仮説:戦略と戦術の違い
この記事の提供するもの
表題件に関する筆者なりの見解です。
戦略と戦術の違い
筆者は、戦略と戦術をそれぞれ下図のようなものと捉えています。
戦術は、(何らかのメカニズムにより生み出された)眼前の状況を所与の前提とした上での行動選択を問題とします。
したがって言及範囲も、眼前の状況と、眼前状況への介入に伴う直接的結果に限定されます。
一方で戦略は、状況に先行する背景メカニズムに着目し、いかに有利な状況を生み出すメカニズムを実現するかを重視します。
したがって言及範囲は、背景メカニズムと、その背景メカニズムが生み出す状況との両方を含む形になります。
ゆえに言及範囲を比べると下図のように、文脈的にも時間的にも戦略の方が戦術よりも広い言及範囲を持つことになります。
戦術に比べてより広い戦略の言及範囲は、戦略に対して次のような2つの特性をもたらします。
状況変化に頑健で応用性の高い戦略ほど抽象的になりがち
以前に書いた「数理:コンパクトで抽象的な知識の有効性」という記事にそのメカニズムをまとめています
変動性の高い領域における戦略ほど結果に不確実性をはらみがち
以前に書いた「方法:情報の信頼度を評価する」という記事にそのメカニズムをまとめています
戦略に比べより言及範囲の狭い戦術は、このような「戦略の問題点」を補完する存在であると、筆者は捉えています。
以上を踏まえて、戦略と戦術の特性・印象を比較すると、次表のような傾向を持つとまとめられると思います。
$$
\begin{array}{l:l:l}
観点 & 戦略 & 戦術 \\ \hline
直接的 / 間接的 & 間接的 & 直接的\\
抽象的 / 具体的 & 抽象的 & 具体的 \\
時間的スコープ & 長め & 短め \\
\end {array}
$$
国語辞典的意味との照合
筆者独自の仮説が独りよがりのものでないことを確かめるために、国語辞典的定義と整合的であるか否かを確認しておきます。
戦略において総合的・長期的・大局的…という言葉が使われるのは、言及範囲の広さによるものと説明ができ、戦術において具体的という言葉が使われるのは反対に言及範囲の狭さによるものと説明が可能です。
したがって、筆者の仮説は国語辞典的定義と整合的だと評価しています。
「戦略」の限界
よく「戦略は戦術よりも上位の概念」であると言われます。
筆者はそのような言説に対して、そうである場合も多いが、そうでない時もある…というように考えています。
ここでは、「必ずしも戦略が有効ではない」時がどういう時なのかを考えてみたいと思います。
前提:「戦略」が成立するためには「メカニズムへの理解」が必要
上記の整理に基づくと、戦略には必然として状況を生み出すメカニズムへの理解が必要となってきます。
この点について、過去の下記記事も併せてご参照ください。
観測不足と頻繁なルールチェンジは戦略を無効化する
戦略成立の必要条件に「状況を生み出すメカニズムへの理解」が必要である点は先ほど見た通りです。
さて、あらゆる「理解(=仮説)」は、ある種の情報であるとみなせます。以前に書いた「方法:情報の信頼度を評価する」という記事では、情報の信頼度を評価する観点を以下のようにまとめました。
観測量:どれくらい多くの観測に基づく情報か
状況変動性:検討しているのは状況変化が活発な領域かそうでないか
情報鮮度:どれくらい新鮮な情報か
前提再現性:事実成立の前提条件はどれくらい成立しやすいものか
ソース信頼性:虚偽や勘違いの少ない情報源かそうでないか
ソース次数:情報源は第何次ソースか
これらが不十分な(情報の一形態であるところの)「理解」は、信頼度を低く評価せざるをえませんし、そのような信頼度の低い「メカニズムへの理解」に基づく戦略もまた信頼度を低く見積もらざるを得ません。
特に太字にした部分で、観測量が不足している場合は、戦略を練るよりも「まず観測を得るための行動」が重要となりますし、状況変動性が高い = 頻繁なルールチェンジがある場合は、そもそも戦略的アプローチがすぐには機能しない前提で物事を考え・行動していくことが重要となります。
「戦術」の限界
これは多くの文献・言説で指摘されている通りで、挑戦や勝負が始まる前に「すでに結果は見えている」という状況の場合、どれほど素晴らしい介入を行えたとしてもやはり成功率は低くなってしまいますし、そもそも状況が悪いと「素晴らしい戦術的な介入」自体を実施困難な場合が多いでしょう。
戦略が機能し得る状況なら、やはり戦略的成功は戦術的成功に勝ります。
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