マガジンのカバー画像

父の話

8
父は何も語らなかったが、多分語るに足る人生を生きていた
運営しているクリエイター

#鹿児島

父の話(6)

父の話(6)

父は酔うとたまに九州弁を話した。
望まぬことではあったが、東京の小学生も、少しずつ鹿児島での暮らしにも慣れていったのだと思う。
そういえば酒も芋焼酎を好んだ。
後述するが、成人してすぐに九州から出ていったにもかかわらず、九州人としてのアイデンティティは育んでいたようだ。

ともかく父は、中学まではなんとか祖父の庇護を受けていた。

ところが父を鹿児島に呼んで5年もすると、祖父はまた彼を養子に出すと

もっとみる
父の話(5)

父の話(5)

さすがの祖父も、いつまでも子どもをほったらかしというわけにいかなかったのだろう、1年ほどで父は祖父のいた鹿児島に引き取られた。
小さな畑をやってその日暮らしをしていたらしい。
祖父はそこからもう東京にもどることはなく、実業家として再起することもなかった。

この時、父は小学校の5年かそこらであったわけだが、東京のお坊ちゃんが、九州、鹿児島の財部町という、僻地にやって来て、その文化的ギャップは、想像

もっとみる