「お金がない」の実情|ノンフィクション
まえおき
こんにちは、いかにきさいです。
自分の話には飽きているので、わざわざ書く必要もなかったのですが、客観的に見てもらうことも必要かなと思い書き出してみています。
そんなに長くはないので読んでもらえると嬉しいです。
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「お金がない」
女25歳フリーター実家暮らし。
それなりに働いているはずなのだが、いつまでも一人暮らしするお金が貯まらない。
ファッションや美容にお金をかけているわけでも、贅沢な食事や付き合いをしているわけでもない。加えて、親も生活費を納めろとは言ってこない。
週5〜6日は9時間以上のアルバイトしているが、手取りは16万円。
貯金はないし、むしろ現金がなくなって、クレジットカードに頼っている仕末。
一体どういう仕組みでお金が消えていくんだかわからない。
平日の1日の流れはこうである。
また、休日の動きもこんな感じ。
実家にいるからといって、家族と交流があるわけでもなく、だらだら日々が過ぎていく。
だらだら生きてるだけなのに。なのに、お金はない。
鬱というパートナー
5年ほど付き合っている鬱は治るわけでもなく、ただ私を体力のない人間に仕立てあげ、不定期でどうしようもない不調をプレゼントしてくれるようになっている。
とんでもないパートナーだと分かっているのだが、なかなか縁を切れなくて困っている。
それはまあ仕方がないとしても、そんな人間をアルバイトとして雇ってくれるところが社会的な「普通」ラインであるはずもなく、当然のように「普通」の生活をする家族との活動時間はズレるのである。
切り詰めればもっと節約できると分かってはいても、そんな事を考えると本当に死ぬことが現実的な解決策だという結論に行きついてしまって、死にたい欲との戦いが始まってしまうので何も前に進まない。
体調の波があるとはいえ働けない訳ではないので、社会的な手当てなり補助を受けることはできず、日本国民の義務として相応の税金は納めなければならない。
どれだけ普通のつもりをして働いてみても、突然のどうしようもない不調は必ずやってきて休みが続いてしまうため、いわゆる「安定した職」には就けず、低賃金でも解雇されないならそこに縋るしかない現実である。
周りに迷惑をかけないための仕事、治療、そして生活に疲れてしまうと、やっぱり死ぬことが最善策としか思えなくなってくる。
しかし、今まで何度か自殺は試みているのだが、人間なかなか図太いもので、ニュースで見る人のように簡単には死ねない。
周囲への迷惑を最小限にして死のうと思ってもなかなか難しいし、各駅しか停まらない駅で電車に飛び込んでまで死のうとは思わない。
というわけで、必要のない努力を最小限にした結果、だらだら生き続けることになる。
補足すると、両親からすると無意味に生きてスネを齧ってることよりも死なれることの方が迷惑が大きいそうな(実際にそう言われた)ので、死なない程度には治療続けつつ、借金作らない程度には働かないといけないし、働ける程度の生活をしつづけなければならない。
そんなこんなでとにかくイライラして、家にある物を手当たり次第壊していたら、当たり前だが怒られた。
「迷惑をかけるな」
中高私立に入れて、四年制大学まで卒業させてやったのに、こんな仕末の悪い25歳に育ってしまったなんて。
直接は言われないものの、まぁ親からしたら子ガチャ失敗でしょう。
なにが問題なのか
気持ちの問題や、考え方の問題であるなら、どこからが問題になっているのか教えて欲しい。
自分で考えられる事は整理してきて、色んな気持ちの変化を割り切った上で今の生活がある。
そうはいっても周囲、特に家族みたら迷惑人に代わりはない。
とはいっても、私みたいな若者はゴロゴロ存在するわけで、親世代よりも生きづらい社会になってるとしか思えない。
一人暮らしは贅沢。
結婚したり家を買うなんて、女にも経済力が求められる時代。
自分が中央値だと思える位には、同世代にこの話は共感してもらいやすい。
あなたがこれをみて「付き合う人間が偏っている」と思うなら、そう教えて欲しい。
仕事の都合が悪くても、選挙には必ず行くと決めている。
馬鹿なりにできるSOSの意思表示だと思っているから。
さいごに
まとまりがなくて申し訳ないのですが、私の生活を当たり前として本当にいいと思いますか?
あなたが私だったとして、また私の親だったとして、幸せに思えますか?
「お金がないです。助けてください。」
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