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父の話(5)

さすがの祖父も、いつまでも子どもをほったらかしというわけにいかなかったのだろう、1年ほどで父は祖父のいた鹿児島に引き取られた。
小さな畑をやってその日暮らしをしていたらしい。
祖父はそこからもう東京にもどることはなく、実業家として再起することもなかった。

この時、父は小学校の5年かそこらであったわけだが、東京のお坊ちゃんが、九州、鹿児島の財部町という、僻地にやって来て、その文化的ギャップは、想像を超える激しいものであった。

転校初日に、ひとりの児童がやってきて、唐突に「お前、まくるか?」と聞いてくるのだという。
「まくる」は土地の方言で「負ける」の意味で、要はお前は喧嘩で俺に負けるか?と聞いているのだ。
ここで「まくる」と答えると、父はこの児童の下につかなければならない。
「まけん」というと実際に取っ組み合って、勝負をつけるという。

実は初日に来たのはクラスで一番弱い奴で、翌日には下から2番目の奴がくる。また翌日は3番目に弱いやつだ。
要は誰かに負けるまで毎日喧嘩を繰り返し、クラスの序列のなかに位置付けられるのである。
もちろん下についたら、上には絶対服従だ。

終戦直後の時代背景を考えても、また九州の片田舎の土地柄を考え合わせても、東京の小学生には十分に酷い話ではないか。
初めての見知らない土地で、父がどのような日々を送ったものか、想像に難くない。

結局、彼の序列がどこに収まったのか、父は語らなかった。


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