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Lesley Gore - It's My Party / 涙のバースディ・パーティ - 1963

涙のバースディ」はハウンドドッグ…いやさ違います。
今回は「涙のバースディ・パーティ」の方。

別に、アテクシの誕生月だからではないけれど、
誕生日がタイトルになってる、この歌をセレクトしてみた。
レスリー・ゴーアと言えば、やっぱこの歌かなーって。

「It's My Party / 涙のパースディパーティ」1963

当時16歳だった、レスリー・ゴーアのデビュー曲にして全米一位の初ヒット。

レスリー・ゴーアは弟さんが作曲家で、彼女自身もシンガーソングライターではあったんですが、この曲に関しては彼女の作品では無くて、フリーライターのシーモア・ゴットリーブと言う人が、自分の娘さんの16歳の誕生日のときに彼女が泣き出した出来事を元にして歌詞を書き上げ、作曲者に渡したというもの。

そして、他の歌手がデモテープを作ったりして、なんだかんだでクインシー・ジョーンズのとこでボイス・レッスンを受けてた、レスリー・ゴーアのとこに来たと…(ユダヤ系アメリカ人だった彼女は、クインシー・ジョーンズに見出され、シンガーの道へ進んだ)

クインシーと言えば、「愛のコリーダ」かなん

んでもって、原題は「イッツ・マイ・パーティ」ですけど、なんで邦題が「涙の…」と言うと、内容(歌詞)がね、自分の誕生日パーティに、彼氏が親友と消えてしまった…って話だから。
ようするに、親友に彼氏を取られちゃったわけですよ。
しかも自分の誕生日パーティの場でっっ サイテー! 
彼氏も最低男だけど、友達も最低女! 
そいつ親友じゃないし…

「テネシーワルツ」もそんな曲でしたよね。
誕生日ではなかっただけで。

Patti Page「Tennessee Waltz」1956

んで…
「涙のバースディパーティ」は、その後、たくさんのミュージシャン、シンガーたちにカバーされることになりました。

Helen Shapiro 1963

The Chiffons 1963

園まりさん 1963

中尾ミエさん 1963

Richard Anthony 1963

フランス語で、タイトルは「C'est ma fête」でした。

The Paris Sisters 1966

Bryan Ferry 1973

キャロル・ベイカー 1976

Dave Stewart & Barbara Gaskin 1981

Amy Winehouse (feat. Quincy Jones) 2010

クインシーは、レスリーのかつての師匠で育ての親でしたー

てなわけで、昔から最近に至るまでカバーされまくり。

レスリー・ゴーアは、もちろんこの曲だけでは無くて…

「Judy's Turn To Cry / 涙のジュディ」1963

二枚目のこちらはレスリー自身の作曲した曲。

「Just Let Me Cry / 泣かせておいて」1963

「You Don't Own Me / 恋と涙の17才」1964

「Someplace Else Now」1972

それなりにヒットメーカーでありました。
活躍したのは主に1960年代から1970年代にかけてでしたけどね。お年を召されてからも活動はされていたようです。

んでもって、2004年にはLGBTの問題を取り上げた番組にも出ていて、レズビアンだったことをカミングアウト。
今の時代ならいざ知らず、封建的で保守的な考え方の強かった1960年代を生きるにはしんどかったことが想像できます。
(マレーネ・デートリッヒやロミー・シュナイダーもバイセクシャルなことをわりと早くに好評していましたけど、ヨーロッパとアメリカは、また違うし)

そして2015年に、肺がんでこの世を去ることになりました。
次の人生では、もっとオープンに、自分らしく生きられるといいですね。


F2blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。

「My Favorites〜音楽のある風景」
 2021/09/11 掲載記事より転載



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