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15年で10のプロジェクトが中止になっても諦めない理由

「君はやっぱり研究に向いているね」


5年ほど前、数名しか入れない小さな会議室で、私は上司とテーブルをはさんで向かい合っていた。
小一時間ほどの面談の最後に笑顔で言われたその一言が今も私を支えている。

◇◇◇

私は製薬メーカーで15年ほど研究職を務めている。

創薬研究は非常に成功確率が低い。

例えるなら、無数の針山の中から他より1mmだけ短い針を素手で探すようなものだ。
さらにやっかいなのは、その針山に本当に短い針が入っているかもわからない。
散々探したけど、実はそもそも当たりがなかった、なんてこともザラにある。

そんな我々を支えているのは、結局のところ「想いの力」なのかもしれない。

患者さんやご家族を笑顔にしたい。
社会の役に立ちたい。
薬を作って生きた証を残したい。
とうちゃんすげえ、って子供にいつか思ってほしい。

私の場合、このリストに「こんなかっこいいひとになりたい」というものがある。


◇◇◇


20年ほど前、大学研究室のセミナーで、一人の企業研究員(Sさん)が自身の研究成果を発表するのを聞いた。

Sさんは私の研究室で博士の学位を取得されたのだ。

博士の学位は、「過程博士」と「論文博士」がある。大学に通わなくても学位論文の審査に通れば企業で働く社会人も学位を取得できる。

初めて企業研究員の発表を聞いて、私は度肝を抜かれた。
周りに非常に優秀な先生や先輩はいたが、それまでの人生で聞いたプレゼンの中でもダントツで面白かった。

「研究っておもしろいんだよ。君にも世界を変える力があるんだよ。」

直接は言っていなかったが、終始そんなふうに言われている気がしてならなかった。

Sさんの軽やかで鮮やかな発表に背中を押され、そのまま足元から上昇気流で一気に吹き上げられて、「Sさんのいる会社で自分も働いてみたい!」とその時強く思った。


◇◇

それから数年後。念願通り私はSさんと同じ会社に就職した。

入社した頃は、Sさんはアメリカに出向していて「やっぱりすごいな、Sさん」と感心した。

帰国後Sさんは研究の現場ではなく、本社の戦略を練る部署に配属された。

『踊る大捜査線』で言えばホンチョウとゲンバのような関係だ。

「あんな研究おもしろくないからやめなよ」

ホンチョウのSさんは正しい。
視野も広く、センスもある。
我々ゲンバの若手研究員が壁に突っ込んで散っていくのが忍びなかったのだろう。
今ならそう思えるが当時の私はひどく落ち込んだ。

尊敬するSさんは「室井さん」でいて欲しかった。
一緒に「研究はゲンバで起きてるんだ!」って叫んで欲しかった。

Sさんは遠い存在になってしまった。

そう、思っていた。


◇◇

それからしばらくしてまたSさんが研究所に戻ってきた。

今度は私が所属する部署のリーダーとして。
初めて近いところで一緒に仕事ができた。

立場が変わるとSさんはとても優しかった。

我々メンバーのモチベーションを上げるため、全面的にバックアップしてくれたし、あらゆる面倒ごとの矢面に立って守ってくれた。

そして何より、研究者としても相変わらず一流だった。世の中のトレンドもしっかり把握されていたし、海外のトップサイエンティストとも沢山つながりを持っていた。

この時Sさんの元でかなり自由に仕事をさせてもらった。ところがそんな期間も1年半ほどで終わり、Sさんはまた海外に異動することが決まった。


◇◇

最後の面談で言って貰えたひとこと。

「君はやっぱり研究に向いているね」

それまで私が取り組んできた研究は何一つうまくいっていなかった。

実に15年で10個のプロジェクトが中止になった。

針を見つける能力がないのか、そもそも当たりが入っていなかったのかもしれない。

正直、自分は研究に向いていないのかも、なんて弱気になることも多かった。

そんな時、その研究力にあこがれてずっと追いかけてきたSさんから、「研究に向いている」と言われたことが涙が出るほどうれしかった。

Sさんは理解していたのだ。
創薬研究という非常に難しい仕事をする上で必要なのは「想いの力」であると。

だから、現場に置いていくちっぽけな後輩に向けて、エールのことばを残してくれたのだと思う。

研究って楽しい。
君は研究に向いている。

そのことばは、どんな困難がやってきても心の中でじんわりと温かく輝き、諦めずにまた一歩足を踏み出す勇気をくれた。


◇◇◇

2025年になり、再びSさんと同じ職場になった。
Sさんの部下は今や100人を優に超えている。

Sさんの新年のあいさつ。

「我々の仕事は薬の種を生み出す言わばゼロイチの仕事です。最終的に薬になる(承認される)のはとても難しいし、ほとんど失敗します。でも、薬が承認されるよりもさらに難しいのが、高い薬価を付けてもらうことです。高い薬価を付けるには、薬に様々な価値を付けなければならない。患者さんにとっての価値です。それができる唯一の仕事が我々研究です。世界に目を向け、皆で協力し、我々にしかできない研究をやりましょう」

この20年、まったくぶれずに進む道を照らしてくれているSさん。

「こんなかっこいいひとになりたい」

この気持ちと、

「自分は研究に向いているんだ」

という自信が今の私を支えている。




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