📚自分を好きになる方法/本谷有希子

とても辛かった。

16歳のリンデは、知らない人だった。

私はまだこの時彼女と交わっていない、ということはその後間違えたんだ。読後、そう思ってしまった。何もまちがってなどいやしないのに。

28歳のリンデとその恋人は、23歳の頃の私と恋人だった。

誰の機嫌を取るべきか、なんてことしか教わらなかった社会人1年目。祖父が亡くなり、寂しいと連絡してくる祖母。祖母の側で疲弊していく母。
自分のキャパ以上の他人の機嫌を抱えてしまい、自分の機嫌がコントロールできなくなっていたこの頃。
「会社帰りにライフのプリンを買おうと思っていたのに、買うのを忘れた。何のために出社したかわからない、辛い。」家に訪れた恋人に泣き散らかして不機嫌をぶつけた記憶がある。よしよしって一緒にプリンを買いに行ってくれる人だったけれど、突然不機嫌に黙り込む恋人に当時の私は「試されている」と感じることが多かった。リンデのように。

34歳のリンデとその夫は、28歳の頃別れてしまった恋人と無理やり一緒にいた場合の私だった。

その場を楽しめるくらいには大人になっている。リンデももう泣いたりしないし、私ももう泣かなかった。
それでも「違う」と心の冷える瞬間の積み重ねに何かを決意するリンデの気持ちはとてもよくわかった。
違うって何が?正解なんてないのに。

47歳のリンデと友人達は、母から聞く母と友人達だった。

子供の頃、母は憧れだった。
どこに行っても愛されていた。いつも職場や何らかのコミュニティでの愚痴を聞かされていたけど、それだけ毎日他人と濃密に関わって失敗を明るく話し、さやかなプレゼントをもらい、歪みあっていた他人と他人を繋ぐ役割を果たす母が羨ましかった。
47歳のリンデのことは、私はとっても好きだよ。
心が通じ合わなくたって友人だし、少しの我慢でコミュニティが楽しく継続するならそれでいい、そう思えることはとても大人の考えだと思う。
解説には、リンデは「お互い心から一緒にいたいと思える相手」を求め続けていると書かれているけれど、47歳のリンデは彼女の生涯の中で最もその幼稚な理想から遠ざかろうとしていたのだと思う。
だからこそ、遠ざかれなかった、消しきれなかったその後の人生に読者としては辛さを感じるのだが。

3歳のリンデは、5歳の学芸会の舞台裏、好きな男の子とキスをした時の私だった。

幼稚園の頃、自分のやりたいことは大概叶った。

いつだって両思いだ。
足が速かった。勉強ができた。泣きながら歯を食いしばってでも、一人でバスに乗って帰れた。ママが髪をセーラームーンにしてくれた。英語が話せた。一輪車にも乗れた。竹馬にも乗れた。自転車なんてとっくに補助無しだった。
学芸会ではやりたかった役をできなかったけれど、ママが可愛い衣装を作ってくれたからその役が1番やりたい役になった。
自分の望みが何でも叶うわけではなかったけれど、そんなのはゴールに辿り着く前の小さな石ころみたいなもので、自分は必ずゴールに辿り着けるのだと信じていた。それが母の力だと気づくまでに時間がかかり、気付いてもなお、21歳くらいまでは「必ずゴールに辿り着く」という無敵感のようなものがあった。

何より、リンデ曰く「お互い心から一緒にいたいと思う相手」がいつもいたし、一緒にいることが叶ってきた人生だった。
私は今でも、そんな相手に幾つになっても出会い続けることができると信じている。出会いは凪のように静まり、出会ってから一緒にいる年数の方が倍数的に増えているように感じながらも。

63歳のリンデは、祖父が亡くなった後の祖母だった。

祖母は「自分を好きになれそうなこと」を探すのがうまかった。晩年は思うようにいかないことの方が圧倒的に多くて(だって当たり前だ。72歳までバリバリ働いていたのだから)、そのことを悲しんではいたけれど、めげなかった。
こうなりたい、とは思わなかった。けれど、こうなりたくない、とも思わなかった。ただ、人生とは無慈悲なのだとか、年齢を重ねることは知恵の蓄積だとか、それは確かな強さで、今にも消えそうだけれど熱く熱く燃え続ける炎のようだとか思った。
リンデは、どうだったのだろう。
ただ私は、空想上の友人と話している時間はとても虚しいと思った。
まだ28歳なのに、特に心がダメになった時私もやっていたから。「どんな自分をも認めてくれる誰か」そんなの、自分自身しかいないに決まっているのだけれど、「誰か」を作り出しては会話が止まらなかった。
そんな時間があるのならば、実在する他者、人でなくてもいい。自然でも食べ物でも何でもいいから、今生きている世界と向き合わないともったいないと思う。とすると自分のことを認めてあげる作業も、効率よくならないといけないらしい。大変だな。

彼女の人生とは何だったのだろう。
彼女は自分の人生をどう評価するだろう。
とても豊かで、だけど悲しい時間だったように思う。
どうか彼女がその豊かな感性を書き記し、言葉の豊かさとして後世も大海に広がっていればいいなと思う。一人の、言葉を信じる者として。

だってこんなに子供の自分と大人の自分の感性が同居している。

「まだ溢れないだろうと放ったらかしにしている集合ポストの前を通り過ぎるのは、子供の頃、墓地の前を早歩きした時の気持ちとどこか似ている。」


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