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スピリチュアル依存と中毒③

 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、
 愛が無ければ、わたしは騒がしいドラ、やかましいシンバル。
 たとえ、預言する賜物を持ち、
 あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、
 たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、
 愛がなければ、無に等しい。

 全財産を貧しい人々のために使い果たそうとも、
 誇ろうとして我が身を死に引き渡そうとも、
 愛が無ければ、私に何の益もない。

 愛は忍耐強い。
 愛は情け深い。
 ねたまない。
 愛は自慢せず、高ぶらない。
 礼を失せず、自分の利益を求めず、
 いらだたず、恨みを抱かない。
 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
 すべてを忍び、すべてを信じ、
 すべてを望み、すべてに耐える。

 愛は決して滅びない。
 預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、
 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
 完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。
 幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、
 幼子のように思い、幼子のように考えていた。
 成人した今、幼子のことを棄てた。

 わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。
 だがそのときには、顔と顔とを合わせてみることになる。
 わたしは、今は一部しか知らなくとも、
 そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つはいつまでも残る。

 その中で最も大いなるものは、愛である。

              新約:コリントの信徒への手紙1,13:1~13

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その昔、同じ研究会に属していた知人の男性は、なぜ、心理カウンセラーの仕事を選択したのかとの問いに、

人の心を操る仕組みをマスターしたかったから・・・」と答えた。

彼の両親は彼がまだ幼かった頃に離婚していて、そのせいで彼は妹と共に、祖父母に預けられることになったのだが、母親が新しい恋人を作るたびに、新しい父親になるかも知れない可能性を秘めた、その男たちと暮らすこともあったのだという。

しかし、それは彼の心に深い傷跡暗い影を落とすばかりで、上記のように考えるに至った、屈折した人生観を与えることになった。

彼の母・・・の恋人となったある男性は、幼かった子供たちに対して、自分への絶対服従をさせるがめに、身体的暴力を与えるだけではなく、完膚なまでに子供たちの自尊心を叩きのめし、考える力を奪い、暴君と奴隷といった関係に、一切の疑念を抱かさぬよう巧みにアメとムチを操り、洗脳という形での支配を成功させた。

彼はこの抗えがたい屈辱的な経験に復讐するために、自分が憎悪する相手にされた術を知るべく、その手段を得られるであろう道に進んだのである。

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それは・・・その選択の動機は、
「間違っているよ」と、指摘するのはとても簡単だが、

大体にして、心理学精神医学に関心を持ち、その道に進む人の多くが、自らの病的な傾向、あるいは身内など近親者の問題を通じ、そこを発端として、解明への好奇心をくすぐられて誘われていくのだから、自分の過去への復讐という動機を、その経緯を知らずして頭ごなしに否定することはできない。(とある心療内科医は、恋人が鬱にかかってしまったことで彼女をサポートすることを鑑み、外科から心療内科医へと進むことにした人もいたりする)

健康な精神を持つ者(あるいは近親者にいない者)には、
不健康な精神を持ち、そのことに悩む者の気持ちは解らないのだから。

健全で五体満足な身体を持ち、病ひとつしたことのないものに、
そうでないものの気持ちや立場が解らないように・・・。

ただ、誰かに苦しめられた恨みをして、自分がされたと同じ苦しみを誰かにも味合わせてやろうなどという動機で、心理操作をされてしまう患者側としては・・・たまったものではない。

愛がないという以前に、そこには患者への共感どころか客観性もなく、屈折した復讐の代替行為でしかない。

復讐すべき対象を見誤っているという以前に、それでは彼自身が癒されるどころかかえって傷口をえぐりとるだけで、救われない道へと他人を道連れにしているだけだから。

不幸な幼年時代の経験を、もっと別の形に昇華することが出来たなら、彼はその道の誰よりも、他者からのコントロール依存に悩む人たちの側に立ち、洗脳を解き、支配という鎖を断ち切ることの出来る、素晴らしいカウンセラーになっていたろう。

しかし、彼は同様の理由で、魔術に興味を持ち、サイキックな力で、人を支配し、畏怖されることに憧れを持った。表では従順に病院勤めをし、穏やかな人柄で、その陰はなかなか人には知られることはなかった。

今は・・・そこからは脱出して、彼なりの幸せと道、そして真の意味での癒しと救い、仕事への熱情や生きがいを得られていると思いたい。

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私はもともと占いの仕事から今の道に入って、オカルト(神秘学)だの魔術だのといった分野での勉強もしていたことから、そのような人たちと知り合うことも多くて、ニューエイジというムーブメントも身近で見てきた。

中にはいじめられっ子だったり、社会への敗北感などの屈折した心理が、超常現象への憧れを募らせ、特別な人間になりたいとの思いから、カルト宗教に走ったり、自己啓発の誘い文句に魅了される人も多く、魔術やサイキック的能力などに至っては、他人を操ったり、周囲を見返す材料にするために、超常的な能力を得たい・・・と望む人もいたりした。

しかし、不健全な動機から、サイキック能力を開発しようと試みるものは・・・

不健全な精神のまま、人間的にも未成熟な状態で、成熟した精神や肉体向けの過酷な鍛錬を行ったものの末路は往々にして悲惨である。

彼らは精神を壊し、心を破綻させていく。あるものは、エゴイズムに取り付かれ、妄想に支配されていく。現実感を失って、モラルを荒廃させ、自我を膨張させて、肉体すら操ることが出来なくなっていく。(そんな人をこれまでに幾人か見てきた)

他人を操ることではなく、自分を操ることこそが肝心なのに・・・・

己が欲望をコントロールさせることも出来ずに、自分自身のマスターになることも出来ずに・・・それ以前の問題を解決することも出来ないうちから、人は、他人や運命のマスターになろうと欲張る

そのことから多くの間違いを犯す。

まずは自分を知ることだ。
自分のを癒し、問題点と向き合うこと。

理性を使って、自分の感情と肉体をコントロールする術を覚えることだ。

それを教えているのが、本来のスピリチュアルな道で、教えで、古代からの叡智だったりする。

スピリチュアル(霊的、霊性)というのは、現実に反するものではない。抗うものでもない。逃避の材料にすべきものでもない。

オカルトや魔術だってそうだ。

他人や現実をコントロールするための、自我を満たすための手段ではなく、自分のあり方を見つめて、宇宙そのもののリズムと調和するための、バランスのとれた生き方をするための知識のひとつなのだから。

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ある人が言った。

「あなたは、そのうちスゴイ人になるかもよ」

「???」

はて・・・すごい人って何?

別のとき、私のブログのことをその人が言った。

「まるで、ほん怖の玲子さんの漫画みたいねー」

「???・・・あら、そうなの?」

また、あるとき、その人が言う。

「あなたは、そのうち、
 江原さんや玲子さんみたいなことが出来るようになるかもよ」

「・・・・・・・???」

いや、仕事がまったく違います。お役目も違いますし、それぞれ別人格てか、似て非なるものだし、が違うんで。

というか、たぶんこの人は、私が仮に、江原さんや寺尾玲子さんと同じことが出来たとしても、その人の目の前でそういうことをしたとしても・・・

「同じことをしている」とは捉えないんだと思う。

テレビや漫画の中で表現されてることに「憧れている」のであって。「事実」として、展開されている事象には、興味や見る目を持たないのだろう。

(とどのつまりが、スゴイ人というのは有名な人のことで、有名かそうでないかっていうのが、スゴイことである基準なわけ。有名である=スゴイ=信用できるという単純図式)


私にその「憧れの人物」と同じようになることを「望んで」いるこの人は、実のところ、自分がそういうふうに「なりたい」人だったりする。

けれども、なりたくてもなれない自分がいるので、そうした人たちに近そうなところにいる私に、その憧れと理想を「投影」しているに過ぎない。

これは一種の期待なのだけれども。

つまりは、その人は、自分がその手のスピリチュアルな人に憧れを抱くのと同じ「憧れ」を、誰かが自分に対して抱いてくれることに「憧れている」人なのである。

でも、無理そうだから、せめて私という身近にいる人間が、代理でそうなったりしたならば、たぶん、彼女のちょっとした野心というか・・・利己的な虚栄心は満たされることになるのだろう。

けれど、申し訳ないが、私はそうした欲求をかわりに叶えてあげられる存在にはなれない。私は私で、私の道を行くだけ。私は私の仕事をするだけ。私には私のお役目があり、私にしか出来ないことがあるのだから。

素晴らしい人たちを尊敬し、賞賛こそすれ、
私が彼らのようになる必要性はどこにもない

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こちら数年ほど前に書いた旧blogからの抜粋になります。そして「スピリチュアル依存と中毒④」に続く。

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The Sacred Journey ~スピリチュアル・セラピーの現場から
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