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算数とコーヒー/学校に欲しい「特別な経験」

「なぜ学校へ行くのか?」その問いへの答えを用意することは難しくありません。

「法で定められているから」「学習することが将来のためになるから」「集団の中で社会性を身に付ける必要があるから」など様々な答えが考えられます。しかし、これらの答えは、子どもの立場から考えたときに本当に答えになり得るのだろうか?ここ数年、この問いを抱えながら教師という仕事をしています。


「働き方改革」や「コロナ対応」の基で削減された行事や取組。

それらの中には、子どもにとって楽しみにしていたものも意外とあったと私は感じています。




振り返ると、初めての転勤。

新しい赴任地で担任したクラスの5年生に「この学校はどんな学校?」と聞いたことがあります。

その子は「先生、全校集会が面白いんだよ。みんなで音楽に合わせて歌って、足踏みをするんだけど、それが体育館全体が揺れているように感じるんだ。」と笑顔で教えてくれました。

数週間が経ち、春の全校集会。流れてくる音楽に合わせて全員が歌い、タイミングを合わせて足踏みのパートが始まります。ドン!パン!ドドパン!体育館の端にいた私に伝わる大きな振動を感じます。ぐらぐらと足から伝わってくる刺激は、体だけではなく心も揺さぶってきます。地鳴りのような大きな音なのに、子どもたちは笑顔です。私も驚きの後、笑顔になって「全校集会が面白いんだよ。」と教えてくれた子に「すごいねこれ!」と話し、笑い合いました。


その5年生を持ち上がった6年生の時の話です。

「チャレンジランキング」という、「順位付けができる遊び」を3〜6年生の各クラスが企画し、お互いに参加しあって上位を目指すといった行事の企画をしていたときことです。

「1位が高学年だけなら面白くない。」
「じゃあ、12年34年56年の部にしようか。」
「実際にやってみて、説明と遊び時間を測って何箇所遊び場が必要か考えよう。」
「そもそも、何人遊びに来そうか予想しよう!」
「机のレイアウトの設計考えてきたけれどみんなどう!?」
「教室の運営組と、遊び組に分かれないといけないからシフト組んだよ!」

私は教卓に座り、白熱する議論を眺めていました。

数時間の準備時間と2、3時間程度の開催です。
でも、子どもたちは夢中になって考え、企画します。


自分たちの足踏みで大きな体育館を揺らしている。
自分たちで全てを準備してイベントを成功させる。

どちらの行事も多くの子どもたちは何かに突き動かされるように夢中で、なんだか楽しそうでした。

そして、その姿には「自分たちの行事」という感覚がありました。






そう考えると、むしろ子どもが楽しみにしていたものほど削減されているのではないかと思うほどです。しかし、「働き方改革」と「コロナ禍」の影響を無かったことにすることはできません。特に、「働き方改革」によって少しずつ業務が減っていっていることは喜ばしいことです。学校は新しい形へと変わっていく必要があります。


この変化のうねりの中、以下のような声が次第に大きくなっていきます。

「学校は学習する場なんだから、授業だけに集中したい。」
「教師がやっているこの業務は、教師の仕事ではない。」
「他国と比べて、教師の業務の範囲は広すぎる。」


共感する気持ちももちろんあります。
しかし、心のどこかで納得しきれない部分があるのです。

これらの「教師の業務」という観点で捉える学校はすごく限定的に見えます。
授業を受けるため「だけ」の存在。

もし、その<学校>に通う子どもたちへ「あなたはなぜ学校に行くのですか?」と問いかけたとき、子どもたちはどんな答えを返してくれるのでしょう。

「            だから。」


子どもたちが「  」に入れる言葉がポジティブなものになるでしょうか。

子どもが見いだす学校に来る意味をポジティブなものにしたい。

学校が<学校>へと変化するのであれば、「授業が今よりも更に子どもにとって意味がある」ということが必要条件ではないでしょうか。




話は変わり、コーヒーの世界では「スペシャルティコーヒー」と呼ばれるコーヒー豆が注目されてしばらく経ちます。

スペシャルティコーヒーとは、「消費者(コーヒーを飲む人)の手に持つカップの中のコーヒーの液体の風味が素晴らしい美味しさであり、消費者が美味しいと評価して満足するコーヒーであること(SCAJより)」とありますが、要するに高品質かつ風味の良いコーヒーのことです。


このスペシャルティコーヒーを楽しむ中で、あるバリスタの言葉に出会いました。

「私たちはスペシャルティコーヒーを出しているけど、大切なのはスペシャルティコーヒーではなくて、スペシャルティエクスペリエンスだよ。」

バリスタは、素晴らしい豆、素晴らしい抽出方法「だけ」を提供しているのではない。

そこでコーヒーを頼み、コーヒーを飲む。その行為を行う空間、そこで過ごす時間、バリスタやともに過ごす相手との会話。そしてコーヒーの味わい。その全てをまとめた<エクスペリエンス=体験>を大切にしたいということです。


私はこの「スペシャルティエクスペリエンス」を<学校>と重ね合わせています。

初めて行くコーヒーショップに通うときにワクワク感とドキドキ感。
何度も通いたくなるコーヒーショップへの安心感。

教師はこうしたコーヒーショップの経営者であり、授業を通した「スペシャルエクスペリエンス」を提供するバリスタでもあるのではないでしょうか。


コーヒーを美味しいと感じるように、授業を面白いと感じる。
コーヒーショップに集う人たちと居心地のよい時間を過ごすように、教室に集う仲間たちと居心地の良い時間を過ごす。

コーヒー豆は最高級品でなくても、満足できます。
もちろん忘れられない印象的な豆も存在します。

ワクワク感とドキドキ感、そして、安心感。

授業の中で、教材の面白さに心が動く、そこで誰かと繋がる、そんな特別な経験を子どもたちが体験できれば、きっと学校が<学校>になっていったとしても、子どもたちは「なぜ学校に行くのか?」という問いの答えを見いだせるような気がしています。

今のあなたにとって、特別な授業をしますよ。

そんな授業を提供できるようになることを目指しています。




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