自分が思ってる囚われは本当の囚われではない

大島信頼さんの遺伝子スイッチOFFのお話を読む限り、「自分が思ってる囚われは本当の囚われではない」ということがまず一点。

まだその囚われのせいだと思ってる時点では何も変わらない。
というか大体嘘。


ハッキリ言うと、情欲に従えないやつはカルト・上辺の思想に流されていく。
あんまり直接的な言い方はまずいかな?と躊躇はしていたのだけど、
結局、周囲から見た自分に囚われてる限り、一生治らない。(幼児決断のまま一生を終える)


「内なる声」というが、自分の中にいる「神様」を信じることができない。
だけど、それに耳を傾けることができるのは本当に少数らしく、
たいていの人は外部の声を鵜呑みにしてしまうようだ。

(中には、はなから外部の声に耳を傾けない宇宙人も存在していた)




その人は私にかなり親近感を持っていた。
確かにいろいろ関心持って、調べてくれてるのだと思った。
「感情から切り離して考えるなんて離れ業」だとも言ってた。

私には「傍観者」がいなくなる状態なんて片時もなかった(ASDの症状は別として)
そこに鍵があるのだと私は思う
だけど戦略について頭を働かせるのは苦手なので、こうやって考察を書くことしかできない。


つまり私は感情の一部を切り離す以前から、
「客観視」の部分は存在していたことになる
もし常に客観視・俯瞰がタイプ5の定義ならそうなる

だから右脳が後天的に「人格」なるものを作ったのではなく
右・左脳が交互にやり取りを行い、分離の方法を調節した
(実際、左脳では鈍い痛み=抑制、右脳は電気=活性化)

タイプ5の本質が『一心不乱な概念形成者』であるなら、
私はそのど真ん中を行ってると断言できる
まぁ私は別にこの区分はどうでもよいのだけど


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