同窓会気分で会いたい中学の同級生というのもあまりいなかった、というか会いたくないやつの方が多かったこともあって、要するに参加しようというプラスの動機が皆無だったのである。
そういえば何か記念品がもらえるらしくて、そこだけはちょっと残念であったが、後で漏れ伝わった話だと品物はアルバムだったようで、なら別にいいやと思ったものだ。
ただ今になって、あの頃、別にあらたまらなくてもいいから、写真の一枚も撮っておくべきだったとは考える。
何しろ自分には19、20の時の写真がほとんど無いのである。
別に写真嫌いとか、何かのこだわりがあったということではなくて、単にあの時代はそんなに頻繁に写真など写さなかったのだと思う。
たぶん人生で一番痩せこけていた頃なので、あったとしても貧相な姿が写っていただけだろうけれど、それでもそこには圧倒的な若さという力があった、・・・のではなかろうか。
そう、スナップでも記念写真でも、とにかく被写体がただ若いというだけで無条件に発する力、あるいは狂気みたいなものがあると思うのだ。
例えばしばらく前の荒れる成人式だとか、昨今のド派手衣装などという報道、おそらくあれは一部の地方限定の話で、珍しい画だから、珍獣よろしく映されて全国放送されている訳だが、あの自分から珍獣の世界へ飛び込んでいくバイタリティーみたいなものは、紛うことなき若さの力である。
あれを苦々しく思うのは自由だし、私も決していい印象はないけれど、ディスコで扇振って踊っていたり、異常なほどの肩パットに紐みたいなネクタイをしていたり、いつの時代も若い奴らは痛々しいものだ。
そういう若さの狂気みたいなものをたたえた、自分を見てみたい。
いや、決してド派手衣装を着たいということではなくて・・・。
それがチラリとでも感じられる写真の一葉でもあったら嬉しいのではないかと思うのだ。