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虐待によるメンタル疾患をどう乗り越えるか 両親と双子の姉について

大人になるにつれようやく、だんだんと自分は虐待をされていたのだということを認識し始めました。
それだけ、家の中のことは閉じられていて、歪みに気づけないものなのだろうと思います。
小学生の頃から体調不良などのメンタル疾患が出始めて、20年近く続いています。メンタルクリニックに通っていて、今は休職し、家族と距離を置くようになり、少し改善した部分もありますが、まだまだ治り切らず、苦しい状態になることが多いです。

物を買ってもらったり、遊びに連れて行ってもらったりと、優しいときもありましたが、一方で、結構な酷い扱いを確かに受けていたと、最近では認識できるようになりました。
"優しい時もあるから、自分の親は虐待しているわけではないのだ"と認識しがちですが、"何かを与えられた分、酷い扱いをされても受け入れるべき"、という考えはおかしい、"自分を守るために、きちんと怒っていいんだ"と、最近では思っています。

母は自己肯定感の低いタイプだったと感じます。頑張って子育てする時もありますが、キレやすく、一度キレてしまうと理性が飛んでしまう人でした。八つ当たりをしても、夫婦喧嘩に巻き込んでも、絶対に謝ることができず、何度でも繰り返します。殴られたことは少ないですが、ピアノが上手く弾けない時、隣に座っていた母が私を怒鳴りつけて思い切りビンタしたらしいと、姉から聞きました。記憶が無い部分が多いですが、何度か殴られたこともあるようです。

私が小学生の頃、父が浮気をしていたのが母にバレて、家の中がめちゃくちゃになりました。母にとって、父親(私の祖父)が亡くなったり、その時期に産まれた妹に発達障害があったりと、大変な時期ではあったと思います。
ですが、それにしてもあまりに積極的に子供を巻き込んで、酷い扱いをしていたと、今になって思えるようになりました。

母が父に、「子供達(私と双子の姉)を有名私立中学に受からせられなかったら離婚する」と言ったらしく、ピリピリした父に、勉強を促されました。ここも記憶が曖昧ですが、父に叩かれながら、勉強させられていたようです。頭を掴まれて、机に押さえつけられたこと、父が手を振り上げて、反射的に庇う姿勢を取ったことだけは覚えています。
後からわかったことですが、父は双子の姉のことは殴らず、私の事だけを殴っていたようです。
成績は私の方が少し良かったはずなのに、なぜ私だけだったのだろうと考えると、姉は甘えん坊なタイプだったので、私の方が殴りやすかったのだと思います。

母から、父への嫌がらせのために、会社にいる父に電話で"ママがご飯を作ってくれなくてお腹すいた"と言いなさいと言われ、そう電話口で言わされたこともあります。
また、母の実家は少しお金のある家だったこともあり、散財する姿も見ました。ブランドのぬいぐるみを山ほど買ったり、猫をペットショップで20匹くらい買って、結局飼いきれずに、他の飼い手に引き取ってもらったりしていました。

追い詰められていたとはいえ、他者にあまりに酷いことができてしまっている。何より20年近く経った今でも、それを反省したがらないことに、やりきれなくなることがあります。

先に親に対して怒りを持ったのは姉でした。
私は小学生の時からずっとどこかしら体調が悪く、メンタルも不調があり、学校に通う事が苦痛でした。
姉は高校生の時、調子が悪くなり、いかに両親が酷いかということを私に話し、その時初めて私は酷いことをされていたのだと自覚し始めました。
姉の方が、自分が可哀想だという認識が正常に出来ていて、友達や学校の先生、電話相談など、人に両親のことを話すハードルが、私より低かったようです。
私よりも、"自分のために怒る"、"人に頼る"ということができていました。
私も姉の話をたくさん聞いて、慰めて、家の中で姉が孤立しないようにと思って対応していました。
その時には姉も、「本当にありがとう! 妹(私)が同じように辛くなった時は、私、話聞くから!」と涙ながらに言っていました。
私はその後もずっと辛い状態が続き、メンタル疾患も治らず、姉の言葉から自分の扱われ方を自覚して、ようやく両親に怒りを感じられるようになりました。
しかし、姉の話を聞いていた時から大分時間が経った頃に、怒りで苦しくなった時、姉に話を聞いてもらおうとしたときに言われた言葉は「お世話になってるじゃん」でした。諭すように、私の考え方の方が問題だと言われ、理解を示してくれることはありませんでした。姉の話を聞いた時のことを指摘しても聞き入れられません。
父もそのことに関して、"姉は成長して考え方が変わったんだろう。お前は(両親に対する)感謝が足りない"と、あくまで私が未熟であると言われ、姉を庇います。
自分が助けられた時と同じ状況になった姉妹を、無下に扱うことの矛盾は、家族の誰もおかしいとは思っていません。

そうして、私が両親に対して気持ちを訴えているとき、姉は両親の側について、3対1で、私の方が間違っているのだと言われ続けました。これはかなり苦しかったです。
取り乱している母に「ママ、大丈夫?」と、まるでひどい妹から母親を庇うように心配そうに寄り添って慰めた姿が、今でもかなりショックです。
私がかなりまいっていて、ギリギリの状態でいることを知りながら、仲良く母と二人でクリスマスツリーをかざりながら楽しそうにしているのが、見ていてとても辛かったです。
それぞれの悪口を聞いたり、喧嘩に巻き込まれたりしているのに、私に対している時だけは、3人でお互いを庇い、全肯定し合ったり、心配し合ったりします。

父は母を全肯定していて、私から母を庇おうとします。
"娘(私)から母を守る!"という、なぜ?と思える正義感があるように感じます。
母がした酷いことを話ても、"あの人はしょうがない"、"あの人は一生変わらない"、"お前が変われ"と言われます。
私が母のしたことに対し気持ちを訴えることをひどく嫌がり、怒ります。私がどれほど苦しんでいても、母の気持ちの方が優先です。
"あの人(母)は、酷いこともしたけど、その分たくさん世話を焼いたと思ってる。皆それぞれ言い分があるんだから、不満を持ったら距離を置くんだ""人を殺す人にも言い分があるんだ"
と言って、私が親に怒ることを許しません。
私から見ると、ひどいことをされても文句を言うな、という加害者に都合の良い理屈に思えます。でも、それが本当に正しい考えだと思っているようです。
なぜか加害者から被害者を守るように私から母を庇い、かなりめちゃくちゃなことに関しても、母のことなら全て肯定してしまいます。
自分が浮気をしたことに関しては、すっかり何もなかったように話します。それに関して、私も口に出すことができずにいます。
メールで言い合いになった時、"自分が上手くいかないのを人のせいにしてませんか?"と書かれたり、"人のせいにしたら楽だもんな"と言われてしまい、そうなのだろうかという気持ちと、それはおかしいのでは?という気持ちが揺らぎます。
"じゃあ姉が治ってるのはなんなんだ、お前の問題だろ"とも言われましたが、父が姉は殴らず私だけを殴っていたことを、とっさに言い返すことはできませんでした。
また、姉が不調の時に私は親身に話を否定せず聞いたのに対して、姉はすぐ両親の味方をして、3対1という構図を躊躇なく取ったことも、言うことができませんでした。
母も、"家庭環境が子供のメンタルに関係があるという話がある"と私が言ったのに対して、「違うと思うよ。(あなたの)持って生まれた気質だと思うよ」と言います。
過去にされたことを話題に出そうとすると、「昔のこと言うんだ」と言って、"私に嫌なこと思いださせる気?"というような、こちらが酷いという強い怒りの態度を見せます。
また、"兄弟の片方が甘えん坊だと、もう片方が甘えたくても甘えられなくなり、メンタルに問題が起きる事がある"という話に対しても、はあ…、ととてもうんざりしたため息をついて、「違うよ、あなたは本当に一人で遊ぶのが好きだったよ」と言われ、ショックでした。
寂しかったり、辛い感情は押し込んで感じないようにするタイプだったと分かり始めた今、いつも感情をぶつけられるまま、抵抗するという発想もなく、家族の中で都合の良く扱われてきた部分があると思えてきました。
だからこその不調ではないかと思います。
私のメンタル疾患が長く続いていることに関して、家族3人から、私の努力不足だと怒られます。
自分で、もっと嫌だと言ったり、自分への不当な扱い方に対して怒って跳ね除けるべきだったんだろうなと思います。
それを受け入れることは、"自分は酷い扱いをされても当然の人間なのだ"と、他ならない自分から冷たい言葉を浴びせているようなもので、やってはいけなかったのだろうと、今になって思います。

家族に対する怒りを持つことは苦しく、忘れようとしますが、自然に記憶が蘇ってきては切り替えての繰り返しです。
メンタル疾患を治すことが難しく、辛い症状が続くので、自分の過去についてどう向き合うべきかなかなか答えがでません。

過去を思い出すことも辛くて、また、見苦しいものを人に聞かせていいのか、とも思いましたが、"外に出す"ということは大事なことだろうということ、同じように苦しんでいる人にも意味があることかと思い、文章にしました。
否定されたり酷い扱いを受けるうちに、自分自身に、"自分はダメなんだ"という考えが強くすりこまれるようになります。
"自分の存在は許されないから、別の存在にならなくてはいけない"、といつも気持ちが焦り、いつも落ちつけなくなりますが、最近になって思うのは"良くなろう"、"違う自分に一刻も早くなろう"。そうすれば許されるという考えを自分がしていたこと。
それよりもむしろ、"自分を許そう"、"どんな自分でも良い"と意識して思うようにしていく方が、解決に繋がるかもしれないと思いはじめました。

忘れてしまいがちなのが、酷い扱いを他人から受けた時、自分の中にも、"自分はダメなんだ"、"自分はダメだからどんな酷い扱いをされても仕方がないのだ"という認識がすりこまれてしまうことです。
それ自体が歪んだ認識なのに、とても強いすりこみで、自分が素直にそれを信じて、その前提で物事を考えて、解決策を探そうとしてしまいます。
その前提の方に歪みがあったことを自覚して、強い強いすりこみを消すための努力が、お金を稼いだり、仕事のスキルを上げたりといった、成長するための怒力以上に大事なのだと思いました。
子供はとても素直で純粋で、家族の言った"お前はダメなんだ"という言葉を、絶対的な真実として強く強く信じ込んでしまいます。
自分は例外だ、本当にダメなんだと、思ってしまうかもしれませんが、酷い扱われ方をするべき子供はいないこと、自分は不当な扱いをされていたと、一瞬でも信じてみるようにすると良いかもしれません。
ネットで、"自分を、大切な友人と思って扱ってみる"というやり方を耳にしましたが、その観点で自分の日常を見ると、いかに自分を雑に扱って、心ない言葉を自分で浴びせているか、誰かが言った否定を、いかに素直に信じ込んでしまっているかがわかります。
すりこみが強いほど抵抗がありますが、自分にご褒美をあげること、自分はそれをもらっていいのだと思ってみること。
自分は何かを変えなければ許されないような存在じゃない。そのままの自分で、いつでも許されている。そう意識的に思うようにする。
そういう特訓が、一番大事な特訓かもしれません。

怒りや罪悪感は苦しい感情で、解消法を見つけることは難しいですが、その都度色んな方法を考えながら、自分や、自分と同じようにやりきれない思いをしている人が楽になっていって欲しいと思います。


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