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バフチンと、近代批評の批判と、苦手意識。 ドストエフスキー「大審問官」② 


 正直いって、私はドストエフスキーの小説が苦手である。
 というのも、とにかく進行が遅い。何百ページも読んだのに、まだ同じ日の午前中だったりする。つまらない情景描写こそないものの、「これ、いる?」というような数多のエピソードが延々とつづき、登場人物はだらだらといつまでも喋りつづける。ちっとも前に進まない。物語の展開が絶望的に遅いのである。
 そのせいで私は、このくだりは飛ばしちまえ、という誘惑とたえず戦わなければならない。それがハンパないストレスなのだ。
 短気な私は、じつに難渋せられるのである。だから、コロナの巣篭り期に、一念発起して、気合をいれ、何十年ぶりかに『カラマーゾフの兄弟』を読みかえしたのだが、やはり、じりじりしながら、そうとうに我慢して読まねばならなかった。

 当時のロシアでは、もちろんテレビもインターネットもないわけで、サロンで娯楽として、小説が朗読されていたようだ。だからドストエフスキーもそういうニーズを頭に入れて小説を書いていたであろう。それなら、読んでいて無駄な諧謔とおもえる個所も、あちこちから笑い声がもれて、会場が温まることを考えると、ぜんぜんありだろう。かれにかぎらず、このころの長い小説はみな、そういうふうに書かれているのだろうとおもわれる。

 小説のページに頭をつっこんでひたすら孤独に読むのではなく、誰かが朗読してくれていたなら、私もしあわせになれたのではないか。あしひきの長鳥の尾のしだり尾の長々し小説をひとりかも読むのは、なかなかの苦行である。

 大学で、新谷敬三郎先生の文学論の講義をうけたことがある。
 新谷先生といえば、バフチンの紹介者として、私のような不出来な学生でも知らぬ者のないロシア文学者だった。

 講義にでてみると、なかなかバフチンはでてこず、穏当な文学論が粛々と展開された。いまからおもえば、構造主義やロシアフォルマリズムの論理がやさしく敷衍されていたようだ。
「ジャーナリズム」の要求を無視して淡々と語る先生の話を聞きながら、真の学者とはこういうものなんだなと、へんに感心したのをいまも記憶にとどめている。

モノローグとポリフォニイ

 バフチンのドストエフスキイ論を読んでいて、誰しもまず気付かされることは、《モノローグ》という言葉と《ポリフォニィ》という言葉が対照されて使われているということだろう。例えば――
「哲学的モノローグの道、これがドストエフスキイ批評の基本線である」
(中略)
 このことはドストエフスキイ批評ばかりでなく、おそらくほとんど今日までの文芸批評についていえるであろう。それというのも、近代文学の創作の理念そのものが一世界観の体系的モノローグの枠内にあって、創作上の諸命題も結局そこへ収斂されるように作品がつくられてきたからである。

新谷敬三郎「バフチンとドストエフスキイ」

 たとえばバフチンは、ドイツ観念論を、「思想のモノローグ的表現の原理がもっとも見事な、すぐれて理論的表現」を達成した例とみている。

 しかしそのような《モノローグ》のアプローチでは、ドストエフスキーの小説を包括的に論じることはできない、とバフチンはいっているようだ。

 それでいくと、私が前回とりあげたロレンスの「大審問官」論は、バフチンの批判にみごとに合致すると私はおもう。
 ロレンスの作品はすべて、「一世界観の体系的モノローグの枠内にあって、創作上の諸命題も結局そこへ収斂されるように」書かれている。「大審問官」論もまた、その延長線上にある。

 さらにいえば、ロレンスの批評は、ドイツ観念論とは比較にならぬ、強い主観性をおびている。そのせいで、かれの《モノローグ》は、たしかに尖鋭的で預言的ではあるが、つねに否定性のない自己肯定としてあらわれる。(註)

 私がなんとしてもロレンスの「大審問官」論に同意できないのは、この常軌を逸したかれの主観性にその深源がある。

 新谷先生は、つぎのようにいっておられる。

 バフチンがドストエフスキイ論のなかで展開している思想の核となっている根本のモチーフは、要約すれば、(一)対話的原理による人間把握であり、そして精神としての人間というものは結局、言語表出面においてしか捉えられないのだから、(二)その言語表出、しかも対話的関係において捉えられたそれの機能的理解である、ということができよう。

新谷敬三郎「バフチンとドストエフスキイ」

 たしかに「大審問官」は、大審問官とイエスの対話によって構成されており、さらにその外枠では、その戯曲をイワンがアリョーシャに話して聞かせるという、二重の対話形式として提示されている。
 そして対話者は、それぞれの立ち位置に応じて、おたがいの言葉に反応する。そしてその反応が関係性を変容させていく。
 バフチンはこうした小説の構築のしかたを《ポリフォニィ》といっているのだと考えられる。

 それは複数性を維持する相互主観的な形式である。

 ロレンスは、イワンを小説の主軸として理解し、その線にそって批評を組み立てている。イワンが作者の分身であり、「大審問官」の思想を主張せんがために、この小説は書かれたとみなしているのである。

 が、ドストエフスキ―は、ことに「カラマーゾフの兄弟」においてはとくに、誰が主人公ということもなく、しいていえばそれはアリョーシャなのだが、さまざまな関係性のエピソードを積み上げることで、一つの世界を構築しようとしている。
 主要な登場人物のすべては作者自身であり、また、作者自身ではない。かれらは作者の血をわけて創造された人物たちではあるが、それらの総和が作者の精神というわけでもないのである。

 かれはきわめて観念的な作家であり、みずからの頭にある理念を追い求めて作品を書きつづってきた。
 たしかに大審問官の主張する「正義」は、ドストエフスキーが長年にわたって考えてきた真実の世界理解にはちがいない。だがそれは、多く見積もっても、かれにとってせいぜい片方の羽翼でしかない。

 朗読劇として、対話を重視したということもあるのだろうが、それ以上に、《ポリフォニィ》は、ドストエフスキーの主題が要請する形式であって、その逆ではない。「対話的」であることによって、あるいは複数性を維持することで、はじめて「カラマーゾフの兄弟」にこめられた独特の理念が定着しうるのである。

 ロレンスの批評は、それを見誤り、独我論的な一本調子の小説と捉えたために失敗した。
「カラマーゾフの兄弟」は、ロレンスの小説よりも、本質的に、古くて新しい。ロレンスの言葉でいえば、「邪しま」なのだ。


(註) 私は前回、ロレンスの"The Reality of Peace"からの一節を引用した。しかも行論の都合上、否定的にもちいた。
 だがそれは、本当のところ、若き日の私を奥底から震撼させた書物でもある。内容はいうまでもなく、その昂揚した預言者さながらの表現に、私は強い反発をおぼえながらも、どうしようもなく惹きつけられた。そしてそれはいまも変わらない。
 そこには人間の運命についての拒否しようのない真実が、類をみない文体で記されている。

 私がいいたかったのはただ、ロレンスがあまりに安易に、それを現実社会の枠組みに適用してみせたことは失敗だったということにすぎぬ。

 あのころ私は、詩的で豊饒で、集中力があり、アフォリズムにみちたロレンスの文体に憧れたが、雑駁で潤いのない私の文章には、そういう方向へとすすむ道すじが本来的に閉ざされていることにおもいいたり、ひとり絶望したものだ。
 なにもロレンスのようになりたいとおもったわけではない。多少なりとも、それっぽい文章を書きたいと願っただけだ。しかしそれもいまとなっては、笑い話にすらならない。

 私にとってロレンスの作品は、現代に広がる荒野に生き生きと咲き出る一輪の薔薇である。

 ロレンスとドストエフスキーは、たしかにぜんぜんちがうのだが、しかしその根本的な洞察という点においては、きわめて共通するところが多いということも、ここに記しておきたい。ロレンスは、たとえばトルストイよりも、あるいはニーチェよりも、はるかにドストエフスキーに近い距離にある。

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神原 伊津夫
福田恆存さんや、そのほかの私が尊敬してやまない人たちについて書いています。とても万人うけする記事ではありませんが、精魂かたむけて書いております。