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介護ってなんなんだろう③

母が入院して3週間弱。
弟と一緒に行く面会の2回目。
いつも眠いのか母は目を閉じたままだ。

「ちゃんとご飯食べてる?」こちらが話すと時たま返事をする。
話は理解できるようだ。受け答えの内容も筋がちゃんと通っている。時折あれれ、と的外れなことも言うが。
比較的穏やかな時以外は肩を触って刺激したりおむつを替える時などに暴れてしまい、介護士2、3人で対応することがあるそうだ。

面会日の数日前に担当医から電話で院内での様子、あまり食事が取れていないこと、腎臓の状態が良くないこと、暴れてしまい点滴ではなく下肢注射で栄養を補給していること等の説明を受けていた。

私から話を聞いていた弟が実際に面会をすると、以前の元気だった母とはかけはなれた様子に少なからずショックを受けたようだ。

そんな意気消沈している弟に「お母さんは自分が私達に“捨てられた”と思っているだろうから、たとえ理解しているかどうかわからなくても“そうじゃないよ”と伝えるようにしよう」と話した。


そんな面会の日、家を出る際に同居する姑に「母の病院にいってきます」と声を掛けた。
すると笑いながらこう言われた。

「あなたも大変ね~。ちゃんと研究してきてね。(自分を指差して)これからの人がいるから。」

あいまいに頷きそそくさと家を出たが、あまりに軽々しく聞こえたので夫や友人にラインして怒りをぶちまけてしまった。
さすがのマザコンの夫もお灸を据えとく!と。友人からはお母さん心配だね、あなたも体壊さないように、と。弟には、、言わない方がいいだろう。

研究って何?母がどうなるか見てろってこと?
姑がよくいう決まり文句は「私がどうなるかちゃんと見ててね。」

現在65歳以上の5人に1人は認知症と言われている。近所にも認知症の方はいらっしゃる。遠方から息子さんが様子をたずねに来ているようだ。中には認知症になったからと同居する家族もいらっしゃるかもしれない。しかしそう簡単に考えられる問題ではない。

元々自分の面倒をみてほしいから、と同居をしつこく迫った姑だがあまりにも自己中心的な考え方に改めてやはりこの同居は失敗だったと悔やんだがもう遅い。

姑はまだ自炊も出来るし、食べ物に気を遣う。若い頃からやっているボランティアも周りに何といわれようと続けている。ガンガンに歩いているし口もかなり達者だし今のところは身体の異常はないようだ。しかも人から何か注意されようが嫌われようがあまり気にしない我が道を往くタイプ。
それって認知症になる危険性がほぼない。

それにしても自身も認知症の夫の介護をしていた人の言葉とは到底思えない。とはいえデイサービスやヘルパーさん以外に周辺のたくさんの近所の人に声を掛けまくり家に上がってもらって義父を励ましてもらったり車の送迎をしてもらったり。人たらしは人を振り回しても自分の味方にする。自身の負担もかなり軽くなるのだからある意味介護の理想形を示しているような。

そして姑は自分が気がついていない間に多くの人を傷つけているのだろう。事実継続していきたいボランティアのプランを引き継ぐ後継者がいないと悩んでいる。
そう、いくら自分の将来が不安だからって嫁の親を実験台にしないでくれ。

とすみません、また愚痴ってしまいました、、。




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