『映画大好きポンポさん』
映画プロデューサーポンポさんのもとでアシスタントとして働くジーンが物語の主人公。B級映画ばかり撮っているポンポさんは長い映画が苦手。一方で長い映画も好きなジーンと対称的な2人。物語は15秒CMの制作を任されたところから動き出す――
自分はAmazonプライムとNetflixの二刀流である。そのため、多くの映画を観ることが出来るのだが、最近はマイリストに入れてそのままになっていることが多い。時間はたくさんあるはずなのに・・・。今回の『映画大好きポンポさん』もその中のひとつだが、これは比較的まだ(マイリスト入りして)新しい方だ。バイトが朝早く、今寝ると間違いなく起きることができないし、映画のレビュー(?)というものを一度してみたかったので、以下感想をつらつら書いていく。
○現代の娯楽はインスタント?
序盤ポンポさんの「製作者は簡潔に表現すべき」発言がまず最初に印象に残った。これは確かに一理ある。スリルが求められるホラー映画なんかは大体90分前後で作られている印象があるし、間延びすると観ているこちら側は退屈になってしまう。いわゆる「名作」と呼ばれる映画は「無駄」を削ぎ落とし、洗練されているイメージがある(作中でも言及されていたようにタイタニックは3時間越えの映画だが)。しかし、自分はどちらかといえばジーン派であり、「無駄」も楽しみたい派である。その一例として、ジョン・カーペンターの『ゼイリブ』を挙げようと思う。
・実は我々の生きる現実はエイリアンに侵略されているのでは?
風刺映画である『ゼイリブ』には不可解なシーンがある。それはサングラスをかけることによってエイリアンの存在に気づいた主人公とその友達の口論(プロレス)シーンである。何が不可解かというと、「とにかく長い」その一言に尽きる。初めて見たときは「え、なが」と誰もが感じると断言できるくらいには長い(と記憶している)。このシーンには何の意味があるのだろうと当時疑問に思った自分は、とりあえずネットで調べた。そして「髙橋ヨシキ」という方の考察動画を見つけた。それを簡潔に述べると、「冗長なプロレスシーンはイデオロギーの戦いを描いた説」となる(記憶違いだったらすみません)。人はそれぞれ色眼鏡をかけて世界をみており、その色眼鏡を簡単に外すことは出来ない。自分の信じる世界が揺らぐ、その葛藤を、あの冗長なプロレスシーンで表現したということである(にしても長いけどね)。他の説だと、当時プロレスが流行っていただとか、キャストがプロレスラーだったとかがあった気がする・・・。長くなったがつまり何が言いたいかというと、明快にわかりやすいことはスッと頭に入ってきてそれはそれで面白いんだけど、たまにはよくわからないことがあっても面白いよね、ということだ。謎のシーンを自分で考えることも楽しいし、調べてみるのも映画鑑賞の楽しみ方だと思う。
思ったより一例のくだりが長くなってしまったが、これはあくまでも観る側の意見であるため、生粋の作り手であるポンポさんとは意見が食い違うのは仕方ないことなのかなとも思った。実際に「今のカット必要あった?退屈だな」と感じたことはあるし、本作でも活用していた、新海誠監督の音楽に乗せて日常をサラッと表現するテンポ良いアレは正直好きだし、結局ケースバイケースではある・・・。
○レオン?セッション?
作中、主人公ジーンはポンポさん脚本「MEISTER」の監督を務めるのだが、この脚本の元になったのはナタリー・ポートマン演じる『レオン』かな?と思った。というのも、ストーリー的(実は観たことはないのだが大まかな話は知っている。観ようとはずっっと思っている)にも、なにより「MEISTER」の女優を演じた人の名前が「ナタリー・ウッドワード」だったからである。失意のどん底にいる老人(後:帝王)が、ある少女と出会い、次第に心を通わせていく話。世界一の俳優・マーティンが演じた「MEISTER」の帝王は、超有名な指揮者であり、家族と音楽なら音楽を選ぶような人であった。音楽以外はいらない。そんな帝王が、少女と出会うことで魚の匂いやヤギの鳴き声を知った。音楽しかなかった男が、それ以外の世界を思い出し、それでもなお音楽を求めたところは熱かった。自分にはそこまで熱中できるモノがないから、羨ましく感じた。またストイックな帝王が奏者を怒鳴りつける様から、『セッション』の J・K・シモンズが演じた鬼教師っぽさを感じた。何故急にこの名前が出てきたかというと、ポンポさんが好きな映画の一つに『セッション』が挙げられていたからである。このことから、主人公ジーンはマーティン演じる帝王に自らを投影していたが、自分はポンポさんこそがマーティンなのではないかと少し思った。
・投影
少し投影についても触れたい。作中、「物語を通して夢や現実を見た」というようなセリフがあったが、映画鑑賞の楽しみ方の一つに、投影があると思う。作中の主人公は大の映画好きで、好きだからこそ自分で作ってみたくなったし、田舎出身の女優・ナタリーは、映画の世界に憧れて女優になることを決意している。楽しい、怒り、悲しみ、恐怖、映画は観る人にさまざまな感情を抱かせる。自分は映画の世界には存在していないが、登場人物と自分を重ねることで、追体験することが出来る。小説も同様だが、映画鑑賞には現実ではあり得ないことでも体験することができる力を秘めている。そういった点が面白い。
○映画制作って大変
本作を観て、「映画作るのって大変なんだなー」と改めて感じた。キャスト、撮影陣、脚本監督、お金広告宣伝、天候にだって左右される。本作では「MEISTER」撮影中、ヤギの数が少ないというトラブルに遭遇したとき、スモークを使って上手く誤魔化したり、急な雨を活用して台本にないシーンを撮ったりと、臨機応変に対応していた。また、実際のところは知らないが、立場関係なく思ったことをお互いが言い合ってひとつの作品を作り上げていく様は心地よかった。名作と名高い『ショーシャンクの空に』という映画でも、冒頭の不倫シーンを撮影する時間が足りないというトラブルに見舞われたらしいが(違ったらすみません)、上手く編集して見事にシーンを作り上げている。というか、言われなければ気づかなかったわけだが、こういったことを知ってから観ると違った見方ができて面白い。本作では編集含む映画制作を垣間見ることができて新鮮だった。
○総評
面白かった。ポンポさんが「製作者は簡潔に表現すべき」と言っていたように、本作もテンポ良く簡潔に表現されていたように思う。「映画の編集」という一見地味な作業を視聴者に飽きさせないようにするなど、上手く演出して魅せるようにしていたと感じた。また、「映画は女優を魅力的に撮れてたらOK」というポンポさんの持論も、本作に反映されているように、節々から感じられた。
○おわりに
自分は基本的に「ROM専」であるため、書く習慣は全くといっていいほどなかったのだが、一度レビュー的なことをしてみたかったので書いてみた。結果、話がとっちらかってしまう。自分の感じたことを言語化してきちんとした文章としてまとめることはとても難しいことがよくわかった。一方で、映画を観る前、観ながら、「note」に感想書いてみようかなとすこーし思っていたので、「何書こうか」と考えながら観ることができ、いつもとは違った鑑賞ができたと思う。新しい体験をすることができて新鮮だった。バイトがめんどくさい。寝たい。