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団地のわたし

最近までNHKで放送されていた「団地のふたり」というドラマを見ていた。

子供の頃から団地住まい、出戻りの大学講師と独身イラストレーターという、50代女子のシスターフッド物である。
その年で女子というのもどうかと思うが、人間30過ぎるとそんなに中身は変わらないし、「ずっと友達であった」という設定のふたりには、やはり女子という言葉がよく似合う。

演じるのは小泉今日子と小林聡美。

個人的にはアイドル時代のキョンキョンは苦手であった。
その昔、彼女が痩せっぽちな体にランドセルを背負ってテレビに出たことがあって、それがなんとも痛々しく思えて、生理的にダメとなってしまっていたのだ。
ただ今の彼女は、いい感じに歳をとった大人になっていて、決して嫌いではない。

一方、小林聡美はずっと小林聡美。
サブカル系不思議少女と賢者おばさんの間を行き来していて、
このドラマでは若干押しの強めの「聡美」であった。

いずれにせよどちらも素で演じて味を出す役者だと思うし、実際、力の抜けた演技で気楽に見られた。
物語自体も、悪い人が出てこないほのぼのムードの脚本で、要はふたりの女優を楽しむための作品といっていいのかもしれない。

NHKはこの手の作品を定期的に世に出すが、わたしとしても10本に1本くらいはのんびりした気分でドラマを見たいと思うので、この作品自体には満足している。
佳作だったと思う。

                      

ただわたしがこのドラマを見ていたのには、実はもう一つ理由があるのだ。
「団地のふたり」の「ふたり」だけではなく「団地」の方にも惹かれていたのである。

そう、わたしには5歳から15歳まで、複数のいわゆる公団団地に住んでいた経験がある。
特に小学生時代を通して住んでいたT団地は、建設時は東洋一と謳われたマンモス団地で、そこにはドラマで描かれたのと同じような、確固としたコミュニティが存在し、生活のさまざまの場面で機能していたのだ。

当時の公団団地の全てがそうであったのか定かではないが、確かにこのT団地では、夏祭りだの、朝市だの、共同購入だの、折々に自治会主催のイベントがあって、住民たちは深く結びついていた。
子供の数はやたらと多くて、団地の中に小学校が3つもあるという有様であったが、住民はある種の同質性を持っていたから、どの世帯も極端な金持ちでも貧乏人でもない、少なくとも経済的に他人を羨んだり見下したりしない関係性があったように思う。

どの家も両親と子供が1人か2人。
住んでいる間取りも大して変わらない。
少し豊かになった者は出ていくが、すぐにまた同じような住民が入ってくる。
子供たちは、そんな中で無用の軋轢を感じることなく、のびのび育った。

別にユートピアではなかったけれども、それでもそういう古き良き世界が垣間見られたのが、わたしがこのドラマにチャンネルを合わせた理由であったのだ。

                      

今や全国の公団団地は衰退して、場所によってはスラム化さえしているという。
いつの頃からか、団地から出ていくタイミングを逸した世帯、子供だけが独立して出てしまった世帯などが老齢化して、ダイナミックな団地の血流が滞ってしまったからだ。
子供の数は減り、住んでいるのは老人ばかり。
これもまたドラマに示唆されていた世界である。

ある世代の少なくない日本人にとって、団地というのは人生の原風景だ。
だからどうしろという話ではないが、もう少し本格的にここを舞台にした物語があってもいいのではないか。
団地文化のようなものは、もうそろそろこの国から消滅しかかっている。
保護しないまでも、記録するくらいはしておいても損はない。
そんなことも考えた。


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