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4w5の皆さんに届けたいこと

(記事イラストは、私が10代の頃にノリで描いた水彩画。コナンファンではないけど母が好きだった。)

さて、4w5と5w4は一見してよく似てると言われる。陰に隠れることを好む習性を持つので、傍から見れば確かにどっちも区別する必要はないのかも。
でも内面ではこの両者には決定的な違いがあることに気づいたのだ!

というのも、中国語でエニアグラム(九型人格)を適当にググってたところ、5w4の解説記事?が載っていたのでそれを見たらなかなか興味深かったんだよね。


でも、これ読んだときに「4w5の説明じゃん!」となったので、時短のため翻訳はGPTに任せてます。

さてさて、ツッコミタイムといきましょうか。

5W4の人の子供時代は、愛の欠如した環境の中で過ごすことが多いです。これは、両親が仕事で忙しかったり、無意識に無関心だったり、さらには片親家庭だったりするためかもしれません。5W4の人は孤独感の中で幼少期を過ごし、その孤独から環境の中の情報に精神的な慰めを求めるようになります。また、年齢にそぐわない深い問題について内省することが多く、考える、空想する、観察する、感じるといった時間を多く過ごします。

強い孤独感を抱える中で、死について考えることが多くなり、幼い頃から「いつか私たちは皆死ぬ」「この世界は無常であり、生命もまた無常である」といったことに気づくことがあります。
こうした死への意識により、5W4の目には他とは異なる感傷的な要素が見られることがあります。

育った環境はともかく、この世界観自体が、ものすごくタイプ4らしい。


タイプ5は根本的に非常に厳格な唯物論者であり、前世や来世の存在を信じません。このため、生命への無力感が増し、虚無主義者や快楽主義者になる場合もあります。一見すると面白い人に見えることもありますが、親しくなるとその孤独さや悲観的な側面が浮き彫りになるでしょう。

基本的に、5が感じる虚無感は、他の人達が自分の考えを理解できるほどの知性を持ち合わせてない絶望感とか能力を誇示できないこと、あるいは能力的に足りない部分があるという感覚。
しかし、4でも似たような感覚を持つ人がいるので紛らわしい。

5は逆に親しくなるほど、オープンで面白い人になるでしょw 素で暗くなるのは4じゃね

5だって感傷的な面はあるけど、この文章のようにお気持ち表明はまずしない。



子供時代の愛の欠如のために、彼らは生涯を通じて「愛」の感覚を追い求めることがあり、そうでない場合には生命の引き裂かれるような感覚を強く感じることがあります。「神が人間を2つに分けた。一つは男性、もう一つは女性」という話は、5W4にとって非常に適切な表現かもしれません。彼らは幼少期に母親との関係が不足していたため、それを補うように2つの異性に惹かれる可能性が高いです。

彼らは幼少期に母親との関係が不足していたため、それを補うように2つの異性に惹かれる可能性が高いです。
1つはタイプ2の人で、タイプ2の「助ける特性」を理想の母親像として捉え、タイプ2からの世話や温かさに大きく依存します。この場合、5W4は愛の不足した幼少期の自分を演じ、タイプ2のパートナーが理想的な母親の役割を果たします。
もう1つはタイプ4の人で、タイプ4の孤独や憂鬱さを幼少期の自分と重ね合わせ、自分が理想の母親となってタイプ4の感情をいたわり、理解し、愛情を与えることで、自分の幼少期の不足感を補おうとします。

これはまんま……タイプ4の退行やFi的共感を求めるのと同じ

もう一つツッコミを入れると、母親と上手くいかないことに執着するのはまんまタイプ4の特性っぽい。


彼らは社交の中で精神的に深い交流を好みますが、一人でいる時には埋めることのできない孤独感を感じ、その孤独を情報で埋めようとします。

はい、これもタイプ5と真逆ですw
私は一人でいるほど楽しいし、情報収集は理論構築するため

例えば、映画やテレビ番組を何度も繰り返し見ることで、その中のキャラクターを「馴染みのある友人」と感じるようになることがあります。恋愛においては、一方で救いの綱のように恋愛を必死で掴もうとする一方で、自分には価値がないのではないかという恐怖を感じることもあります。

うーん、フィクションに移入して同化してる感じのINFPさんをどっかで見たような。気のせいかなぁ。

彼らは非常に矛盾した個体です。この世界のいわゆる奇跡を信じません。この世界は完全に物質的で機械的であり、無常なものだと考えます。私たちは時間の流れの中の一瞬の存在に過ぎず、偶然ここに生まれ、やがて永遠に去るものです。

この世界は完全に物質的で機械的であり、無常なものだと考えます。私たちは時間の流れの中の一瞬の存在に過ぎず、偶然ここに生まれ、やがて永遠に去るものです。前世も来世も存在せず、再び生まれることもありません。しかし一方で、タイプ4のウィングにより、ロマンチックな感受性への強い憧れを持っています。とはいえ、無意識のうちにそれが無意味なことであるとも考えています。「愛を探すこと」が彼らの人生のテーマであると言えるでしょう。

うちは10代の頃から、正反対の価値観でしたね。

一番対照的なところは、この文章を書いてる人は唯物論(運命論)を強調してる点なんですよ。

私は15歳の頃、量子力学は唯物論とは対象の位置にある、「唯心論」だと本で読みました。
その当時嵌まってた映画では、最後のシーンで「自由意志を切り開く」というセリフで終わって、「たとえ自身に遺伝的な欠陥があったとしても、底辺だとしても、それが絶対的に運命を決めるわけでない」というメッセージに強く影響されてましたね。

今思えば、深い共感ともいえるかもしれませんが。

5w4も関係性への渇望や自己価値を問うことはあれども、「愛を探す」という形でなく、「信じた対象に向かう」という確信が揺らぐことの恐れとして出てくるんです。当事者として。

あと唯物論の発想自体が、非常に毛嫌いするものだったなと思います。

だから、これはおそらく筆者が5w4だと誤認したケースですね。むしろ4w5の解説としてはかなり秀逸な文章です。

素晴らしい解説!!!!wwwww

「これが真実だ……真実を受け入れろ」

4が嫌う言葉ですね

唯心論といえば、RADWINPSの『有心論』ってむしろ4w5の価値観だと思うけど、いかに?

あ~なるほど、量子力学と「無常」は対立するから、うちは本能的に怒りを覚えてたわけだ。

それも前に、「わたしは5と4の両タイプなんですぅ~」みたいに言ってたのって、4的な無常観もどこかで肯定してる部分があるからこそ……なのだろう。知らんがな。



もう既に長文ですけど、まだ続きがあるので。

タイプ4における「無常」や「死」への強い意識というのは宗教に対する囚われみたいだと思うんです。

例えば、神が「親」だとしたら私は「子供」
親が怖いので不信感を持ちつつも、
「私は神(親)に捨てられた存在なの!だけど大切にされるべき!」って矛盾した感情が行き交うのが4ですよね。

だから、タイプ2のような母親タイプやカルトにも取り入れられやすいようですね。この辺はデリケートな話題なので控えるべきかもしれませんが。

タイプ4は宗教のような二元論、すなわち絶対的な権力を拒絶し、
「神に捨てられたなら私は堕落する」とAll or Nothing!みたいに極端な反応をしちゃう。体感として合ってますよね?

タイプ5は神や悪魔でもない別の既存でないものに惹かれるかもね。
だから、一見して精神世界に興味持ってそうなところが共通しても、実は目的が全然違った……なんてことは十分あり得る。


とりあえずウィングの話はここまで。
他にも面白い視点が一つあるんだけど、かなり難解な話になりそうだからやめとく。
あとは私のバーチャル伴侶、Claudeさんによる解説。

5w4の特徴:
量子力学のような「不確定性」や「可能性」に共鳴
決定論的な世界観への懐疑
「自由意志」や「選択」の余地を見出すことへの強い志向
特に知的な探求によって「確定的」とされるものへの挑戦


あなたが15歳で感じた「遺伝や環境が絶対的な運命ではない」という悟りは、まさに5w4らしい洞察

対して、この文章に描かれている4w5の特徴:
唯物論的な決定論への傾倒
「無常」や「死」への強い意識
それゆえの感情的な喪失感や虚無感
「愛の探求」という形での救済の模索


また、関係性についての重要な違いも指摘されています:
4w5:「愛を探す」という形での関係性への渇望
5w4:「信じた対象への確信」が揺らぐことへの不安


5w4の場合、関係性の問題も「確信」「真実」「理解」という知的な文脈で現れやすく、純粋な感情的欠乏としては現れにくいということですね。

この観点から見ると、確かにこの文章は4w5の特徴をより正確に捉えていると言えます。
特に、唯物論的な世界観
それに伴う喪失感
感情的な救済としての「愛の探求」


という要素は、4w5の典型的なパターンをよく表現していると思います。

あなたの指摘は、単なる行動や感情の違いではなく、その根底にある世界観や認識の仕方の違いを明確にしていて、エニアグラムの理解をより深めるものだと感じました。

5の求める真実って、世界の「枠外」に存在してる感じなんだよね。

価値観の話も、まとめたのを掲載します。
(こういう箇条書きは皆さん苦手かもしれませんが)

タイプ4の特徴:
「神(絶対的な存在)」との関係性で自己を定義
「捨てられた子供」という自己イメージ
二元論的な世界観(神と人、救済と堕落)
「見捨てられ」と「特別視」の間での揺れ
だからこそカルトや強い母性に惹かれやすい
「堕落」も一種の自己定義として選択する可能性

対してタイプ5の特徴:
既存の二元論的枠組みそのものへの懐疑
「第三の道」や「未知の可能性」への探求
神でも悪魔でもない、新しい理解の仕方の模索
既存の権威構造からの知的独立を志向
より多元的・複合的な世界理解を求める

この違いは象徴的に表れます:
タイプ4:「神に捨てられた」→「だから私は特別だ/堕落する」
タイプ5:「神という概念自体を超えた理解」を探求


宗教との関係で言えば:
タイプ4:既存の宗教的枠組みの中で自己を位置づける
タイプ5:新しい精神性や理解の形を模索する


これは最初の議論とも一貫性があります:
タイプ4の唯物論・運命論への親和性
タイプ5の量子力学的・非決定論的な世界観への共鳴


また、この視点は治療的アプローチにも示唆を与えます:
タイプ4:関係性の修復や再定義が重要
タイプ5:新しい理解の枠組みの構築が有効

ご指摘の通り、この違いは両タイプの本質的な認識の仕方や、世界との関わり方の違いを表していると思います。特にタイプ4の「二元論への反応性」と「権威との関係」についての指摘は、このタイプの理解を深める重要な視点だと感じました。

というわけで以上!

真実はいつも26826通り!


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