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"許す"ということは相手ではなく自分に対すること

"人を許すことが大事"という言葉を聞いて、苦しくなったり、自分が消えいりそうな気持ちになることがあります。

"自分はそんなひどい事をされて当然な人間なのか"と傷ついたり、"自分が受けた苦痛は一体どこへ行くのだろう"とやりきれなく思ったり。

私自身そんな思いになることがあり、その苦しさから、"許す"ということについて考えてみました。

結果、
それはむしろ、"忘れて、無かったことにする"事とは全く違うことなのでは、という考えが浮かびました。

そしてまた、
人がそう言うから、と無理に意志の力でやる必要はないのかも、とも思いました。
というのも、"許せない"、"ひどい"、という葛藤は、自尊心や自己肯定感が低い時ほど、強く苦しくなるのではと思ったからです。

100%自分に自信が持てる人間は殆どいない(100%自分が正しいということもないので、当たり前のことかも)。だから、人から強く怒鳴られたり、否定されるような扱いを受けると、例えそれがただの八つ当たりでも、自分が悪いのかな?というバツが悪い思いや、罪悪感が必ず少しは湧くものだと思います。

"怒りは自分を守るためのもの"と聞くこともあるから、自分の中で罪悪感が強くよぎったり、自分が正しくないのかも、という考えが無意識に広がるほど、
そうではない、悪いのは相手だ、と相手にも、"自分にも"、強く証明しなければならず、
葛藤が大きくなり、苦痛が大きくなる。
相手が悪いのだ、と自分の中で叫ぶたびに、本当は自分が悪いのではないか、自分は尊重されるような人間ではないのではないか、という声もこだまするから、そのた度に自分が切り付けられる。
ボロボロになりながら、ずっと戦わないといけなくなる。

実際に悪くなくても、ひたすらに激しく悪意を向けられる環境にいたり、ひたすらに否定される環境で育てば、
きっと誰でも、自分を心から認められなくなり
そんな自分をなんとかして守るために
葛藤が大きくなって、苦痛が強くなる。


だからむしろ、
"あれはただの八つ当たりだったんだ、自分が悪いわけではなかったんだ"
とか
"自分がどんな人間だったとしても、あんな扱いをされるいわれは無かった"
と、心から思えた時に、
葛藤は収まり、怒りも少し和らぐ。

それが"許し"だとするなら、
その許しはむしろ、無かった事にするというよりも
淡々と相手に対処をすること。

公的に、自分が受けている扱いをやめさせるように対処してもらったり、
周囲や世間にあった出来事を言えるようになる。

表面ではそう思っていなくても、"無意識に自分がダメな人間だからなのでは"という言葉がこだましている時、
苦しいのに、あまり人に言えなかったり、
具体的に動いて対処できなかったりすると思います。

ブレーキを思い切り踏まれながら、無理矢理頑張ってアクセルを踏んで進もうとして
へとへとになる
それよりもスムーズに、ただ普通に進むべき方向を向いてアクセルを踏むだけ。

だから"許す"というのは
自尊心が傷ついて、自分を肯定できない状態で
無理矢理気持ちを曲げることではなくて
自分を許せる、受け入れられるようになることから生まれる
相手への対応のことではないかと思う。


"自分は酷い事をされて当然な人間なのではないかと思い込みながら、必死でそうではないと言い聞かせようとする戦い"が"許せない"ということで

自分はそんなことをされるべき人間ではないと思えた時に、自分を許すことに伴う相手への許しは、
ただ無かったことにするというよりむしろ
感情的にならず、"こういうことをされたが、それは不当なことだった"と、適切な措置を行うこと。


例え大事に思っているような人間が相手の場合にも、"自分はあなたからこういう扱いを受けるのは不当なことです"と主張することは相手に対してひどいわけではないと思う。
そしてそれはもしかすると、"気分で殴ったり怒鳴ったり、相手を否定していいのだ"と思わせておくことよりも
相手にとってタメになることかもしれない。



人に酷い扱いをする人もまた、自分の中で、自分は良くない存在ではないか、いや、そうではないと思いたいという葛藤のある人間で
それを自分で解消せずに、人にぶつけることで気を紛らそうとする、弱さからくる他者への甘えを持つのかもしれない

その扱いを受け入れることよりも
自分が自分を尊重している姿を見せていくことが相手によく作用するのかも

もちろん、自分がまだ葛藤があり、苦しい時には、"相手のためになる"、という言葉は辛くささると思う。

なので結局まずやることは
"自分は酷い扱いをされるべき人間ではなかった"と、
深く染み付いた"自分はよくない人間だ"という思い込みを変えていくことなのだと思います。

それが出来るまでに、"相手を許すことが大事"という言葉を、無理に苦しく受け止める必要はないのではないかと思います。

相手に怒りが湧くとき、苦しいとき、
どこかで自分が自信を失っていないかと考えてみること。
ダメな人間なんかじゃないんだよ、と言いきかせてあげること。

簡単なことではないかもしれないし、
一度できたと思っても、その時によって波があると思う。


怒りというものは苦しいものです。
今現在、同じように苦しい思いをしている方がいたら、少しでも楽になれるように祈っています。

自分を許して、心から楽しめる日々が送れたらといいなと思います。


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