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介護ってなんなんだろう②

(以前同タイトル『介護ってなんなんだろう』で投稿させていただいた話の続きになります。過去の投稿『8050問題』というタイトルの文章も合わせてお読みいただいた方がより内容がわかりやすいと思います。かなり重い話だと思います。)


とうとうこの日が来てしまった。
母が高齢者専門の総合病院の精神科に入院した。

約3年前、父が亡くなった葬式の日。
斎場の車椅子専用のトイレが入口付近にあったにもかかわらず一般トイレしかも和式トイレに入って用を足そうとしたばかりに座り込んで立ち上がれなくなった。
途中まで弟が車椅子を押していくのをすれ違った夫が車椅子用空いてるよ、と教えてくれたにもかかわらずだ。

もうその頃から母の認知症は始まっていたのだ。そう実感したのに。
その後だんだんと落ち着いてきたように思えたが、認知症を甘く見ていたのが間違いだった。

あまり話をしない弟と家にいる時よりも楽しそうに過ごしていると思われたデイサービスでの異変を弟から伝えられたのは昨年の12月。
帰りの送迎車で暴れて杖でドアをつつき
「殺される!早くここから降ろして!」などと叫ぶようになったという。
弟がデイサービスを変えるかもしれません、と今まで母と仲良く関係が良好だったデイサービスのリーダーの方に伝えた。
その方が記入した突き放したような連絡ノートの文章。

「もっとひどくなるかもしれませんね。」

一体何があったのか。


年が明けて2023年。今まで担当していたケアマネージャーが退職して別の方と交代するという。今までケアマネさんやヘルパーさんに両親と弟のことを任せてきてしまった。このチャンスを逃してはいけない、と介護事業所の責任者と新旧のケアマネージャーに話を聞きに実家へ。そこで初めて母のケアマネと顔合わせしたのだった。

当時ちょっと威圧的に感じられた前ケアマネが「将来入院することがあるかもしれないよ。だから息子さんや娘さんに迷惑かかるから病院に行かないと」と本人に向かって話すので違和感を覚えた私はなぜ本人に言うの?それにちょっと話が進み過ぎでは?とその時は思っていたが、、、。

新しいケアマネが病院に行ってもお薬もらうだけですぐ良くなるとかじゃないから、とりあえず今のデイサービスの施設は人数が多過ぎて細かいケアをしてくれない、職員同士も仲が良くないし気持ちに余裕がないから変更しましょう、と提案される。私も連絡ノートの違和感が気になっていたので以前より小規模のデイサービス施設に変更することにした。

デイサービスを替えたからと言って症状が緩やかになるとは限らないのは百も承知だ。以前のデイサービスのリーダーに早く病院に行って診察してもらって、だの訪問薬局の方にはとにかく認知症の薬をもらってきてほしい、だのと双方が新しいケアマネを差し置いて強く主張するので私自身も反発をしていたが、あまりにしつこく説得されたため結局高齢者専門病院に予約を入れた。薬局の方が「最初からお姉さんに言った方が話が早かったですね」。
実際もっと早く病院に行っていけば、、と後になって後悔することになる。

認知症の薬を処方してもらうようになってから、弟から耳を疑う話をされた。
かなり前から当初のケアマネ、デイサービス、薬剤師と周りから”お母さんは認知症の疑いがあるのだから早く病院に連れて行ってほしい”とさんざん言われていたらしい。

弟は普段通りの会話ができるからと周りの切実な助言を聞かず認知症として病院に連れて行かなかった。元々高血圧と骨折の予防の薬を処方してもらいに内科と外科には通っていたのだがそれらの先生方にも相談するどころか一言も口にしなかったらしい。その上毎回薬ももらっていながら母本人が飲むのを嫌がるからとどんどん薬を溜めていたらしい。担当医は呆れていた。今のところ身体的には特別異常は見られないので急ぎで対処する必要はないが、認知症はここでは専門外だし大変な問題だからちゃんと家族で話し合って、と案の定深刻な表情で諭された。

弟が周囲の心配をスルーした原因には病院に予約し母を連れて行くのをめんどくさいと思ったのもあるだろう。はあ、、、。
以前のデイサービスのリーダー(スタッフ)も人手不足に加え、ヘルパーさんが用意する母の荷物を母が隠したからおむつが足りないんです、と言い訳がましい態度をとる弟に対し時折嫌味に思えるようなコメントを連絡ノートに書いたのかもしれない。それは決してプロの対応ではないけれど、、、。

当然のことではあるが統合失調症といわれる方の中には働く能力もあれば世間の常識もあり、自分の病気に葛藤がありながらも自分なりに生活をしようと必死にもがいていらっしゃる方も多いと思う。弟は自分が何も出来ないのはこの病気だから、とかみんな僕が病気だから出来ないことがあるのはわかっているはず、と言い訳のように口にするがそれは間違いだと思う。
しかし今さら弟を批判しても仕方がない。
私も娘として頻繁に会いに行きちゃんと母に向き合う時間を作るのを怠ったのだ。そしてどんどん症状が悪化してしまった。

入院当日。先生は本人には入院すると伝えなくてよい、当日はこちらで説明はするから、とのことで普段通りに病院に連れてくるよう教えられた。それなのに弟は母にこれから入院するよ、と伝えたそうだ。どうせすぐ忘れるから、と弟は言うが、、、。
そしていつものことだが私が自宅に着いたらすぐに家を出られるように前もって準備しておくように、と言っているにも関わらず母ではなく弟が着替えをしていない。

どうして、、、?
イライラを押さえつつ支度するのを待ち病院へ。
前の晩は母に事前に知らせず(弟が知らせてしまったが)内緒で入院させるという罪悪感と様々な後悔で胸が張り裂けそうになりなかなか眠れず朝を迎えた。
それと同時にこうするしかないのかという諦めの気持ちもあったり。


想像していた通り多くの利用者がいる広場で「殺される!」
「帰る!おうちに帰りたい!」
「助けて!」
とテーブルに張り付いて叫ぶ母。
完全に取り乱した母を見るのが私は初めてだった。ショックだった。弟から様子を聞いていただけだったから。
私を睨むその顔は激しい憎悪に満ちていた。

私が実家で会うときは普段と変わらず、多少ぼんやりはしているもののいつもの穏やかな母だった。デイサービスでは暴れたと聞いていても家の中、弟の前ではいつも穏やかであった。
最近は家にいても弟に向かって「殺される!」「私が死ねばいいんでしょ!」と自分の首をタオルで締めるふりをするようになる程エスカレートしていった。ただしばらくすると「ごめんね。変なこと言って。」と弟に謝るという。
物忘れがあり高齢なのでアルツハイマーであると診断されたがもしかすると双極性障害や境界性人格障害にも当てはまるような気がする。私は専門家ではないので詳しいことはわからないけれども。

ある日の夜中、母が「眠れない」と言うので弟が話を聞いてみると「私なんかいなくてもいいんじゃないか」とこぼす。そんなことない、と弟は返したそうだがその時弟はきちんと母の目を見ながら冷笑せずに真剣に向き合って話が聞けたのだろうか、、、。

入院前、必要な荷物を病院で確認し、それを弟に伝えた。おむつやタオルなどは持っていく際荷物が増えるので病院のパックで購入することにした。実際にこちらで用意するのは多めの肌着と室内履きの靴。
弟に家にある肌着を用意して当日持ってきてと言うと「あんまりない」。じゃあ私これから買ってくる。室内履きは自宅の履きなれたやつでもいいか。室内履きに使えそうな靴ない?と聞くと「一つしかない」。えっ?今外出する時履いている靴しかないの?パジャマは?「ない」えっ?何を着て寝てるの?「起きてる時と同じ服。着っぱなしだから」。
どうりで朝実家を訪ねると出掛ける前だというのに母だけがゆったりと洋服で椅子に座っている。寝間着がないから着替えもしていないわけか。

、、、おむつ替えもゴミ捨ても皿洗いもヘルパーさんだと聞いてはいたが。私が皿を洗おうとすると「ヘルパーさんがやってくれるからしなくていい」。食事はほとんど冷凍食品をレンジでチンしてあげるだけと聞いた。以前晴れた日くらい母を散歩に連れて行ってあげて、と言ったがどうやらその後も二人揃っての外出をしていないようだ。
ペット(動物)の方がよっぽど愛情を持って手間を掛けられているはず、、、。

「病院に行くといろいろ調べられてネグレクトだなんだと言われて事が大きくなりますよ」

以前現ケアマネが脅しのように呟いていた言葉をふと思い出した。

もうここまで来てしまった。母の様子を見る限り退院できるかどうか。隔離病棟ならばもっと悪化してしまいそう。万が一退院したとしても自宅でまともなケアができるとは到底思えない(病院の質問表に退院後は自宅で、に当然のごとく弟は◯を付けていたが)。

鬱々とした気持ちになった後ふと、母にとって息子の存在は一体なんだったのだろうと思う。
弟に自身の被害妄想をぶつける時「最愛の息子に殺されるなんて!」と叫んだという。大事に育ててきた、というよりあまりに偏った、いわゆる母の過剰な“過保護”のせいで他人の気持ちどころか母の気持ちに寄り添うことが出来ない、自分を守ることしか出来ない弟。

中学校に入った頃から同級生達のいじめにあい殻に閉じ籠ってしまった。その後身体の悩みを抱えたり人間関係がうまく築けなかった。
当時そんな我が子をそっと見守るのではなく子どもが自ら解決しようとする手助けをするのでもなく母一人で解決するためにあらゆる相談機関を訪れ奔走していた、という印象がある。
どうも弟には「面倒なことはすべて僕の代わりに誰かがやってくれるだろう」と考えるふしがある。

果たしてそんな息子と一緒に運命共同体として生きてきた母は自分が“幸せ”だと思う日が少しはあったのだろうか、、、。


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